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     ヒジャイ        日々の詩

     ヒジャイ        日々の詩

台風十八号とミサイル 11


          十

とうとう台風十八号がウチナー島にやってきた。年中無休二十四時間オープンをモットーとしているコンビニエンスの店長にとって台風来襲がなんといっても一番辛い。年中無休二十四時間オープンを売り物にしているのだから台風が来たからといって店を閉めることはできないのだ。例え停電してもローソクや懐中電灯を準備してオープンするのがコンビニエンスのモットーなのである。
グシチャーシティーにあるコンビニエンスの店長をやっている啓太は南太平洋で発生した台風十八号がウチナー島に直進しているのが気になっていた。
「どうぞ、ウチナー島に襲来しないでください。よそに行ってください。」
と、ウチナー島の南東の太平洋上にある台風十八号が東か西に曲がってくれるように祈っていたが、啓太の祈りと期待を裏切った台風十八号は東にも西にも曲がらないで北西への進路を保ち、ウチナー島に接近し続けた。そして、いよいよ台風十八号は今日の朝にはウチナー島に上陸を開始したのだ。
テレビの気象予報では、これから風雨がどんどん強まり、昼過ぎには台風の目がウチナー島に上陸するという。これから台風十八号がウチナー島で猛威を振るうのだ。台風が気になる啓太は午前六時にはコンビニエンスに来た。
「今日は一日中店の番だ。台風が直撃するのだから、店は確実に停電するな。」
啓太はため息をついた。
台風の中心辺りの最大風速が四十メ―トルもあるという大型台風が直撃するのだ。コンビニエンスが停電するのは間違いない。コンビニエンスにとって一番辛いのが停電だ。停電した時に店の運営は果たしてうまくやっていけるだろうか。初めて体験する大型台風の襲来に啓太はとても不安だった。

 啓太は店長になって一年にも満たない新米店長である。啓太は二十五歳。元暴走族。私立大学を中退して定職にも就かずぶらぶらしていることに腹を立てた啓太の母親が啓太を強引にコンビニの店長にさせた。コンビニのオーナーになるには入会金、商品代金、運転資金、家賃や敷金等を含めると総額で一千五百万円もの資金が必要である。母親は五百万円は現金で、残りの一千万円は銀行から借りてコンビニエンス開店の資金を作った。母親はコンビニエンスのオーナーとなり、銀行から借りた一千万円は啓太が返済するという条件で啓太にそのコンビニエンスの店長をさせた。
啓太の母親の名前は和代といい、コザシティーで美容院をやっている。美容院はそこそこに繁盛し啓太達三人の子供を母親一人で育てた。啓太の父親は母親と別居をしていた。啓太の父親の名前は啓四郎といい、大学の時学生運動をやっていたらしい。大学に五年も在籍していたが卒業することができなくて六年目の春に大学を中退した。大学を中退した父親は学習塾を始めた。学習塾をやっている時に母親の和代と父親の啓四郎は出会い、そして結婚した。二人の間には長男の啓太と長女の春奈と次女の美夏が生まれたが、啓太が十歳の時に父親は学習塾経営に飽きたと言って学習塾を止めた。それからはビデオ店をやったり古本屋をやったりライブハウスをやったりフリーマーケットをやったりと次々と商売を代えていった。商売を代えていっている内にいつの間にか父親は家に戻らなくなった。今はインターネットショップで商売するのに興味を持ち、パソコンを勉強しながらバーデスというアジアからアクセサリーや民具等の商品を輸入して日本の各地の小売店やインターネットショップで販売しているアメリカ人からインターネットショップのやり方を教わりながら彼の商売を手伝っていた。
父親の啓四郎が世話になっているバーデスというアメリカ人は元アメリカ海兵隊員でアメリカ海兵隊を十年前に除隊してウチナー島に住み、アジア各地を回ってアクセサリーや民具等を仕入れてウチナー島で卸販売をやっている。バーデスはパソコンの知識も広くインターネットショップ販売もやっていた。
父親の啓四郎はバーデスからパソコンの操作やインターネット販売の方法を習いながら、今ではバーデスがアジアに出掛けている時は啓四郎がバーデスの代わりに商品配達をやったりインターネットでの注文を受けて商品の宅配の手配をやるようになっていた。
 啓太の父親と母親が完全なる別居状態になって十年以上になる。啓太の父親は自由奔放な人間で仕事は次々と変わるし啓太たち子供の面倒も母親任せであった。母親はそんな父親に恨み言も言わないで父親が気ままに生きているのを放っていた。
しかし、啓太がコンビニの店長になった時、母親は夫の啓四郎を家に呼んで啓太の監視役を厳しく申し付けた。
母親は今まで子供の面倒を見なかった父親を責め、父親としての責任を取れないなら犬畜生にも劣る人間だと言い、啓太が店長として一人前になれるかなれないかの一切の責任は監視役の父親にあるとまで断言し、もし啓太を一人前の店長にすることができなかったら離婚すると宣告した。母親の厳しい態度に父親は渋々と啓太の監視役を引き受け、啓太が一人前の店長になれるかなれないかは自分の責任であると言い、啓太を一人前の店長にすることを妻に誓った。そのようないきさつがあって啓太はグシチャーシティーのコンビニの店長になった。啓太の父親は自由人ではあったが無責任な男ではなかったので、啓太を一人前の店長にするためにあれこれと息子の啓太を指導していた。

