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関係力(相対性)経済学RELATIVITY ECONOMICS

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2010.01.05
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ミミズに脳がある。しかし、一点に集中していない。一本の神経繊維が頭から尻まで通っていて、所々神経節というようなもじゃもじゃの糸玉があって、それがどうやら脳らしい。これを分節脳という。

ミミズの脳2.jpg


これが、高校の生物の先生から教わったミミズの「分節脳」の話である。この話にはおまけがついていて、

人間にもこの名残がある。たとえば膝小僧の直下にある反射球が分節脳の名残である。


ぼくの高校1年の時に、当初、生物の授業がなかった。なにやら先生が亡くなったということで、後任の着任が半年ほど遅れた。ずっと休講だったが、途中から春田先生が「本郷の研究室」(東大大学院理学研究科)から着任された。そのため先生はとてもおだやかな口調なのだが、断固として、「遅れを取り戻すため ぼくが授業内容をすべて黒板に書くから それをノートに丸写しにしてください」と宣言された。細かい文字でびっしり、黒板の端から端までをいっぱいに使って板書された。印象的だったのは、先生は左ぎっちょだったことだった。びっくりした。これを全クラスなさったのだから恐れ入る。身体は小さく小柄だったのだが、後で聞くと登山部にいらっしゃったそうで、戸山高校の登山部の部長をしていただいたと聞く。だから、エネルギッシュに板書されたのである。

春田先生で忘れられないのは左ぎっちょということだけではない。進化論でもぼくと激しく対立した。高校1年で今西錦司先生の進化論にのめり込んでいたぼくは、春田先生の教科書通りの進化論にかみついた。というか、実態は逆だったかな?と今思っている。ぼくがもともとダーウィニズムが大嫌いで、教科書はダーウィニズムだったので、それに疑問を投げかけたら、春田先生が、今西錦司先生の進化論の本を貸してくれたのかも知れない。

うん、たぶんそうだろう。

いずれにせよ半世紀以上も前の記憶である。

もう一つ春田先生で忘れられないのは、上述したミミズの「分節脳」の話である。ぼくは「分節」というところに強く惹かれて、記憶が今日まで保存されているのだろう。何しろ「民主的」のような気がしたからである。写真のぼくが描いた図は春田先生が板書してくれたものを思い出して描いてみたものである。

現代のミミズの解剖学の知識では、日本語でも英語でも、ちゃんと頭のてっぺんに「脳brain」と書いてある。けっして「分節脳」という言葉がない。ところが、ミミズの血管と心臓の関係が分節心というにふさわしい形を取っている(赤茶の線)。掲載した解剖図には5対の分節心が描かれている。

ミミズの分節脳.jpg

そこで、ぼくは春田先生が、血管と神経と混同されたのではないかと思った。いや、これもぼくが混同して記憶したのかも知れない。どうであれ、「分節脳」という言葉がどこにも見つからない。でも・・・こだわりたいのだが、神経コードの解剖図をよくみると分節化しているようにも見える(ピンクで塗りつぶしてある)。図で「脳」とされているところは単なる神経コードの端に過ぎないのではないだろうか?それを中枢と見立てるには問題がありそうである。中枢はやはり分節化されているのではないだろうか?

専門家のお目にとまったら教えていただきたい。

ぼくは、この「分節脳」という概念を用いてネットワーク理論を再構築したいとおもっているからです。


後記:
検索で「春田 生物 戸山高校」でヒットしたページがあった。

「戸山高校新聞」1956年5月15日号に春田俊郎先生のインタビュー記事がある。

その中で先生はこんなことをおっしゃっている。
◇「去年は森川先生のあと二ケ月のブランクもうめるつもりでい私としても面白くない授業をやつたのですが、今年は、運動場へ出てみたり、スライドを見たりして、もう少しゆとりのある授業をやりたいと思つています。戸山の生徒ですか?一応みんな東大を志望しているのでしようが、一有名校に集中する傾向の中では戸山もしようがないと思うんですよ。」こうおしやつてたばこの灰を落された。

半年の休講というのはぼくの勘違いで2ヶ月の休講。この記事はぼくが春田先生から学ばせて頂いた翌年に書かれたものである。たしかに「面白くない」授業であったが、学ぶところが多かった。





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Last updated  2010.01.08 11:07:40
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