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人生は「CARPE DIEM」

人生は「CARPE DIEM」

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2012.12.15
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カテゴリ:Music
おはよん!ございます。

きょうは土曜なのに比較的アップが早いですね。

その理由は、ゆうべは真面目に直帰してコツコツと執筆したからなんですね~

いつもこうだといいのですが。


さて、きょうは仕事が休みという方も多いのではないでしょうか。

そこで今回は、もしT-BOLANというロックバンドについて興味がおありでしたら、ぜひじっくりと読んでいただきたい内容にしました。




【1990年代のT-BOLAN】
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私は昔からずっと朝日新聞を購読しておりまして、土日のみに発行される「be」という別紙もたまに読んでいます。

その12月8日付けのbeで、今年17年ぶりに復活したロックバンド「T-BOLAN」のボーカル、森友嵐士について特集していました。
  • 画像25 001.jpg


ざっくりした内容は、森友嵐士が声を失ってからそれを取り戻すまでのドラマでして、T-BOLANの大ファンの私はそれを読んで感動してしまいました。

したがいまして、このブログを読んでいただいている方にもぜひ情報共有していただければと思います。

以下の文章は、朝日新聞「be」からの引用です。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


T-BOLANのボーカル、森友嵐士さん(47)が最初にのどに異変を感じたのは、1994年12月のことだった。
翌95年3月まで続く全国ツアーのリハーサル中、声を出そうとしても「息だけが漏れる」という事態に陥った。

ただ、無理に声を出そうとすれば、出せなくはない。
ツアーは全18公演。
このうち16公演までをやり抜いたとき、医師に止められた。

声帯結節。
声帯が炎症を起こしてタコのようなものができる病気だ。
無理がたたったのだ。

残す2公演の会場は大阪厚生年金会館(当時)。
会場設営などの準備は進んでいた。
それに森友さんらを待つファンの中には、この年の1月17日に関西地方を襲った阪神大震災の被災者が大勢いるのに違いなかった。

「被災したファンにオレたちができるのは歌うこと」。
公演を中止しようとしたスタッフを振り切り、森友さんは2公演を歌い通した。




【インタビューに答える現在の森友嵐士1】
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代償は大きかった。
森友さんは歌うどころか、会話すらままならなくなった。

「少し休めば大丈夫だろ」。
ドラムの青木和義さん(46)やベースの上野博文さん(47)、ギターの五味孝氏さん(46)らはそう思っていた。

しかし、声帯異常は治ったものの、最初に異変を感じたときと同じように声を出そうとしても「息だけが漏れる」状態が続いた。

「なぜ出ないんだ」
森友さんは医師を訪ね歩いた。
しかし、どの医師からもはっきりとした診断が出ない。
スタジオでも無理に歌おうとした。

CDから聞こえる自分の歌声を再現しようとした。
できるはずはなく、マイクをたたきつけ、CDを壊した。
「過去の自分に負けているような気がした」

いらだちの中、足が向いたのが、山梨県の河口湖のそばにあるログハウスだった。

河口湖は、1991年のデビュー後、プロモーションビデオの撮影で訪れ、一目ぼれした所だ。
ログハウスはその撮影の翌日に購入したという。

きらきらと輝く静かな湖と、それを取り囲むような奥深い森、そして日本一の山、富士山を間近に仰ぎ見ることができた。

「東京にいると、自分が疲れていることにすら気づかない。ここに来て『ああ、疲れていたんだ』と気づくんです」。
森友さんは、東京から何度も通っては、このログハウスに滞在し、河口湖周辺を散策した。

自分のことをT-BOLANのボーカルだと知る人は周囲にいない。
山菜やキノコ採りにきた人たちと、何げない言葉を交わしたり、お弁当のおにぎりを分けてもらったりした。

そして、湖から車で十数分にある全国育樹祭記念広場で見つけた「自分だけのステージ」へ向かった。

芝生が広がる中で周囲より少し高く整備された場所だ。
スポットライトも、バンドの仲間も、ファンもいない。
でもそこには、すそ野を広げる富士山が迫り、その威容は胸に積もった悩みを、とても小さいことに思わせてくれた。

目を閉じれば、仲間とファンに囲まれた熱気に満ちたステージがよみがえった。
「ここが今のオレのステージだ」。
音楽シーンから姿を消した森友さんはそう思っていた。




【インタビューに答える現在の森友嵐士2】
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T-BOLANのボーカル、森友嵐士さん(47)の声は、なぜ出なくなったのか。
1995年3月の大阪公演から4年が過ぎた99年、ようやく病名がついた。

心因性発生障害。
この障害が出る原因は患者それぞれで違い、決まった治療法はない、とされた。
医師は森友さんに「明日には治るかもしれない。10年経っても治らないかもしれない」と告げた。

活動再開を期待されるT-BOLANにとって、厳しい「審判」だった。
「10年経っても…」の言葉に、メンバー4人は解散を決めた。

ドラムの青木和義さん(46)とベースの上野博文さん(47)は、別のバンドを組むなどして音楽を続けた後、ともにプロの世界から離れていった。
ギターの五味孝氏さん(46)は、別の歌手のサポートギタリストに。
メンバーはそれぞれの道を歩き始めた。

そして、森友さんは山梨県の河口湖に通いつつ、専門家から支援を得て、声を取り戻す闘いを続けた。

ボイストレーナーの福田美代子さん(69)も支援者の一人だった。
耳鼻咽喉科の医師を通じて森友さんと出会った。

「気負って無理をしていて、痛々しかった」。
そんな第一印象から「心と体のバランスの修正」にまず取り組んだ。

奨励したのが、森友さんが知人に誘われて始めた渓流釣りだった。
釣りをしていると、川の流れる音と太陽の光に包まれ、声が出ないことを忘れられるようだった。
釣りの話をする森友さんからは、ピリピリした雰囲気が消えたという。

しかし、森友さんは「釣りなんかしていていいのか。現場から逃げているのではないか」と自分を責めた。
これに対して福田さんは「心と体の両方の状態が良くなってこそ、きちんと声がでるようになる。
釣りも声を出すために必要なこと」とアドバイスした。

「思えば、曲を作るのにも歌うのにも『完璧』を求めてきた。できたことをほめるのではなく、できないことを責め、自分で自分を追い込んだ。それが声が出なくなった原因だと気づき、『自分を許す』ことを知った」と森友さんは話す。


【Part2につづく】






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最終更新日  2012.12.15 09:57:51
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