          十一

台風がやってくると風雨が強くなることが恐いのではない。停電をすることが恐いのだ。停電で一番困ることは店内が暗くなることではない。ろうそくや懐中電灯があれば陳列棚から買いたい商品を探すことはできる。停電で一番困ることはコンピュウターで管理しているコンビニ専用のレジスターが使用できないことである。
商品の全てにバーコードがある。レジスターのスキャナーを商品のバーコードに当てれば自動的に値段がモニターに表示されるから店員は商品の値段を覚える必要はない。しかし、停電すればレジスターが使えないので商品の値段が分からなくなる。商品に値段が表示されていればいいのだが最近はほとんどの商品に値段が記入されていない。
商品に値段を記入するのは小売業者の自由競争を妨げて独占禁止法に違反するというので生産工場で値段を商品に印刷記入することが禁じられているそうだ。それは国が決めたことだから商品に値段を表示していないことに文句をつけても仕方がないことである。それに停電しなければバーコードをスキャナーでなぞらえるとピッピッとレジスターのモニターに値段が表示されるからなんの支障もない。
しかし、停電した時はもう大変だ。商品のバーコードをスキャナーでなぞらえれば商品の値段が自動的にレジスターのモニターに表示されるシステムにどっぷり馴れてしまっているから、コンビニの店員は商品の値段なんてひとつも覚えていない。だから停電した時のコンビニの店員は大変だ。停電した時のコンビニのパートは戦場のように忙しく地獄のように悲惨である。
客が買おうとしてレジカウンターにお菓子を置いたとしよう。お菓子の値段を知らないパートは急いでお菓子の置かれていた陳列棚を探す。そして、お菓子を陳列してある場所にあるプライスカードを見てお菓子の値段を覚えてレジカウンターに戻る。ノートにお菓子と書いて値段を記入。それからお客さんからお金をもらい、電子計算機を使ってつり銭を計算するというわけだ。レジカウンターに五つの商品が並べられたとしよう。パートは陳列棚で五つの商品を探し五つの商品の値段を調べて五つの商品の値段をノートに書き、小さい電子計算機で五つの商品の合計を出し、それをノートに記入し、お客からお金を預かって、再び小さな電子計算機で計算をしてつり銭の金額を出し、それからお客につり銭をお返しする。
ノートには商品の値段だけ記入するわけではない。コンビニの商品はソフトドリンク、ファーストフード、日配、お菓子、食品、バラエティー、タバコ、酒類等に部門分けされているから商品の種類も記入しなければならない。
停電した時のコンビニエンスは停電していない時の数倍どころではなく五、六倍以上も難儀である。だから、停電になった時の難儀を少しでも軽くするために商品のひとつひとつに値段を記したラベルをラベラーで貼りつけなければならない。種類の多いコンビニエンスの商品にラベルを張るのは大変な作業である。
啓太は早朝からコンビニエンスに出勤して、表の立て看板やのぼりやゴミ箱を店内の倉庫に片付けて台風対策を終えて、商品にラベラーで商品の値段を記したラベル貼りをやっていた。パートにもラベル貼りをさせて停電するまでにはほとんどの商品にラベルを貼りたいのだが、午前零時から八時までは一人の深夜勤パートだけで店を見ているので深夜パートは深夜に配達されたお菓子やソフトドリンクやファーストフードなどの陳列とお客の相手でラベル貼りを手伝う余裕はなかった。八時からは二人体制になるので、パートにもラベル貼りを手伝わせたいのだが、朝は客が集中して忙しいのでラベル貼りまでは手が回らない。啓太もファーストフード、お菓子、ソフトドリンク等の発注の仕事があるのでラベル貼りを中断しなければならなかった。店長の啓太も二人のパートもあれやこれやで商品へのラベル貼りに集中することはできなかった。普通の日なら午前八時半を過ぎるとお客のピークが終わるのだが、台風上陸のお陰で八時半を過ぎてもまだ買い物客が多く二人のパートはお客の対応に追われたので啓太一人だけしかラベル貼りはできなかった。
「台風が来てもすぐに停電するというのはないからあせる必要はないな。もしかしたら停電はしないかもしれないしな。」
と停電しないのを期待しながら啓太はラベル貼りの作業を続けた。

