一歩前進!!
ニュースで東京電力の会長が福島の原子炉を廃炉にすると明言しました!!http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110330-00000624-yom-sociまずは一歩前進ですね昨日お会いした真弓先生も原発には反対を唱えています。それも30年以上前から。昨日も先生が新聞に論壇として載せていた記事のコピーを頂きました。1986年の新聞の記事でした。ずっと前から原発の危険性を認識し、廃炉にすべきという記事でした。今回の災害からずっと自分の生い立ちとの縁を感じていました。書こうかどうしようか ずっと迷っていたのですが廃炉のニュースがあったので 書いてみることにしました。私は父が転勤族だったので同じところにずっと住んではいませんでした。小学校2年生まで長崎県に7年高校3年生まで福島県福島市に10年住んでいました。長崎県はご存知の通り 原爆が落とされた場所です。福島県の私の住んでいた福島市は、中通りと言って今回の原発の場所からは多少離れていますが放射能が心配されている場所にあたります。住んでいた場所の2つが、原発や原爆に縁がありました。また、私の母は私が生まれた頃から、ずっと平和活動をしていて長崎にいる時には よく長崎平和公園へ連れて行かれましたし平和祈念像も子供心によく覚えています。原爆が落とされた日は 黙祷をしに行っていました。家の近所には、原爆の被災者のおばあさんが住んでいて母と交流があったので、時々会うことがありました。車椅子に乗っていたのを覚えています。子供心にはちょっと怖かったかな。子供の頃から原爆の恐ろしさ等を母から教えられていました。母はずっと核兵器に反対する活動をし原発反対の活動をしていました。住んでいたのが福島だったのもあって福島原発についても色々と勉強会を開いて30年以上前からずっと廃炉にすべしという活動をしていたので私も高校生の時に 原発反対の署名をしたのを覚えています。今回の災害が起きた時に母にどう思うか聞いてみたら「ずっと前からわかっていたのにね・・・」「事故が起こる前に防げなくて本当に残念だ。」という淡々とした答えでした。もっと怒ったり、くやしがったりしているかと思ったのですが起こってしまったことは起こってしまったこととして淡々と捉えていました。私はずっと母の活動を見ていて割と冷めた目でみていたと思います。だって周りの人があまりにも無関心だったから。報われない活動をしている母をみてとても悲しかった。あんなに一生懸命やっているのに理解してもらえない。賛成してもらえない、しまいには変な目でみられてしまう。それが子供としては、悲しかった。原発反対の署名 友達にもしてもらってって母から紙を渡されて友達にお願いしてみても 署名した人が何人いたか・・・。福島に住んでいる人でも原発には無関心だった。原発反対派は圧倒的に少数だった。でもやっと原発って本当に必要なの?って考えてくれる人が増えてちゃんと原発を知ろうってしてくれる人が増えて母のやっていた活動とは関係ないのだろうけれど正直嬉しいです。知ることって大事です。まだ原発のことをよく知らないって人は過去記事にも書いたので読んでみてもらえると嬉しいです。いろんな人がブログに記事を書いているので他の人のブログも読んでみて欲しい。14歳の中学生アイドルのブログも素晴らしかったです。武田邦彦さんのブログもチェックしています。そして、なぜ母が報われないことを膨大な時間を費やしてまでやっていたのか。。それはきっと100年後、200年後の未来を思ってのことだったのだと思います。それは、子供を産んだ今の私も同じ気持ちです。独身の方や子供のいない方にも 100年後、200年後の未来を思ってくれる人はいると思いますが子供を持つと切実に思ってしまうのです。この子が私の歳になった時にも自然溢れるきれいな地球であるようにと。私の子が結婚して、子供を産んでその子が大人になった時も安心して暮らせる世界でありますようにと。どうしても母は願ってしまう。本能なのかもしれません。その為に 自分にできることをやる。私は、原発は危険だと思っています。特に子供達の未来を奪ってしまうものだと思います。だから原発には反対します。1人1人の想いが 未来を変えることを祈っています。読んでいただいてありがとうございました。