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テーマ:生き方上手(689)
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●部分焼却
●火葬場って葬儀の中で一番泣ける瞬間だと思う。 故人様の姿かたちはもう今生では二度と見れなくなる。存在しなくなる。 故人の魂は忘れなければ永遠かもしれないが、形ある物はいつか壊れる。 そして存在しなくなるのは言い知れぬ悲しみである。 それが本人もまだ生きているうちに本人の一部だったら? ●病状・事故などによっては体の一部を切除しなければいけない事がある。 腫瘍が出来てしまったり、壊死してしまったり。 もうその機能が復活する事が出来なければ、あると返って邪魔、悪影響がある場合がある。 糖尿病の方は足が壊死してしまうので足が切除されている故人様がいる。 「今日の故人様は足がないのか~、足袋をつけることが出来ないな~(゜゜)」 とは思ったものの“足の行方”は考えた事がなかった。 足は切除され焼却されていた。 ● 病院から葬儀屋さんに“部分焼却”の依頼がくるそうだ。 依頼されると葬儀屋さんは部分をもって火葬場に預けて火葬してもらう。 希望される方には小さな骨壷に入れて返却してもらえる。 火葬場でご遺体の焼却のみ(焼のみ)は(地域差はあるかもしれない) 私が聞いたところでは¥45,000-部分焼却だと¥9,500-で割り高である。 最近の新しめの火葬場の釜は“レンジバーナー” つまり半分は電子レンジのようなものなので昔より焼却時間が短い。 電子レンジのようなものなので火葬場の担当してくれる人=火夫さんの本音いわく 「釜が壊れるので金属類(燃えない物)はやめてくれ」なのだそうだ。 たしかに電子レンジにアルミホイルは厳禁だ。 火葬場で部分用の小さな釜があるのは見たことがないので、火夫さんが上手にお骨になるように焼却しているのかもしれない。 ●聞いた事があるのが、体の切除した部分がもうないのに“痛くなる”という話。 痛みの記憶だけが残るという現実の思い。 無くした自分の体への取り返しのつかない悲しみから意識にそのような意識を残させるのかもしれない。 頭部の手術をした故人様の頭蓋骨を「コレも一緒に棺に入れてもらえますか?」と言われたご葬家もいた。 もちろん燃えるもの、元は故人様の体の一部なので当然入れる事は可能だ。 普段この仕事をしているのに頭蓋骨を手渡された時は正直“ギョッ(◎ ◎;)”とした が、たしかに故人様と一緒に火葬するのがBESTな選択だろう。 また、片足を切除した故人様のご家族は 「ない方の足があるようにバスタオルで形作ってもらいたいのですが。」との希望。 ない足のほうにバスタオルを筒状に丸め、旅したくである足袋と脚半をつけた。 納棺されると布団がかかるので足元は当然見えなくなる。 弔問に見える方は切除した事を知らなければ分からないのだがそれでも 「見せ掛けだけでもあるように・・・」そう願うのだ。 ●あったモノが無くなるから悲しい。 逆にいうと【五体不満足】の乙武さんのように 「最初からナイけどそれが普通だよ、なんかおかしい(・・)?」 というスタンスもたしかに冷静に考えると納得がいく。 五体満足である事を日常では忘れてしまう。 あるだけで幸福ということ、支えられていることを忘れてしまう。 多少、足が太くても、臭くても、毛深くても・・・(~_~;)『縁』があってもらった体だ。 あるということに、感謝しなければいけない。 なにかの理由で体の一部機能を失う事になる人もいる。 だがその悲しみを克服したくましく生きている方も沢山いる。 さらに失ったものの変わりに“強さと輝き”を身に付ける方もいる。 最も敬意を払わなければいけないだろう。 火葬場で最も悲しみが深いのも決定的な断絶を味わう事になるから。 故人の象徴である体が消失してしまうから。 当たり前にあったハズなのに、その結びつきが物理的にどうにもならない理由で途切れた時を“断腸の思い”というのだろう。 体も心も人との交流も“結びつき”があってこそ、人は喜びを持てるのかもしれない。 【 今日の教訓 】 何かが“ 途切れる時 ”人はもっとも悲しい。
・・・・・実はどれを押しても同じなんですが(~_~;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月25日 21時00分58秒
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