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カテゴリ:格闘技
輪島!!懐かしいですね!!
ゴールデンアームボンバー!! プロレススターウォーズにも、たくし出てましたね!! プロレススターウォーズ感動したなぁ。。。 しかし、輪島、北尾、ボノちゃんと、ぱっとしないですね。。。 朝昇竜だったら、けっこうおもしろそうですけどね。 元横綱の輪島さん、久々の国技館…大相撲中継のゲストで 久々に国技館を訪れ、解説をする輪島大士さん=清水健司撮影 亡くなった初代貴ノ花や北の湖と一時代を築いた元横綱の輪島大士さん(61)が18日、大相撲中継のゲストで両国国技館を訪れた。 1985年12月に相撲協会を退職して以来、生の本場所観戦は23年ぶりという。 館内をじっくりながめた輪島さんは「初土俵みたい」。やや緊張気味の解説だったが、現役力士の特徴を1週間前から勉強したそうで、相撲通のタレント、デーモン小暮閣下との掛け合いも楽しそうにこなした。 旧国技館時代は「蔵前の星」と呼ばれたが、「私の時と違い、今は大型化してパワーがすごい」と感心。「両横綱が強くて盛り上がりそうだ」と期待していた。 プロレス時代 大相撲を離れた輪島は、1986年に全日本プロレスに入門。全日本の総帥ジャイアント馬場のツテでアメリカの名レスラー・パット・オコーナーやネルソン・ロイヤルから指導を受ける。身体能力は高かったが、大相撲のクセが抜けずに「倒した相手を寝技に持ち込むことをせずに待ってしまう」という致命的な欠点があった。本人曰く「相撲では足より上が土俵(地面)に付くと負けになってしまうから、どうしても背中をマットに付けることに抵抗があった」とのこと。プロレスの基礎を十分学ぶだけの下積み期間がなかったのも事実といえる。また阿修羅・原のバックドロップを受ける際に恐怖心からか体を横にひねってしまい後ろ受身を取り損ねて首を負傷することも。 そういった経験不足の状態でありながら、馬場とタッグを組んで、アメリカにてデビュー戦を行う。相撲技の「喉輪」と「かち上げ」を合体させて開発したという、オリジナルの必殺技ゴールデン・アームボンバー(喉輪落とし)で快勝したが、プロレスとしての見せ場を作る技術は低く、目の肥えたファンからは厳しい評価も下された。なおゴールデン・アームボンバーは輪島引退後の全日マットで田上明が復活させ、後に高角度喉輪落とし(チョークスラム)へと発展していく。他に片足抱え式のバックドロップも得意としていた。 「お守り」として馬場が付いたタッグでのデビュー戦や、移動の際に一般レスラーのようにバスでなく新幹線を使うなどの特別待遇があった。このためマスコミは「他の選手が反発し、レスラー仲間がほとんどいない」などと悪意的に報じ、巡業中の輪島の様子を心配する記事が週刊プロレスにも掲載されている。しかし仲田龍によれば、輪島自身が馬場や会社から特別待遇を受けていることにあまり快く思わない他の選手のことを気にしていたらしく、若手レスラーに食事を奢ったり、随分年下のレスラーや社員にも敬語を使い、年下である渕正信らのアドバイスを熱心に聞くなど、周囲に大変気を遣っていたそうであり、また練習もきちんと行っていたとのことであり、「全く仲間がいなかった」「練習をしなかった」というレッテルは間違いであることが分かる。 また輪島デビュー前に全日本プロレスから取材拒否を受けていた週刊プロレスの巻頭記事で、当時全日本と業務提携していたジャパンプロレスの大型新人であった馳浩が「輪島さんと同じリングに上がるんですか!?」と否定的な言動をしたという記述がされたが、これは後に馳本人により否定される。ジャパンプロの長であった長州力も新日本プロレスから北尾光司を契約解除する際に北尾と比較して「輪島は一生懸命やっていたからな」と語るなど、リング上ではすれ違いに終わったジャパン勢からもその姿勢は認められていた。 リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦、スタン・ハンセンとのPWFヘビー級新王者決定戦に出場するなどマッチメイク面では優遇された(輪島が初登場した全日本プロレス中継で20%を超える視聴率を稼ぐなど、視聴率やチケット販売の影響と推測される)。 レスラーとしての評価は決して高くなかったが、同じ大相撲出身の天龍源一郎との絡みは非常に激しいものだった。自らのバックボーンへのリスペクトを忘れない天龍は、その世界で最高峰を極めた輪島に対し「強くあってほしい」と願い、それが輪島への厳しい攻めにつながった。煮え切らない試合を続けていた輪島もそれに触発され、天龍が放つ容赦のない蹴り技を真っ向から受けるなど迫力ある対戦となった。相撲では格下だった天龍(天龍の生涯最高番付は前頭筆頭)が、格上の元横綱を激しく蹴りまくるという展開は、プロレスを八百長視していた層にも少なからぬ衝撃を与えたと言える。当時新日本にUターンしていた前田日明はこの2人の試合を見て「これはヤバイ。あんな事をやられたら、自分らの存在意義がなくなってしまう」と危機感を抱いていたという。 必殺技のゴールデン・アームボンバーが、後年「喉輪落とし」として多くのレスラーに使われたり、同じ角界出身の天龍と激闘を展開したりとそれなりの活躍を見せたが、徐々に精彩を欠くようになり、大相撲時代から仲の良かったプロレスラー石川敬士の退団と同時に1988年12月に引退した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 18, 2009 09:39:23 PM
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