テーマ:近代化遺産を歩く(146)
カテゴリ:近代化遺産・検見川送信所
PART1では、「検見川無線局」と書いたが、表記は定まっていないようだ(訂正済)。それくらい忘れられた遺構ということかもしれない。
記念碑には「検見川無線局跡」とあったが、ネットでの検索では556件しかなく、「検見川送信所」が13900件。こちらの方がメジャーのようなので、以後「検見川送信所」と記す。 送信所は戦時中は軍事通信として、戦後は放送などを担ってきた。貴重な大正時代の建築物だ。 現在は宅地、遊歩道の間にポツンと立っている。 今回はキャノン一眼レフ30DとRICOHのCaplioGX100をナップサックに入れてきた。フェンス越しにしか撮れないなら、望遠レンズで構え、近くまで寄れたら、CaplioGX100の広角レンズで狙うつもりだった。 フェンス近くから数枚切った後、周りを歩いてみた。敷地の角には市民農園のようなものがある。さらに野球場があって、その前に入り口があった。 取り壊し予定と聞いていたので、ロックアウトしているのかと思いきや、入り口があった。記念碑はなかった。 不法投棄されたゴミが散乱し、草木が鬱蒼としている。このところの長雨の影響で地面はぬかるみ、やや足を取られたが、近くまで行けそうだ。 ただ失敗したのは替えのシューズを持ってこなかったこと。サイクルシューズのビンディングの間に泥がハマっているのが分かる。 ネットで見た写真とは違って見えたが、それはより一層、木が勢いを増しただけだったようだ。 この建物の設計者は大正時代に活躍した氏。建物が歴史的な意味を持つだけでなく、建築物そのものに大きな価値がある。丸みを帯びた角はユニークだ。 記念碑は建物近くにあった。 しかし、無惨にも「検見川無線局跡」と刻まれたプレートは落ち、もう一つに至っては何が書いてあるのかすら分からない。 ここが忘れられた遺構であることを強調しているようだ。 1979年に廃局になったが、ここまで取り壊されなかったのは、この建物自体が頑強だったとも言われる。「東京中央郵便局」「大阪中央郵便局」など逓信省の建築物を数多く設計した吉田哲郎氏によるもの。 建物の窓、ドアの全てには赤い鉄板が打ち込まれている。 近年は歴史的な意義が忘れられ、幽霊スポットとしても知られるようになり、荒らす人間が多かったようだ。 続く 写真は30DとCaplio GX100で撮影。 《新品》RICOH Caplio GX100 VFキット Map価格 59,810円 (税込 62,800 円) EOS 30D ボディ 当社販売価格 122,800円 (税込128,940円) 送料別 去年の日記は? 2006/07/12 バックヤードシェードを撤去 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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なぜかこうして忘れ去られていく過去の構造物というものは、
心をきゅっと締め付ける力を持っていますね。 日本人が持つ、ワビサビの念? 落ちたプレートの写真には、寂しさがありますが、 その寂しさにさえ幽玄を感じてしまいます。。。 いいですね~。 普段はスポットのあたらない史跡を訪ねる旅。(^^) (2007/07/13 11:33:05 PM)
こんばんは。
必死に修復して残そうとしていたドイツと対照的なような。。。 広島の原爆ドームもそれだけが残され周りは近代的な現代そのものの光景。 文化が違うのでしょうねぇ。 1枚目のツタ?に包まれた建物は良く見かけましたね。 (2007/07/13 11:57:48 PM)
こんな遺構が首都圏に残っているんですね!