 啓太がラベル貼りに勤しんでいる午前九時前に啓太の監視役である父親の啓四郎から電話がかかってきた。
「もしもし、啓四郎だ。啓太か。」
「うん、啓太だ。」
「啓太、ドライアイスは準備をしたか。」
「え、ドライアイス。まだだけど。」
「おいおい、店長たるもの暴風対策を怠るものではないよ。」
「暴風対策はちゃんとやっているよ。外にある看板やのぼりは全部片付けたし、今は停電になった時の対策として商品に値段のラベル貼りをしている。ドライアイスを準備する必要はあるのか親父。」
「おいおい、そんなことも知らないのか。停電した時にはアイスクリームや氷は溶けてしまうだろう。解けてしまったアイスクリームや氷は商品にならない。全て廃棄処理しなくてはならない。店にとっては大損害だぞ。だから氷やアイスクリームが溶けないようにドライアイスを準備するのは当然だろう。」
「ああ、そうか。」
「店長さんよ、しっかりしてくれよ。」
ドライアイスというのは聞いたことはあるが見たこともない。どこでドライアイスを売っているのか啓太は知らなかった。
「ドライアイスはどこで売っているのか。」
「ドライアイスを売っている所を知らないのか。」
「知らない。」
「やれやれ。」
敬四郎は啓太の無知ぶりに呆れた。

 コンビニが停電した時は冷蔵庫と冷凍庫の冷却機がストップし、ソフトドリンクやアイスクリームや冷凍食品や氷を冷やすことができなくなる。ソフトドリンクは冷えなくても商品として売れるがアイスクリームや冷凍食品や氷は溶けてしまうと商品価値がなくなって売れなくなってしまう。売れなくなった商品は廃棄するしかない。廃棄は店の損失である。つまりは店長である啓太の損になる。損失は少なくしなければいけない。だから、アイスクリームや冷凍食品や氷が溶けるのを防ぐためにドライアイスを冷凍庫に入れるのだ。

