カテゴリ:薪
平成30年3月11日(日) 午前5時起床。晴れ。外気温1℃。霜降。霜は四月の中旬まで気をつけないといけません。早期米の田植えが終わっての遅霜はやっかいです。 コーラスの大会がある妻は、午前9時に出かけました。終日とのこと。写真は朝餉です。生椎茸がいい感じでした。 私も同じ時刻にネクタイを巻きました。父の香典を持って峠を越え、羊腸の半島を先端の方向へドライブ。先日に書きましたが、父が友人を会葬できず。包みを託かって今日のことになりました。AのKさん宅へ。某漁村集落。奥さんと娘さん二人が迎えてくれました。位牌に線香を手向けました。高齢の奥さんに話を伺いました。患っていた病気のことが中心でした。私は、父から聞いた某計画に対する反対運動のことを伝えました。もう30年以上前の騒動です。漁業者に同意を得るため現ナマが飛び交い、決闘もどきのこともあったことなど。これを治めたのがAのKさんです。先見性には素晴らしいものがあったとは父の話。まだ関係者が存命ですから、詳しいことは書くこと能わずです。皆鬼籍に入って、私も自由人になったらです。記そうと思います。いや、記録に残すべき内容なんです。話が逸れました。話も一段落、座を立ちました。二人の姉妹に、これを見て下さい、といわれました。父が描いたKさんの肖像画でした。 深い厚誼だったのでしょう。奥さんの人物像も1枚、氏の住む半島と灯台の画もありました。豊後鶴御崎の灯台です。元ノ間海峡からの眺め。 とって返しました。襤褸に着替えました。さてと、山に行くか。いやまてよ。出がけに妻が何か言っていたな。 「あなた、ジャガイモを植える場所を変えるわ。白菜のあとにカリを撒いてトラクターで攪拌して頂戴。勿論畝もこさえてね」 そうしました。隣のおいちゃんが不在。畝作りの耕耘機を借りることができませんでした。仕方がないので嫌いな鍬を持ちました。写真を撮り忘れました。夕刻になってそれを思い出しパチリ。 前後します。早めの昼をしました。朝の残り、味噌汁を白飯にかけてネコマンマでした。おかずは香の物だけ。ギョニソを頬張りました。正午前、軽トラの荷台にチェーンソーを積みました。飽きもせずというか、殆ど病気です。親方の山に向かいました。写真は途中にある沈み橋です。きれいな水が流れていました。 山に親方はいませんでした。丸太の大物は避け、枝を払いました。ビール瓶~ソーセージ程度の大きさのものを玉切りました。しばらくすると親方がやって来ました。ユンボに乗って小枝を払ってくれました。やっぱり重機です。作業効率が違う。 大きいものを引っぱり出し、輪子の上に載せてくれました。 どうですか、山盛りの図。これ、全て樫です。薪ストーブ愛好家が見ると、涎を垂らします。全部独り占め。これだけの分量です。何日分だろう。一冬に少し足りないかな。 始末を終えた親方は先に帰っていきました。一人になると、急に空気が変わります。物の怪の気配を感じ始めます。臆病な杣夫です。急いで始末を終えました。 家に戻る途中、午後2時46分になりました。下堅田小学校を過ぎたあたりに車を停め、黙祷しました。サイレンの音が悲しかったです。家に着いての荷役中、ラジオを聴きました。NHKが震災の特集番組をやっていました。東北3県の被災者代表が意見を発表したのですが、涙を誘う内容でした。 作業のほうは、荷台の薪を一輪車に移し、梅林下に運んで積むルーチン。腕が腱鞘炎になりそうでした。薪は一輪車7台分ありました。一輪車に一盛りが拙宅の24時間を暖房です。軽トラ1回の山行きで1週間分。薪ストーブを焚くのは11月から翌3月までの5ヶ月間。余裕を持って25週分を誂えねばなりません。つまり1年に25回、2週間に一度は山行です。夏山には犬も入らず、という言葉があるように、私も梅雨時期から9月までは休みます。而して冬場は毎週なのです。 ということでトラック一車分のこれが1週間。全て親方のおかげです。 午後5時前、地下足袋を脱ぎました。今日は飲むまい、酒を抜こう。しかし、シャワーを浴びてプシュッ。意思とは裏腹、手が動いてしまいました。流石に疲れたのか、ぼんやりの時間を過ごしました。妻の帰ってくるまでオッターバを。しんみり。トラもでした。 今日の一句 水を吸う春樫の香やショウビタキ 今日のラン なし 今日の酒 缶ビール3缶 黒霧5勺 今日の写真は苗です。親方に貰いました。何の苗か判りますか。明日、妻が植え流予定です。
オマケです。茶の下に蔓延り始めたホトケノザです。春の七草。可憐な花をつけます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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