カテゴリ:随筆
平成29年7月18日(火) 午前4時半起床。曇。朝の内、パラつきました。午後5時前に驟雨。梅雨に戻ったような天気でした。リーマン野暮用を終えて会社の勝手口を出た時、技術屋のA君とすれ違いました。現場から戻ってきたところでした。暑いね、というと鸚鵡返し、同じ言葉が返ってきました。火照った顔、首に巻いたタオルが与太れていました。お疲れさん。 帰宅してランの格好に。ラジコで東京FMのJET STREAMを聴きながら汗をかきました。田舎道、しかも曇り空。纏わり付く湿気を帯びた空気。鬱ぎそうなコースです。しかし、この9月からメルボルン・成田間をJALが毎日運行の宣伝を素敵な音楽にのせてやってくれると、一気に海外旅行の気分。モードが切り替わります。嗚呼、遥かです。写真は走り始めてすぐ、可愛いお嬢ちゃんが犬の散歩の図。すれ違う時、足を止めての1枚です。ワンコは見ての通り犬の顔をしていますが、彼女は幼いながらも目元の涼しく額広し。長じてJALの客室乗務員になることまちがい無しです。素晴らしい人生が待っているよ。 もう1枚、ランの途中写真を。林道の取付に広がる水田です。稲の頭が垂れてきました。雀や鶸が跋扈しています。手前のドラム缶は、奴らを威嚇する道具です。ビニールハウスの骨で缶の腹をガンガン打つのです。そうしてみました。いい音がしました。しかし、1羽も飛び立ちません。いないのかな、それともこの音に慣れたのかな。 帰宅しての後はお決まりコース。汗をシャワーで流してプシュッ。 当てにモズクが出てきました。これをやると、ビールが甘くなるから不思議です。 メインはポーク。シシトウのピリリがいい感じでした。iichikoのロックで流しました。 さてと、書くことがありません。思うままを。 先日、NIKKEIコラム18歳プラスに「文庫・新書は教養の宝庫」と題した池上彰氏の文章が載りました。岩波文庫が創刊90年を迎えてのことです。氏の学生時代、文庫は古典中心、新書は数多の研究分野に関する入門書。氏は、通った都立高校の図書館にある岩波新書を全冊読破しようと張り切りました。しかし挫折。一方、文庫の方はというと、カントの純粋理性批判に挑戦。理解不能のままページを繰ったとのこと。 私も同じでした。大学生になって、デカンショくらいいはということで岩波文庫のそれらを購入。手に取りました。読み始めて、前衛芸術の画を眺めているような感覚になりました。意味がわからないのです。文面に踊る哲学用語、形而上とか悟性、自由、存在、認識、帰納と演繹、理性、唯物と唯心、ルサンチマン・・・。これを調べるため、岩波の哲学用語辞典を購入、片っ端からひいていきました。しかし、今度は辞典に書いている説明が解らない。参りました。高校時代、Sという秀才がいて、彼が英英辞典を使っていました。すぐ様真似をして同じものを買いました。使ってみると、いかりや長介の言葉通り「だめだ、こりゃ!」でした。哲学事典、何だかその折の繰り返しに似た感じでした。池上氏は、若者のこういう心のありようを「知的虚栄心」と書いています。その通りです。而して、今以て知的虚栄心を捨てることのできないまま、本を捲る杣夫です。余談ですが、Sは東大に入学しました。英英辞典を使うはずだ。 虚栄心の残る私です。デカンショ本を断捨離できず、屋根裏にとってあります。若い折に読んだ漱石を読み返すと新たな発見がある、といいます。引っぱり出して読んでみようかな。でも面白くないだろうな。やっぱり文学全集の方がいいや。 さて、新潮文庫も創刊103年だそうです。今は数多の出版社が文庫本を刊行しています。新潮文庫が他者のそれと異なるのは、栞の紐がついていることです。これが便利です。加えて紙質も一段上等のような気がします。私はこの文庫を一番好きです。 今日の一句 虚栄心井蛙だけが持っており 今日のラン 6km 今日の酒 サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 iichiko20馬力ロック2合 今日の写真は梅雨の花、ハマユウです。拙宅裏庭、蒟蒻畑の端に咲いています。白が可憐です。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|