啓四郎はコンビニエンスの店長でありながらドライアイスを売っている場所も知らない啓太に呆れたが、早くドライアイスを買って来るようにとドライアイスを売っている会社を教えた。
「ドライアイスを売っている会社はカリナーシティーの東側にある。」
「カリナーシティーか。でも、今日は台風だよ。会社は休みじゃないのか。」
「休みじゃない。台風の時にはドライアイスは飛ぶように売れるから会社は二十四時間開いている。」
「そうなんだ。」 
啓太は父親の啓四郎に注意されてドライアイスを買いに行くことになった。
啓四郎が言うにはドライアイスはカリナーシティーの東はずれにあるカモス工業株式会社で売っているという。早く行かないと他のコンビニやスーパーの連中に買われてしまって在庫が無くなってしまうぞと啓四郎は啓太を急き立てた。

啓太は啓四郎との電話が終わると直ぐにドラスアイスを買いに行くことにした。
「美紀さん。僕はこれからドライアイスを買いに行くから店をお願いする。」
「え、店長は外に出るのですか。台風はこれからひどくなりますよね。店長がいないと心細いです。」
パートの美紀と澄江は店長の啓太がコンビニエンスを留守にするというので不安になった。
「カリナーシティーに行ってくるだけだから一時間以内には帰るよる」
「一時間で帰って来るんですよね。」
「ああ。後は頼む。」
「急いで帰って来てね、店長。」
不安そうに美紀は言った。
「気をつけてね、店長。」
「うん。それじゃ、行ってくる。」
啓太は心細い顔をしている美紀と澄江を残して、裏口から外に出た。

          十二

啓太はコンビニエンスを出ると駐車場に行き、車体が赤い愛用のRX―7に乗った。暴走族時代に乗り回したRX―7であるが父親からは廃車にしろと言われている。乗りなれた車であり愛着があるがもうかなり古い車であり燃費は高いから啓太は今度の車検が切れた時には廃車にしようと考えている。
啓太の運転する赤いRX―7は駐車場を出て、カリナーシティーのカモス株式会社に向かった。
 啓太はグシチャーシティーのメイン通りに出た。車を強い風雨が襲ってきた。どうやら本格的な暴風雨になったようだ。激しい暴風雨のせいで道路を走る車は激減していた。商店が並んでいるメイン通りは強い風が四方八方に舞い、雨は激しく右往左往して路上にぶつかっている。路上に激しくぶつかる雨がいくつもの白いしぶきの集団となって路上を右左に走り回る。まるで無数の白い小さな妖精たちが追いかけっこをしているようだ。
啓太は車を走らせながらまだシャッターを下ろしていない商店の中を見た。店の中に白い蛍光灯の光が見えた。通り一帯はまだ停電になっている地域はないようだ。
啓太の赤い車はティーラガーの長い坂を上ると緩やかな坂を下ってキャンへ出た。啓太の車はキャンからタカエスに入った。道路沿いのスーパーマーケットの駐車場には多くの車が駐車していた。台風に慣れっこであるウチナー島の人々は暴風雨が本格的になってからスーパーマーケットに掛けこむのんびり屋な人が多い。そんな人々がスーパーに押しかけているのだろう。
「僕のコンビニもまだ客が多いだろうか。こりゃあ売り上げアップだ。」
啓太は心を浮き浮きさせていた。停電になったら大変だが、台風の時は売り上げが倍増する。台風様々だ。啓太は後で売り上げを見るのが楽しみになった。早くドライアイスを買ってコンビニに戻ろう。

