カテゴリ:随筆
平成31年2月26日(火) 午前4時過ぎ起床。晴れ。未明の外気温6℃。 終日デスクワーク。午前に春の長丁場、弊社で一番大切な会議が開会しました。その末席に、でした。初日の今日は波風なしでした。午後は内部ミーティング。明日の会議を準備。部下たちの準備に頭が下がります。写真は昼に食べた南国のラーメンです。5/6ラー。自制できませんでした。スープ完飲。健康に悪い。 ![]() 夕刻、真っ直ぐ帰宅。次の写真は帰り道、新佐伯大橋の上から見た弥生方面の夕景色です。織りなす山が霞んでいる。 ![]() もう一枚、木立街道(国道388号)に差し掛かると、西日に映える九州百名山の一つ、元越山の雄姿が目に飛び込んできました。快晴の空に稜線が春を告げているよう。 ![]() 今日は先の日曜日に耕耘の畑が乾いたので日没と競争、急いでジャガイモを植えよう。そのつもりでした。しかし妻が風邪気味。差配が無いと調子が出ないので、止めにしました。ランの格好に着替え、一っ走り。このところ、ちょこちょこ、毎日数キロですが欠かさずです。朝の15分筋トレと併せ、いい感じです。昨秋から正月明けに掛け、弛んだ身体が少し締り始めました。続けることが大切です。写真は風呂上がり、夜のお勤めです。鍋島。NEW MOON という純米吟醸の生です。甘露。 ![]() 出て来た当ては人参シリシリ。昨晩の妻が夜なべ。写真にはありませんがコロッケとサニーレタス、それにソーセージなんぞも。 ![]() デザートの文旦。これ、思いのほかジューシーなんです。 ![]() さても書くことが無いので春めいたことに託けて。 「仙厓に寄せて」 この季節、黄砂か、舞う杉の花粉がせいか、梅林庵から望む霊峰尺間は霞みます。その景色を見て、気分の塞ぎがちになるのは、四十代半ばまで酷い花粉症に悩まされたのが半分。もう半分は過去に幾度も別れや見送りを経験したからでしょう。雨水から啓蟄にかけ、春めくのを感じ始めると、それらの名残り、過去の苦くも寂しい経験が首を擡げてくるのです。 日没の時刻が遅くなると、北風の吹く日が減り、空気に匂いが付きます。梅や早咲き桜の香りが混じるからかもしれません。嗚呼、憂鬱だな、そう思いながらカレンダーを次の月に捲るのもあと数日。一月は往く、二月は逃げる、三月は去るといいます。この月もあっという間でした。板壁に掛けた出光美術館のカレンダー目をやりました。それには毎月、仙厓義梵の書画を載せてあります。二月は「生死事大無常迅速」の一幅。人の生き死には大事であるが、世の中の移り変わりは速く儚い、という意味です。 それをして、老仙厓が今際の際「死にとうない」と漏らしたということを思い出しました。禅僧にしてはなんという体たらくなのか、それとも最後まで世間を手玉に取ろうとしたのか。私は「死にとうない」のことを知った時、仙崖も人の子であったと思いました。しかし「生死事大無常迅速」の書を見て後は、仙厓に失礼、それが後者に思え留ようになったのです。 生死事大の出典はは禅宗根本経典の一つ、六祖壇経です。「だからこそ精進に努め無為に過ごさぬように」という戒めが込められています。さて、改めてこの書を鑑ると、迅速の「速」が行の右袖に小さく書かれています。「迅」までの六文字は仙厓特有、骨太闊達であるのに対し、残り二文字、特に「速」は稚拙に過ぎます。違和感有りです。思うに、仙厓は敢えて字体を曲げたのではないか。根本経典の教えをこう書くことで批判したかったのではないか、と私はみます。「世」は無常ではあるけれど、一括りに迅速と決めつけるべきでない。「死にとうない」の一言は、禅の経典とは一線を画そうとする抵抗ではなかったのか。穿ち過ぎでしょうか。 春宵一刻値千金という言葉があります。この季節、アンニュイに浸るより、和尚の書に込められた現世礼賛を旨とすべし。そう独り言ちた六十の春が往きます。 ![]() 今日の類語 「漏らす」 リーク、筒抜け 「漏」には煩悩の意味があります。仙厓の吐露は本心だったのか、それとも確固たる意思を持っての言だったのか。 今日の一句 仙厓に辞世の句なし自由人 今日のラン 7km 今日の酒 冷酒1合 芋焼酎お湯割り5合 今日の写真はネタ切れの助っ人です。「俺は食う寝る遊ぶ。煩悩の塊だ」byトラ。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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