カテゴリ:出来事
平成27年11月23日月曜日 午前4時起床。勤労感謝の日でした。曇り。朝間、ウォーキング+ジョグ合計1時間。汗ばみました。家を出てすぐのところに山茶花が散っていました。これも初冬の風情ではあります。 K製材の隣です。柿が我慢をしていました。もうすぐカラスの餌食です。 走り終えて朝シャワー。ブランチは雑煮でした。具は、昨日、棟上げの際に拾った餅でした。薄日の射す中、妻はエンドウを植え、コマツナと高菜の種を蒔きました。私はCDの続きを聴きました。飽いて、司馬遼太郎「アームストロング砲」(講談社文庫)を読みました。池波の「人斬り半次郎」を読んだばかりです。司馬との作風を比較するのによい場面がありました。人の殺され方です。この表現に違いのあるのに気がつきました。司馬の方がリアルでした。中に収録された「薩摩浄福寺党」に、肝付又助の死にざまが書かれてあります。こうです。 ~背後の中村が、 ぐわっ と後頭部に斬り込んだ。又助は前へ突ンのめった。その差しのばした頭を、大石の刀が力まかせに叩いた。 骨にあたり、びん、と刃がそれた。が、そのまま又助は泳いで、門前の路上に倒れた。大石は走り寄って、剣を垂らし、又助の背から胸にかけて串のように突き刺した。 又助は、四肢をちぢめた。 そのまま、息が絶えた。 どうですか。「四肢をちぢめた」の行。脳から脊髄にかけての急所なのでしょう、痙攣のはしる様は、なんとも恐ろしい表現です。活きたブリを締める折、後頭部に包丁を入れます。跳ねるのをやめ、ビリビリと痙攣します。それ紛いの描写です。ここが司馬の司馬たる所以だと思うのであります。「半次郎」が生煮えだったため、その際立ちに惹かれました。「死に際の司馬遼」とは私の命名です。 午後1時過ぎ、家を出ました。仕事でした。ネクタイを締めました。会社に立ち寄り、七つ道具を車に積みました。ホテルKへ向かいました。嘉風が市民栄誉賞を受ける式典があったのでした。昨日が千秋楽でした。昨夜のうちに佐伯入りしたそうです。写真は、セレモニーが滞りなく終了、報道陣に囲まれ、インタビューを受けるの図です。故郷に錦を飾るとはこのことです。来場所は関脇です。お目出度い。それはそれとして一連の流れ、部下の差配もあって、万事うまくいきました。よかったです。 暗くなって家路に。魔がさして、いつものスーパーへ寄りました。おっ、今日は魚が安い。カマス、小サバ、それにアジを買いました。アジは漬けに、その他は三枚に下ろして酢締めに。どれもこれも明日以降の当てです。今日は餃子でした。写真のないのが残念です。代わりに魚の方を。 今日の一句 司馬遼のペン先にこそ死の宿る 今日の写真は、拙宅隣地にあるベンチです。小春日和の昼下がり、ここに座り、読書と洒落込むのが乙です。まだ一度もそうしていませんが。いつかしてみたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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