啓太の車はアカミチーからチバナ十字路を過ぎてイケントーに来た。イケントーに入ると道路の左側は金網が続く。金網の中は広い芝生に囲まれた一戸建て住宅が点在している。カリーナエアーベースの東側はカリーナエアーベース所属のアメリカ軍人家族の住宅地になっている。啓太の車は東南アジア最大のアメリカ空軍基地であるカリーナエアーベース沿いの県道七十四号線に出た。カリーナエアーベースの金網沿いの県道七十四号線を数キロ西へ進めばカモス株式会社のあるカリナーシティーに入る。 
ますます雨と風は激しくなってきた。水はけの悪い道路は冠水で水溜りができている。今は通行に支障はないがやがて水深が深くなり車のエンジン部分まで浸水してしまう水溜りが増えていくだろう。もしかすると同じ道路を帰ることができないかも知れないと啓太は心配した。急いでドライアイスを買わなくては。しかし、激しい雨がフロントガラスに当たり視界が悪いのでスピードを出すわけにはいかなかった。
カリーナエアーベース第三ゲートの十字路に啓太の車が差し掛かった時、突然豪雨の中を超大型のトレーラーが第三ゲートの方から飛び出してきた。信号は啓太の方が青色だったのに傍若無人にも大型トレーラーは獰猛なマンモスが暴れ出す勢いで赤信号を無視して飛び出してきた。十字路に近づいていた啓太は思わずブレーキを踏んだ。啓太の車は停車線を飛び出してあやうく大型トレーラーに衝突しそうになったが、怪物のような大型トレーラーは啓太の車を無視して我が者顔で啓太の前を横切って行った。
信号を無視して傍若無人に十字路に飛び出してきたアメリカ軍の大型トレーラーの図々しい態度に啓太は頭にきたが、大型トレーラーに怒っても仕様がない。アメリカ軍も台風対策に大わらわのようだと思いながら啓太は大型トレーラーが過ぎ去るのを待った。
大型トレーラーが過ぎ去ると大型トレーラーのことは直ぐに啓太の頭から消えた。啓太は暴風雨の中、コンビニが停電した時の必需品であるドライアイスを急いで買わなければならない。大型トレーラーが通り過ぎると啓太はカリナーシティーに車を走らせた。
カリーナエアーベースの第三ゲートを過ぎると左側は金網の向こうに長さが四キロの滑走路が二つ並んでいるカリーナエアーベースの広大な飛行場が見え、右側には緑に覆われた広大な森林地帯が見えた。カリーナ弾薬庫である。
カリーナエアーベース第三ゲ―トからカリナーシティーまでの道路は風を遮る木や建物がないので風雨はさらに強くなった。行き交う車はほとんどない。
カリナーシティーに入るとすぐに信号があり、道路の右側に白い四階建ての新しい建物が見えた。白い建物の手前の三叉路を右折して、白い建物を横切ると前方にカモス工業株式会社が見えた。サイロのような高い塔が目印になっているので啓太は難なくカモス工業株式会社を見つけることができた。啓太の車はゆっくりとカモス工業株式会社の門に近づいた。門の鉄扉は半開きしていて車一台が通り抜けるようになっている。啓太の車はゆっくりと門をくぐってカモス工業株式会社に入った。
サイロのような高い建物はドライアイス製造工場のようでシャッターが開いている一階には機械がぎっしりと並んでいた。会社の広場には自家用車は一台も見当たらなかった。工場には誰も居ないようだ。台風のせいで工場は休みなのだろう。啓太はカモス工業株式会社に入ると車を止め工場の広場を見回して明かりの付いている建物を探した。しかし、明かりが漏れている建物はなかった。啓太はゆっくりと広場を車で移動しながら広場に沿っている建物を見たが人の居る気配はなかった。
広場を一回りして入り口近くに戻ると入り口の右側に「ドライアイスはこちらへどうぞ」と書かれた小さな看板があるのを見つけた。啓太は車を下りて背を屈めて看板の奥の建物に行った。建物はガラスドアがありガラスドアの中は暗かった。啓太はガラスドアを開けようとした。しかし、ドアはカギが掛けられていて開かなかった。ガラス越しに建物の中を覗いて見ると、入り口の左側にカウンターがあり、カウンターの奥には十台の事務机が並んでいる。どうやらカモス工業株式会社の事務所のようだ。事務所は明かりが消え薄暗く人影らしきものは見当たらなかった。カモス工業株式会社は台風接近のために工場だけではなく販売店も休みなのかも知れないと啓太は不安になった。しかし、親父はカモス工業株式会社は台風の時は二十四時間営業をしていると言っていた。もしかすると事務所のどこかに会社の人間が居るかもしれない。
