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●映画『インモータルズ』
+++++++++++++++++++ 今夜、映画『インモータルズ』を観てきた。 が、驚いたのは、観客。 観客は、私たち2人だけ。 (あの広い劇場で、私たち2人だけだぞ!) 3D映画で、アメリカでは大好評だったとか。 しかし私はあの手の映画は、見飽きた。 いつもパターンは同じ。 で、ほしはきびしいく、2つの★★。 で、再び、観客の話。 私たちだけということで、おしゃべり自由。 それが楽しかった。 ++++++++++++++++++++ ●浜松駅前 駅前は活気を取り戻しつつある。 それは私にもわかる。 が、その一方で、駅(JR浜松駅)から歩いて数分も離れると、とたんに人影はまばらになる。 5分も歩けば、ザザ・シティというショッピング・センターにやってくる。 現在、中央館と西館が営業している。 しかし大理石のらせん階段をおりると、そこはスーパー。 たこ焼き屋に、いくつかの飲食店。 占いのコーナーもある。 少し前まで、100円ショップもあった。 無残なのは、中央館。 1階ですら、人影はまばら。 2~4階は、まばらどころか、空き部屋だらけ。 エスカレーターで上がってくる人も、ほとんどいない。 駅前にEデパートがオープンしてから、人足がさらに遠のいた。 ●失敗の連続 私が浜松に住むようになってしばらくしてからのこと。 そのザザ・シティのあったところに、西武デパートができた。 当初はたいへんなにぎわいようだった。 が、駅前に、イトーヨーカー堂ができた。 その前にJR浜松駅が大改修を行い、メイワンというデパートもできた。 とたん、西武デパートから人が去った。 が、決定的だったのは、昔からあった松菱デパートの倒産。 駅とザザ・シティの中間あたりに位置していた。 その数か月前、つまり松菱デパートが倒産する数か月前、ザザ・シティと松菱デパートをつなぐ空中歩道を市が建設した。 空中歩道は、まったくの無駄づかいになった。 もちろん税金の無駄づかいである。 ●ザザ・シティの不振 今日も映画の帰りに、ザザ・シティの中を歩いてみた。 (映画館はそのザザ・シティの西館にある。) が、今夜も、人影はほとんどなかった。 あやしげな雰囲気の男子高校生、女子高校生が、あちこちに数人ずつのかたまりをつくっていた。 それだけ。 1階には店が並んでいるが、客のいる店はなかった。 ザザ・シティは、今、沈没しかかっている。 ●行政不信 考えてみれば、浜松市はおかしなことばかりしている。 たとえば駅前に巨大なビルを建てた。 アクトタワーというビルである。 が、フタをあけてみると、新規に外からやってきて事務所を開いた会社はゼロ(当時)。 みな、市内から、横滑りで入居していった。 その結果、市内の貸しビルは、空き室だらけになってしまった。 不動産業を営んでいた友人(学生時代の同級生)は、こう言った。 「3分の2が空き室だ」(当時)と。 それからもう12、3年になる。 その状況は、今も変わっていない。 で、今回の駅前開発。 駅前に力を注げば注ぐほど、その直近にある外側のデパートや商店街から客足が遠のく。 市内へやってくる客の数は、ほとんど変わらない。 たとえば駅から歩いて1~2分のところにある、「べんがら横丁」は、今、3分の1ほどが店を閉めている。 で、今度は、ザザ・シティ。 笛吹けど、(客は)、踊らず。 そのつど、いったいいくらの税金が無駄になっていることやら。 ●発想の転換 何度も書くが、「駅前は浜松市の顔」という発想を捨てる。 よくても、悪くても、浜松市の工業にはほとんど影響はない。 無理に活性化させようとしても、うまくいくはずがない。 それが世界の常識。 郊外に大型店があれば、なおさら。 外国へ行っても、駅前はどこもガランとしている。 倉庫街の真ん中にあるところもある。 どうして日本人だけが、(浜松だけが)、駅前に、こうもこだわるのか。 そんな化粧をしても、見る人が見れば、わかる。 そういうのを「化けの皮」という。 ●映画『源氏物語』 まだ予告編しか観ていない。 映画『源氏物語』。 その予告編の中で、男女が接吻(=口と口の接吻)するシーンが出てくる。 まことにもって、生々しいシーンだが、ちょっと待った! 平安時代の昔、日本人は、接吻などしただろうか? 私が子どものころですらなかった。 日本人が接吻をするようになったのは、戦後のこと。 アメリカ映画の影響とされる。 (つまり映画のもつ影響力には、ものすごいものがある。) ときのGHQは、日本映画界に対して、1回はかならず接吻シーンを入れろという命令を出したとか。 昔、そんな風説を耳にしたことがある。 そこであちこちを調べてみた。 この分野の研究は、みなが関心をもっているだけに、かなり進んでいる。 その中でも、「教えて、GOO」の中に、こんな記述があった。 そのまま一部を紹介させてもらう。 『……文献にも、平安初期の「土佐日記」に 「ただ押鮎の口をのみぞ吸ふ。この吸ふ人々の口を押鮎もし思ふやうあらむや」 船旅の途中、正月に祝い膳もなく、口吸いたい恋人もいないから、押し鮎を(彼女に見立てて)吸ってみたりしたよ。鮎も、口吸ってる相手(=人)の事を、愛しいと思ってくれるかなぁ~(笑)(私訳) と言う記述があります』と。 「ああ、日本にもあったんだ!」というところで、この話はおしまい。 しかし、だ。 日本人がこうまで接吻をするようになったのは、最近のことだぞ! 2011/11/17朝記 Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月17日 09時46分01秒
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