あ、首都圏だからこそ残っているのかな。 それにしても「ニイタカヤマノボレ」という無線暗号がここから発信されたなんて、 遺構としては、残すことに大きな意義がありそうな気がします。真珠湾攻撃が「軍事国家日本の終わり」の始まりだったわけですから。 鉄道ネタですが、たぶん割と近所を走っている津田沼と松戸を結ぶ新京成電鉄は、 もともと津田沼にあった旧陸軍の鉄道連隊 (占領地に鉄道を建設する部隊)の持ち物だったらしく、それはそれで今に生きる遺構ですよね。 曲線を敷設する訓練をひたすら行っていたらしく、 それが、沿線はなだらかな丘陵地なのに直線が少なく極端にカーブが多い、という現在の新京成線ならではの線形につながっています。 (2007/07/14 06:46:14 AM)
音楽と薔薇☆うっちいさん
>なぜかこうして忘れ去られていく過去の構造物というものは、 >心をきゅっと締め付ける力を持っていますね。 人間は忘れても、建物が「忘れるな」という強い意志を持っているように思えます。 >日本人が持つ、ワビサビの念? >落ちたプレートの写真には、寂しさがありますが、 >その寂しさにさえ幽玄を感じてしまいます。。。 このプレートはあるがまま、無作為に撮ってみました。 >いいですね~。 >普段はスポットのあたらない史跡を訪ねる旅。(^^) 金も時間もかかっていません(笑) (2007/07/14 10:09:17 AM)
アンビンバンコさん
>こんばんは。 おはようございます。 >必死に修復して残そうとしていたドイツと対照的なような。。。 ヨーロッパの場合、ただ残そうというだけではなく、それを使おうとしますよね。 >広島の原爆ドームもそれだけが残され周りは近代的な現代そのものの光景。 >文化が違うのでしょうねぇ。 広島は行ったことがないんですよ。 先日、広島出身の女性と話しましたが、ドームの中身も以前と今では違うようです。展示物が以前よりもソフトになっていると聞きました。昔のはかなり衝撃的だったそうですが、あまりにも悲惨という声があり、ソフトになったとか。 しかし、あまりにも悲惨というのが戦争の現実であったりするわけですが。 >1枚目のツタ?に包まれた建物は良く見かけましたね。 植物は元気ですよね。 (2007/07/14 10:14:18 AM)
まさやん0386さん
>こんな遺構が首都圏に残っているんですね! >あ、首都圏だからこそ残っているのかな。 割と駅ちかですし、珍しいかもしれませんね。 >それにしても「ニイタカヤマノボレ」という無線暗号がここから発信されたなんて、 >遺構としては、残すことに大きな意義がありそうな気がします。真珠湾攻撃が「軍事国家日本の終わり」の始まりだったわけですから。 戦争遺構であり、文化遺構でもあるように思えます。いろんな意味できちんと残す価値が十分にあるのではないでしょうか。 市の所有であれば、移築なり、保全なりをしてほしいと思います。 >鉄道ネタですが、たぶん割と近所を走っている津田沼と松戸を結ぶ新京成電鉄は、 >もともと津田沼にあった旧陸軍の鉄道連隊 >(占領地に鉄道を建設する部隊)の持ち物だったらしく、それはそれで今に生きる遺構ですよね。 詳しいですね。今後、その話題も取り上げる予定です。 >曲線を敷設する訓練をひたすら行っていたらしく、 >それが、沿線はなだらかな丘陵地なのに直線が少なく極端にカーブが多い、という現在の新京成線ならではの線形につながっています。 鉄道隊が実際になにをやっていたのか、僕には分からなかったのですが、そういうことだったのですね。 物の形にはきちんと意味があるんですよね。 (2007/07/14 10:20:26 AM)
しぇるぽ911さん
>堅いコンクリートに丸い角・・・・近代建築の歴史を語る上でも貴重な建物のようにも感じますね。 吉田哲郎という人の建築物は今もいくつか残っていますが、その中でもユニークな形状をしています。 ドアノブを手で触れないというほどの神経質な方だったそうで、その細やかさが建築物にも現れているのかなと思いました。 (2007/07/14 10:23:10 AM)
part2, part3 があったんですね!
トラックバックを辿って来ると1つに記事しか表示されず、気付きませんでした。 この記念碑ですが、今年の5月にはこのネームプレートはなかったです。 碑にもくっついていませんでした。 どこから出て来たんでしょうね? その辺に落ちていたのを誰かが拾って置いたのかな? (2007/07/14 01:23:27 PM)
シンさん
>part2, part3 があったんですね! >トラックバックを辿って来ると1つに記事しか表示されず、気付きませんでした。 分かりにくくて、すみません。 一応、「続く」と書いたので、読んでいただけるかと期待したのですが、ブログの勝手が違うと、分かりにくいですよね。 Part2,3のトラックバックもいただいてかえります。 >この記念碑ですが、今年の5月にはこのネームプレートはなかったです。 >碑にもくっついていませんでした。 立てかけられていました。 >どこから出て来たんでしょうね? >その辺に落ちていたのを誰かが拾って置いたのかな? そうなんでしょうね。盗まれないかと心配です。 (2007/07/14 04:05:48 PM) |
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