「もしもーし。誰か居ませんか。」
啓太は大声を出しながらドアを叩いた。しかし、事務所の中から人が出てくる様子はなかった。啓太はカモス工業株式会社は台風の時は二十四時間営業をしているという啓四郎の言葉を信じて何度もドアを叩いた。叩いていると、事務所の奥から白髪で頭の半分は禿げている守衛らしき男がのそっと出てきた。事務所の奥から出て来たのは守衛らしき男だけで販売員らしき人は出て来なかった。守衛がドライアイスを販売するのだろうか。守衛がレジを操作してドライアイスを販売するとは思えない。カモス工業株式会社は台風の時もドライアイス販売をやっていると親父は言ったが、親父の言ったことは間違っているかも知れないと啓太は不安になった。胡散臭そうに守衛らしき男がドアを開けた。
「ドライアイスを買いたいのですが。」
と啓太は言った。守衛らしき男は啓太をじろっと見てからついて来いという仕草をして事務所の奥の方に歩いた。啓太はドライアイスを買えるかどうか不安になりながら守衛らしき男の後をついて行った。事務所の奥にドアがあり、ドアを開けると小さな部屋にコンビニエンスにもあるような平置きのアイスクリームボックスと同じ大きさの冷凍庫が置かれていた。守衛らしき男が面倒臭そうに冷凍庫の蓋を開くと中には茶色の紙に包まれたドライアイスが半分ほど詰められていた。
「何個欲しいのだ。」
守衛らしき男は面倒臭そうに言った。何個欲しいのだと聞かれても啓太はすぐに答えることができなかった。なにしろドライアイスを買うのは生まれて始めてのことだ。必要な量がどれくらいであるのか啓太は見当をつけることができなかった。啓太が答えるのに戸惑っていると、
「これが一キロのドライ、これが二キロのドライだ。」
と言いながら大小のドライアイスを啓太に見せた。啓太は厚めの紙に包まれた一キロのドライアイスと二キロのドライアイスを持ち比べたがどのドライアイスがいいのかわからなかった。
「僕はコンビニの店長をしています。停電した時にアイスクリームや冷凍庫、それに牛乳などを並べているオープンケースに入れるドライアイスが必要なんです。」
と啓太は言った。啓太はどれだけのドライアイスを買えばいいのか男のアドバイス聞きたかったが、男は、
「あ、そう。」
と啓太の話を軽く流して、
「何個買うのだ。」
と啓太に言った。どうやら、男は啓太にアドバイスをする気は全然ないようだ。啓太は男からアドバイスを受けるのは諦めて自分で氷や冷凍食品の入っている冷凍庫やアイスクリームの入った冷凍庫や日配コーナーに必要なドライアイスの数を予想した。啓太は二キロのドライアイスを十個買うことにした。
「それじゃあ、二キロのドライアイスを十個下さい。」
と啓太が言うと、男は大きなビニール袋にドライアイスを五個ずつ入れて両手で持つと啓太に何も言わずに事務所の方に歩いて行った。
男はカウンターに入ると不器用に人差し指だけでレジのキーを打った。レジの画面を凝視してから、
「六千三百円。」
とぼそっと言った。
「え、六千三百円。」
啓太はドライアイスの値段の高さに驚いた。
「そう、六千三百円。」
男はモニターを見ながら念を押すように言った。
十個で六千三百円ということは一個六百三十円である。二酸化炭素を圧縮して作った小さな塊が六百三十円もするのだ。ドライアイスは啓太が予想していた値段よりはるかに高かった。利益三十円のアイスケーキ二百十個を売り上げた利益がドライアイスの購入費になるのだ。すごく高いと啓太は感じた。しかし、氷やアイスクリームが溶けて廃棄処分するよりはいいかもしれない。啓太は一万円札を出した。男は再び人差し指だけでモニターとキーボードを交互に見ながら打った。
「おつりは三千七百円か。」
と男は呟いて三千七百円を取り出しと、男は、
「はい。」
と言っておつりとレシートを啓太に差し出した。男が差し出したおつりとレシートを受け取り、両手にドライアイスの入ったビニール袋を持つと、啓太は事務所を出た。


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