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あけましておめでたい!
いやー、めでたい。 今年も東ヰンドの奇跡の賢者をよろしくお願いしまうま。 さて、新年一発目の日記となる今日は、 読者のミナサマからいただく質問にお答えする機会としたいと思います。 よく「なんで“東ヰンドの奇跡の賢者”ってお名前なんですか?」って尋ねられます。 実際、初田さんからも2回くらいこの質問をされたことがあります。 お答えしましょう。 語感です。 …以上。 「えーっ、嘘だろー」 って思うかもしれないけど、いやいや、これがホントなんだわ。 もともとは“東ヰンドの奇妙な土人”ってWebnameだったんだ。けど、 “土人”という単語を入れるのは、現在の社会通念上あまりよろしくないように思われたので、 或る時、Webnameを変更しようと思ったわけ。 “東ヰンドの奇妙な土人”というWebnameを使い始めたのは、高校3年生の頃。 だからだいたい8年くらい前のこと。 初めて持ったケイタイデンワのメール機能で、差出人名称の設定ができるようになっていて、 その設定を“東ヰンドの奇妙な土人”としたのがその端緒。 この差出人名称、10文字までという制限があって、 どうせなら10文字フルに使ってやろう、というような意味の薄い感情はあった。と思う。 “奇妙な土人”からWebnameを変更するとき、どんな名前にしようかって考えたんだけど、 なぜかどうしても“奇”という字を使いたかったので、とりあえず“奇跡の”まではあっさり決まった。 んだった気がする。よく覚えていない。 そして“奇跡の”にマッチする単語を探したら、自分なりに一番しっくりきたのが“賢者”だった。 (ドラクエ3好きってこともあって、賢者への憧れみたいなものが心の底にあったのかも?) 本当は、“東ヰンドの奇跡の賢者”のように 「○○の○○の○○」、つまり“の”が2つ続くっていうのは 日本語の響きとしては好ましいとは言えないんだけど、 当時はそんなこと深く考えずにこのWebnameにしてしまったのね。 一長一短あるこのWebnameだけど、今では結構気に入ってる。 “東ヰンド”って一度見た&聴いただけで耳&記憶に残るでしょ?高い確率で。 若干考察してみると、大きく分けて理由は2つ。 ・“ヰ”の字を使っているのが珍しい。 ・多くの人が“東インド”というフレーズをどこかで耳にしたことがある。 特に重要なのは後者。 おそらく大多数の方は、高校生くらいの頃に歴史の授業とかで “東インド会社”っていうフレーズを耳にしたことがあるんじゃないかしら。 「それって、インドの東部にそういう名前の会社があったんでしょ?」 いえ、違いますよ。 あらあら、いけませんねぇ。そのような認識では~。 (正しい認識をお持ちの方には甚だ失礼かと存じますが、何卒お許し下さい。) ということで、たまには歴史の勉強をしましょう。 --------------------------------------------- 時は15世紀にさかのぼる。 この頃、ヨーロッパでは各国がアフリカ、アジア、アメリカ大陸など世界中に進出し 覇権を争う時代、いわゆる大航海時代を迎えていた。 当時、コショウをはじめとする香辛料は、ヨーロッパでは収穫することができず、 “コショウ一粒は黄金一粒”なんて言われるくらい、たいへん貴重なものだった。 (ドラクエ3でも、ポルトガ王は“くろこしょう”を欲しがっているもんね) この香辛料を得ることができるのは、東南アジア地域であった。 東南アジアとの直接貿易を行うため、ヨーロッパの各国はこぞってインドを目指したのである。 まず台頭したのがポルトガル。 1488年にディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達。 ここでポルトガルはインド航路の独占を目論み、 喜望峰に要塞や砦を建て、他国のアフリカ廻り航路探索を阻止する行動に出る。 ちなみに、この頃のヨーロッパ人にとって“インド”とは、 現在の南アジア、東南アジア、東アジアを含むアジア大陸東半の地域全体のことを指したようだ。 ああなんとも漠然。まだアジアの国々についての詳細が知られていなかったのね。 (後、1498年ヴァスコ・ダ・ガマがインド西岸の港カリカットに到着。ついにインド航路を開拓した。 これにより、ポルトガルは香辛料貿易を独占し、莫大な富を築いた。) これで困ったのがポルトガルの隣国スペイン。 「このままではやがてポルトガルに香辛料を独り占めされてしまう。どうしたものか。」 で、こんなときに現れるのがかの有名なコロンブス。 彼は、当時非主流だった地球球体説にのっとり、西廻りでもインドに辿り着けると主張する。 が、当初その説は誰にも受け入れられなかった。それもそのはず、 当時、世界の端は大きな滝になっていると思われていた時代である。 しかしながら、前述のように困り果てた状況にあったスペイン。 思い切ってコロンブスの計画を受け入れてみることにした。 こうしてコロンブスはスペインから援助を得ることに成功し、 苦難の航海の末、1492年にカリブ海に浮かぶ島、サンサルバドル島に見事到着する。 「わーい!西廻り航路でついにインドに到達したー♪」と喜ぶコロンブス。 もちろん、実際にはそこはインドではなくアメリカ大陸近辺だったのであるが、 その頃まだヨーロッパ人はアメリカ大陸の存在を知らぬ。 コロンブスはその土地を“インド”と思い込み、スペインに帰って意気揚揚と“インド”到達を報告した。 (だから、アメリカ先住民が“インディオ”や“インディアン”と呼ばれるわけ。) やがて16世紀に入ると、コロンブスの見つけた“インド”が 実際のインドとは別の大陸(新大陸)であることがわかるようになってきて 本来の“インド”と新大陸の“インド”を区別する必要が生じてきた。 その結果、南、東南、東アジア全域は東インド、 新大陸とその周辺の地域が西インドと呼ばれるようになった。 ↑ヨーロッパ中心の地図で見ると、本来の“インド”は東、新大陸の“インド”は西に位置する おっ、やっと出てきたね、東インド! “東インド会社”っていうのは、 このあともう少し時代が進んで1600年頃からヨーロッパ諸国によって設立された、 ヨーロッパ本国と東インド間の貿易・東インドでの植民地経営を行うための会社の名前。 イギリス・オランダ・フランス・スウェーデンなどがそれぞれ別の“東インド会社”を設立してたんだとさ。 ↑ちなみに、カリブ海の一部の地域(この地図で赤緑黄色の地域)は現在でも“西インド諸島”と呼ばれている --------------------------------------------- 以上でございます。 きっと、高校生の頃、世界史の授業で聞いた「東インド会社」が頭に残ってて、 無意識のうちにメール差出人名称にも入れたんだろうな。 まぁ、確かになんとなくインパクトに残るフレーズではあるとは思うけど。 なんで“ヰ”を使ったのかとか、真意はもはや永遠に不明。 ということで、なぜこの名前にしたのかという問いに関する答えは、基本的には語感。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.01.05 10:17:33
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