カテゴリ:人の話
平成28年5月6日(金) 午前4時起床。雨。これまでの天気とうってかわり、終日湿りました。 連休の谷間でした。廻ってくる書類が少なかったです。午前中、別階の人たちと来週半ばにある会議の打ち合わせをしました。目を通しておかないといけない書類を繰る時間もありました。 弊社から熊本方面に出っ張っていた社員二人が帰社。夕刻、ボードへの報告がありました。それを末席で聴きました。某自治体の被害家屋調査に携わったとのこと。罹災証明を発行するための確認仕事です。確認のないまま、倒壊した家屋を取り壊して片付けたら、後々、保険請求や補償の申請が出来ないのです。片付けるに片付けられないもどかしさ、察して余りある被災地ではあります。2番隊の彼等は社用車に4泊5日分の食料を積んで行ったそうでした。1番隊の一人は部下の韋駄天でした。彼も自己完結型でした。その折は車中泊でしたが、2番隊は畳の上に寝ることが出来たとのこと。現在、3番隊が出っ張っています。4番隊も派遣の予定が決まっています。ボードから労いの言葉がありました。 それに関連した野暮用がありました。会場はつね三でした。花金に加え雨模様、絶好の飲み日和でした。大将、きょうは獺祭をやってもらおうか。グビッ。うーん、やっぱり廻しが緩んでいる。藏を新調して変わりました。 今日の当ては?と訊くと即座に「ハンサコ」。イサキのことです。こちらでは麦の実る頃に旬を迎えることから「麦ハンサコ」と呼んでいます。定置の鰯もあるというので盛って貰いました。うん、いい感じ。 アジフライに鰯をミックスしてもらいました。ホクホクのサクサク。絶品でした。アルコールは白波に。忽ちありがたくなりました。 椅子一つ跳ばした向こうは出張で来佐のお客さんでした。カウンターのこちら半分は、私たちとその方だけでした。声を掛けました。あれこれの話をしてくれました。以下はその内容です。 「自分は60代後半、生まれは三重県、地元の水産高校製造過程を卒業後した、製缶会社へ就職、東南アジアの関連会社で働いた、エビ漁に携わった、数年でそこを獲り尽くしたことを覚えている、その後独立、冷凍・冷蔵庫建設とメンテナンスの仕事をしている、福岡の女性と縁あって結婚、所謂マスオだ、10人兄弟の6番目、親はどこでどうなろうと、という思いだったろう、父は他界して20年、いやそれにしてもここの魚は美味しいよ、九州一円を廻るけれど此処が一番だ」。 仕事の話しばかりでは面白くないので、趣味は何ですかと訊いてみました。 「(手をパンと打って)よくぞ訊いてくれました、私は尺八をする、吹いて50年、きっかけは国語の高校教師、土曜日の昼下がり、彼はいつも尺八を吹いていた、廊下に響く虎落(もがり)の音に魅せられた、以来手放さずが続いている、ここ10年はその製作も手がけている、勿論自己流だ、青竹がよろしい、素材選び、節の数、火で炙り脂を抜く作業、楽しいものがある、地区の高齢者教室で講師をやっている、大将、今度1本あげようか」 喜んで舞い上がる大将。吹く真似をするの図です。 午後8時、勝負の早いのが取り柄の私です。代行運転で帰宅。妻はコーラスに出かけて不在。トラが向かえてくれました。白波に喉が渇きました。缶ビールをプシュッ。バタンキュー。 今日の一句 麦熟れて暖簾大将鶏魚盛る 今日の写真はSさんにいただいた生ラーメンです。北九州にある耕治。知る人ぞ知る逸品です。ラ王禁玉さんはご存じ? 中はこうなっています。彼にいただいたのは2回目。いつも美味しいものをありがとうございます。私も時々、季節のものをあげます。筍、タラノメ、椎茸、野菜各種。こちらのものはただです。いただくのは高価です。得をしているのは私の側です。エヘヘ。 取り寄せてみたい方に以下を。ネットショップもあります。 ちなみにこさえ方は以下の写真です。手軽に本格を食すことが出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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