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平成30年2月8日(木) 午前4時起床。晴れ。きつい霜でした。日中は寒が緩みました。10℃くらいまで上昇したようでした。朝一、営業車に乗り大分向け。高速道路を走りました。道中、由布・鶴見の両岳が雪をかぶっていました。遠く久住連山も同じでした。雪山、惹かれます。北海道に住んだ時は毎日このような風景を見て過ごしました。札幌は手稲、函館は横津岳。懐かしいです。最近で記憶に残っているのは数年前訪名の折、禁玉さんに案内して貰った名古屋城天守閣。そこからの中央アルプスがいい感じでした。御嶽、白山・・・。写真は東九州自動車道からの今日の眺めです。 ![]() この寒さです。新日鉄大分工場が水蒸気をあげていました。 ![]() 会議は、親会社が子会社の課長連中を集めて経営の引き締めを図る内容でした。会議室の席は、あらかじめ指定してありました。弊社は最前列の真ん中。説明の人と向かい合わせでした。その男性は知的な顔をした方でした。白魚のような指に結婚指輪を嵌めていました。すらり、目元が涼しかったです。色黒の赤ら顔、指の節くれだち、首なしの餡子男とは大違いです。唯一、こちら側の優っていたのは髪の多さだけでした。 昼前に終わりました。同業他社の方数人と情報交換をした後、帰路に。味気ない出張ですが、楽しみもあります。昼ご飯です。途中、ジョリーパスタに寄って昼食。写真がそれです。トマトソースがいい感じでした。 ![]() チェーン店オリジナルの唐辛子オイルです。タバスコと同じ感じでした。ギュッと押したら出すぎてしまいました。食べている途中、顔に汗をかきました。 ![]() 帰りは国道10号を南下。時間を要しました。弊社の高速道路料金節約がためです。でも消費するガソリンの量を天秤に掛けたらどうなんだろう。13時半に本社帰着。窓際の机に決裁や伝票の山でした。 陽の傾いて帰宅。 調べ物をしていて、高校の同級生Iが、或る離島の中学で教頭をしていることを知りました。彼は隣まち出身でした。越境入学。汽車通学でした。数学が得意でした。雑誌「大学への数学」というのがあり、それを読んだ仲です。一浪して後、私と同じ大学の理類を受験しに札幌へやってきました。私の部屋に泊まりました。頼まれて、合格発表を見に行きました。ありました。大分に長距離電話をかけました。 「あったぞ、あったぞ。合格だ!おめでとう!」 その後、寮のテレビが合格者の受験番号を放送していました。ぼんやり、それを見るともなしに見ていました。おっ、理類の発表だ。Iの受験番号も出るぞ!・・・あれっ、彼の番号がないぞ。どうなっているんだ。大学の教養部前に走りました。板壁に張り出されたものを確認しました。なんだ、あるじゃーないか。・・・あっ!ガビョーン!それは文類のものでした。文系と理系のそれを取り違えていました。あーっ・・・、なんという間違い。寮に戻って彼の家に再度TELしました。 「よい、I、御免の。最前の電話は間違いじゃった。俺の見間違いじゃー、すまんのう。ゆるしてけろ」 彼の肩を落とす音が聞こえてきそうでした。おっちょこちょいも極まれりです。痛恨でした。私の早合点にはつける薬がありません。 さて、そのIのその後です。その年、まだ大学受験に一期校と二期校とがあった時代です。地元の大学、教員養成課程を受験して合格。4年後、中学の数学教師になりました。余談があります。それから数年後、彼が漁村の某中学に赴任しました。その隣には私と結婚したばかりの妻が勤務するI小学校がありました。田舎です。運動会は小中合同でした。彼女に 「Iと私は同級生だ、よろしく伝えてくれ」 と言伝ました。総練習の日、妻がIにその旨を伝えてくれました。勿論、彼女には早とちりの話をしていませんでした。Iは妻に 「ああ、そうなんですか。Tの奥さんですか。彼にはね、その節、大変お世話になったんですよ。こちらこそ宜しく伝えて下さい」 と笑顔で返したそうです。赤面でした。そうか、島の中学で数学を教えているのか。中学の時、事情があって確か1年休学をしたはずです。今年、定年だな。一度会いたいな。 今日の一句 白梅の綻びて去る教壇を 白梅や株に腰掛く母の老い 梅林にたった一羽の目白居り 梅林が金柑隠す花盛り 今日のラン 3km 今日の酒 菊水ふなぐち1合 ワイン300ml 今日の写真はそのワインに合わせたチキンソテー。残り物のワインを干しました。
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