梅林庵
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平成25年11月24日(日) 快晴。 昨夜はノンアルコールと決めていました。しかし、緊張して寝つかれなかったらまずいな、缶ビール1本飲もうか。グビグビ。日本酒も飲みたいな。1杯くらいならいいか。グビグビ。うーん、もう一杯だけ。グビグビ。冷やで都合2合。でもよく眠れませんでした。午前2時前に床を出て読書。目が冴えて、まずいと思いました。も一度蒲団に入りました。ウトウトして、午前4時、決まりをつけました。 今日は「諭吉の里なかつハーフマラソン」の日でした。午前5時過ぎに家を出ました。まだ真っ暗でした。妻も一緒でした。彼女は10kmを歩きます。高速道路を北向けに走りました。別府湾SAでトイレ休憩。日の出前の空が赤く染まっていました。大分市と別府市に夜景の名残。その間に猿で有名な高崎山が鎮座。いい感じのトワイライトでした。しばし見とれました。おっさん数人が、同じ景色に見入っていました。スカートをはいた若い女性がベンチに座り、大あくびをしていました。 7時半、三光総合運動公園に到着しました。ここの陸上競技場は満足のいくスタンドがありません。しかし綺麗なタータンと、よく手入れされた芝は上等です。妻のスタートは午前9時半。私のハーフは10時10分でした。この大会に出るのは3回目です。以前、八面山平和マラソンと呼ばれていました。当時は10kmの部しかありませんでした。ということで初めてのコースです。どんな地形か楽しみでした。 3キロまでは平坦でした。そこから折り返しまで緩やかに上りが続きました。入りを抑え、4分40秒前後で刻みました。復路に入って、さあいくぞと気合いを入れました。4分10秒台に上げました。15kmあたりで一杯になりました。苦しかったですが、粘りました。4分30秒台に落ちましたが、そこまで抜きつ抜かれつだった何人かを、残り4kmあたりで振り切りました。嬉しかった。記録は1時間35分台でした。まあまあのタイムでした。写真はゴール後の私です。二の腕に潮が吹き、かんまんごしのユニホームも胸のあたりが白いまだら模様に。乳首はカットバンのおかげで、事なきを得ました。 ウォーキングから戻ってきた妻曰く「釧路と違い、自由な感じじゃーなかったのよ。集団歩行と言っていたわ。笛を持った係の方がいてピーピー、後れをとる人に先を促すのよ。お寺やいわれのあるところで止まっては観光ガイドの方の説明があるの。住職さんのお話もあったわ。それで時間がかかったの。喉が渇いて仕方がなかったのよ。でも其処此処の紅葉は見事だったわ。あなたに見せたかった。秋の夕日に照る山もみじという歌があるけれど、その2番はこんな風情ね、と思わせる感じなのよ。きてよかったわ。カメラを持たなかったのが残念」 走った人・歩いた人、応援に来た人にも「はずみ鍋」のサービスがありました。 豚汁です。何でそんな名前がついているのか、係の人に訊いてみました。概略は次のとおりです。20年ほど前、中津・三光地区に鍋を使った汁があった、しかし大勢のお客が来るとすぐに底をついた、酒の席で有志が大鍋を作ろうと言いだし、写真のものをこさえた、せっかくだからと名前を募集したところ、100通近い応募があった、「未来へ、創造へ、はずみを!」というフレーズが選ばれ、その名がついた、名付け親は永代無料の食べる権利をもらった云々。そうか、この鍋、普段は有料で販売するんだ。今日の無料は特別なんだ。 妻の写真です。隣は、話が弾んでずっと一緒に歩いたという女性。彼女は、ご主人と二人してウォークに出る予定が、急に東京出張になり、一人参加となった由。知り合いのいない同士ということで打ち解けたとのこと。新婚さんのようでした。若い人は肌が違います。 腹の膨れた妻が言いました。