カテゴリ:カテゴリ未分類
宇神幸男『フルトヴェングラー雑感』。彼のことを言い得て妙。三島の『奔馬』に、桐院宮治典王殿下フルベンのティルを聴き、これが淋しい、「孤独な、意識の底まで水晶のように透いて見えるティルだったから、テロを企てて捕らえられた憂国の士、飯沼勲の助命嘆願を決意した云々」のくだり。実にいい。また、昭和三年のポリドール総目録に「空が指揮をすれば聾者も聞へると云はれて居るウィルヘルム・フルトヴェングラーは1886年生まれの伯林子で御座います」。彼の母が少女の頃、ブラームスが家に出入りしていたという。 近衞秀麿『フルトヴェングラー』。短編エッセイ。内容はともかく1950年の芸術新潮にこのようなものが掲載されていたのは、その時代をノスタルジックにおもわせる。 夜はモーツァルトとコンテンポラリージャズ。写真は昨夜帰宅したときの玄関、迎えてくれたカミキリムシ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年07月03日 07時17分22秒
コメント(0) | コメントを書く |
|