明末の中国
☆21世紀は中国の世紀か 現在,中華人民共和国は新たな「世界の工場」として急激な経済発展をとげています。21世紀は中国の世紀になるだろうと予測する人も多い。☆経済発展がもたらす諸問題が,中国の前にたちはだかる でも,その経済成長のゆえに,困難な問題も生じています。沿岸の都市と内陸の農村,経済的な成功者と一般の民衆の目もくらむような経済格差。その結果生じる農村から都市への人の流れ。農村社会の崩壊と都市に滞留し貧しいままの都市下層民の不満。一方で,共産党幹部の子弟など一部の特権層が拝金主義の風潮にあおられてとめどもなく腐敗堕落し,それがさらに民衆の不満をかきたてる。社会の激動で従来の地域共同体のつながりも失われ,孤立し,不安にかられた人々は新たな連帯を求めて犯罪組織や宗教的秘密結社に続々と参入する。こうした事情を背景に,農村暴動や,都市暴動が頻発しているのです。われわれを驚かせた反日デモも,このような民衆の不満が噴出した都市暴動として,理解できます。☆反日ナショナリズムは,仮想敵日本に民衆の不満を向けるため? このように並べてみると,中国の政治当局者は,あの巨大な国を維持し,なおかつ今までのような経済発展を続けるために,まさに綱渡りのような政局運営を強いられているわけです。たとえば,民衆の不満を身近な競争相手である日本に向け,人々に国家に対する帰属意識をもたせるために反日ナショナリズムをあおる。ところが,それが都市暴動の口実となると,今度はそれをおさえにかかる。そのさじ加減の難しさ。中国の政治当局者の困難とストレスたるや,わが国の政治家や高級官僚の比ではないでしょう。 ☆歴史は繰り返す。明王朝の滅亡の一因は急激すぎる経済成長にあった。 しかも,中国の歴史には,爆発的な経済成長がもたらす社会的混乱を制御することが出来ず,結局王朝が倒れてしまったやばすぎる前例があるわけです。 そう,16世紀後半から17世紀前半にかけての明末の時代。現在の諸問題とそっくりな問題が起こっていました。☆日本銀と中国の生糸の交易で,大量の銀が流入した。 中国では,16世紀になって,日本産の銀と中国の生糸の交易が盛んとなりました。当初は後期倭寇による密貿易として行われていたこの交易は,倭寇取り締まりに音を上げた明が,1567年に東南アジア方面との私貿易を認める形で海禁政策を緩和すると,東南アジアを中継地として日本商人と中国商人の間で活発に行われるようになります。加えて,大航海時代を迎えて到来したポルトガルやオランダの西ヨーロッパ勢力も,マカオや台湾を拠点にこの日中中継貿易に参入したため,中国には大量の日本銀が流入しました。さらに,スペインもフィリピンのマニラに拠点を築き,メキシコのアカプルコからガレオン船でメキシコ銀をもたらし,中国の絹や陶磁器と交換したため,メキシコ銀も最終的に中国に流入しました。当時の中国は,世界の銀の三分の一を飲み込んだのではと推定されています。 ☆都市には極端な富裕者が出現し,農村は疲弊した。 膨大な銀の流入は中国の貨幣経済を発展させ,諸物価を高騰させました。万暦帝初期に張居正が行った検地と銀納の一条鞭法の全国的な施行によって,地方農村は課税を強化され,貨幣経済に組み込まれました。生糸や絹織物,陶磁器などの商品生産が盛んになり,都市には極端な富裕者が出現して拝金主義の風潮が政界にも波及する一方で,農村は重税と物価高騰にあえぎ,窮乏するのです。農民の中から都市に脱出して都市の下層民となる者が続出し,彼らはしばしば民変とよばれる都市暴動の中心となりました。 ☆中央政界は政界浄化を唱える東林派と非東林派の党争で混乱した 地方では,科挙合格者に土地を寄進し,その庇護を受けようという動きが活発化して郷紳勢力が台頭し,中央政界で東林派を結成して拝金主義が蔓延した政界の浄化を唱えますが,かえって宦官勢力と結んだ非東林派との党争を引き起こして政治の混乱をまねきます。 ☆社会不安の中で,秘密結社や犯罪組織に加わる人が増加した また,この時代の中国では,不安定化する社会への対応の一環として,地縁や血縁などの従来の結合関係を再強化しようとする動きが生じる一方で,民間宗教団体などの各種結社に加わる人々も増加しました。明代に成立した四大伝奇小説のうち,万暦帝期に著された『金瓶梅』は,豪商の豪奢な愛欲生活と,その死後の一門の急速な没落を描いてこの時代の金権主義的風潮を伝え,『金瓶梅』の親本である『水滸伝』は,梁山泊という一種の非合法結社に集い義兄弟の契りを結ぶ人々の生き様を提示することで,社会の不安定化の中で新たな結合関係を求めた人々の心情を映しだしているのです。☆経済発展は新興勢力の台頭も促した 交易の活発化や,新式の火縄銃のヨーロッパからの伝来は,東アジアの各地で新興勢力の台頭を促します。東北地方では,明の富裕層が求めた薬用人参や毛皮の交易で,女真族が台頭しました。女真族の諸部族は当初,明との交易の利益をめぐって互いに抗争するのですが,そのなかで出現したヌルハチが16世紀末には女真族を統合し, 1616年には明から自立してアイシン(満州語で金の意)を建国します。さらに2代目のホンタイジは内モンゴルのチャハルを従えて大元帝国の継承を主張し,1636年には皇帝を称し国号を清として明に対抗するにいたります。☆軍事費の負担によるさらなる重税は,ついに農民反乱を引き起こした 明は16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮出兵や女真族の台頭で軍事費が増大し,財政難に陥ります。財政難は,地方農村への重税となり,各地で農民反乱が続出し,そのうち陝西省で勢力を拡大した李自成の反乱軍に北京を占領されて,明は滅亡するのです。