「あなた、せっかくここまできたんですもの、耶馬溪に行ってみたいわ、紅葉が綺麗と思うわ」そうしました。日田往還とよばれる国道212号を山国川に沿って走りました。その名の由来は、天領日田に代官所があって小京都と呼ばれ、物資とともに文人墨客が行き来した歴史街道だからだそうです。混んでいました。最後の秋を楽しもうという人が多かったのでしょう。 耶馬溪の名所「青の洞門」を車でくぐり抜けました。菊池寛「恩讐の彼方に」の舞台です。彼の小説を知らずとも、禅海和尚(作品中の名は了海)の実話は、大分の小学生なら誰もが知っています。川の難所に鑿でトンネルを掘る話です。地元の実話として小学校の副読本に利用されていると聞いたことがあります。菊池寛はこの前後を脚色し、仇討ちのストーリーに仕立てました。名作です。 横道にそれますが、この大作家、名は有名です。調べてみました。文藝春秋を創刊、莫大な利益を得ました。芥川・直木両賞をこさえたのも彼です。芥川龍之介とは東大入学の同級生でした。川端康成へ援助を行いました。その彼、或る癖(へき)を抱えていました。それは男色です。同性愛者。ただし両刀遣いでした。先になくなった小森和子(小森のおばちゃまで知られている彼女)は、彼の愛人でした。彼女は檀一雄ともその関係でした。同性愛と不倫。その彼をして、不義密通がことのはじまりとなる戯曲「恩讐の彼方に」です。 閑話休題。ここ耶馬溪は名勝でした。衝立、あるいは屏風を思わせる奇岩に、赤や黄の紅葉が混じり、いい感じです。 すぐ下を流れるのは山国川。河川公園になっていて、大きな鯉が泳いでいました。餌を売っていました。子どもが与えていましたが、食べ過ぎて満腹なんでしょう、見向きもしない。代わりにアヒルとカラスが喜んで食べていました。それにしてもこの鯉は丸々と太っている。、カナツキ(簎:ヤス)で突いたら、そうとうな手応えだろうな。でも肉は脂ぎっていて、洗いにしても駄目だろうな。 土産物屋が柿を売っていました。このあたりの特産です。試食しましたが、柿の味でした。特別、ここのが美味しいとは思いませんでしたが、妻はいい感じと言いました。 「あなた、せっかくここまできたから、深耶馬溪の温泉に入ってみましょうよ」そうしました。混雑の道を抜け、耶馬溪ダムの方へハンドルを切りました。その手前で、バイク集団の後ろにつけました。バリバリやっていました。集団ツーリングでした。これはこれで、その世界があるんでしょう。オーディオの師匠もライダーですが、彼は一匹狼です。 さて、道は羊腸を登りました。ダム脇の駐車場に車を止めました。何と、水上スキーをやっていました。海がなくてもダムがあるさ、ということなのでしょう。更に奧へと分け入りました。辺りは紅葉たけなわでした。少し開けて集落を抜けたところにありました。「モミジの湯」料金大人500円。中津市営です。掛け流し、熱くもなくぬるくもなし。露天併設、忘我の時間を過ごしました。 佐伯に戻ったのは午後6時前。「あなた、今日はお疲れさま。何か食べて帰る?」嬉しい話の逆提案でした。居酒屋「花家」へ突っ込みました。生ビールをジョッキに2杯、次いで白波をお湯で割りました。酔いの回るのが早かったです。当ては以下の写真です。 酢がき アンカラ 妻は明太パスタ 梅肉を載せている 帰宅して、ノンアルコールの妻にワインを抜栓してやりました。私はドボンチョでした。
今日の一句
走っても走っても猶終わりなし
秋天に奇岩聳えて菊池寛
辿り着き深耶馬溪は湯の優し
今日の写真は、中津市のゆるキャラ「くろかんくん」です。来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のモデル黒田官兵衛は、ここ中津藩にゆかりがあります。まちが盛り上がっています。福沢諭吉先生の出身地でもあります。
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