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カテゴリ:ぶらりの生活
上野発の夜行列車篇から 代行バス posted by (C)きたあかり というわけで、到着から一時間後に代行バスがきました。 結局、列車はここで運転中止(運休)となりました。 先行の列車が途中で立ち往生しているようです。 列車が遅れたり、運休になると駅員さんに怒鳴りちらす恥ずかしい 人がいたりするわけですが、そんなコトもなく乗客はバスに乗り込み ました。 駅員さんもどこかノンビリしていて、いい意味で昭和してい ます。 まぁ~新幹線でもなく高速バスでもなく、交通事情の悪い厳 冬期にあえて寝台列車をチョイスした自分からすれば、ここまで無 事に運行してくれただけでも感謝です。 当初の予定では弘前で途中下車して、ストーブ列車で金木に向かう はずでした。 斜陽館と津軽三味線会館は旅のメインでしたが時間 的に無理なので諦めます。 予定より3時間半遅れて青森に到着しました。 ちなみに特急料金は 返してくれました。 バスの車窓から見る風景もそれなりに面白かった のですげぇ~得した気分です。 駅から5分ほど歩いて青函連絡船に 向かいます。 八甲田丸 posted by (C)きたあかり 煙突に書かれたJNR(旧国鉄)の文字が泣かせますね。 当然ながら、青函連絡船は20年以上前に廃止になっているので、これ は記念館として港に係留されている八甲田丸です。 お台場にあった船 の科学館にも同じ青函連絡船の摩周丸が係留されていましたが、閉 館して、どうなっちゃったんでしょうね。 館内の様子↓ P2281263 posted by (C)きたあかり 八甲田丸地下 posted by (C)きたあかり P2281269 posted by (C)きたあかり これは当時のまま残っている可動橋です。 ↓ 青函連絡船 可動橋1 posted by (C)きたあかり 青函連絡船 可動橋2 posted by (C)きたあかり 運航当事は駅からここまで線路が延びていて、この可動橋を使って 列車や貨車を連絡船に積み込んでいたようです。 立派な近代遺産 だと思います。 いつまでも遺して欲しいものです。 さて、1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)まで80年間運航した 青函連絡船はたくさんの人々とその想いを運び続けました。 その歴 史の中には大きな海難事故がありました。 1954年(昭和29年)9月26 日に発生した洞爺丸事故です。 結果的に、この事故は青函トンネル 着工を後押しすることになるわけですが、死者1155名はあまりにも 大きい犠牲と言わざるをえません。 この事故をノンフィクションで描いたのが↓ フィクションで描いたのが↓ この二作は聞きしに勝る良書です。 『洞爺丸はなぜ沈んだか』は絶版で手に入りにくい状況 ですが、図書館に行けばあると思います。 というわけで、予定が狂ってしまったので市内にある温泉 に向かいました。 次は町中にある名湯と地元ラーメンを 食します。 まだ、つづきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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