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梅林庵

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2019年11月05日
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Tuesday, November 5, 2019
 午前4時起床。快晴。
 未明の外気温は、放射冷却現象のこともあって10℃を下回りました。拙宅は荒ら家です。冷気が忍び込んできていました。寒さに耐えかね、今期初、ストーブに着火。炊き始めました。こうなることを予想、昨日、薪を室内に運び込んでいたのでした。写真は待ってましたのトラです。



 朝一、農業用マルチシートを軽トラに積みました。父の畑で使い古したものがかなりの量、ありました。



 産廃処理業者向けになりました。リーマンの時代、其処の社長さんにはお世話になりました。弊社、男女共同参画の取組を広めるのも仕事でした。私が担当したとき、審議会のメンバーにY社長をお願いし、快諾頂いたのでした。彼に白羽の理由は、経営する会社の女性比率が当該業種にしては随分高いためでした。過去に幾度か訪ね、事務室は言うに及ばず、現場に快活、働く女性たちを見て、いい感じを覚えていたのです。今日は彼に遅ればせ、退職したことを話し、その節のお礼を言いました。笑顔がとても素敵でした。勿論、女子社員は今日もはつらつでした。写真は持ち込んだマルチシートと我楽多です。3ラーあまりの料金でした。この後、父の家の家庭ゴミをもう1車満車にして、清掃センターへ。産廃でないのでこちらは1/6ラー、100円でした。(ラーとは岐阜県多治見市の極一部に流通の仮想通貨です。固定相場制を敷いています。円換算すると1ラー=600円。)次の写真は市経営のゴミ処理工場玄関から佐伯湾を眺めるの図。すっかり冬の色になっていました。



 家に戻ったら妻不在。父母をカットに連れて行ったようでした。午後2時頃に戻ってきました。その間、昼を食べずに大蒜を植えました。球根が父の作業小屋にぶら下がってあるのを認めたからでした。それを土に突っ込みました。順調に育てば来年は大蒜三昧です。写真は昼前、野良の合間に食べたカステラです。隣家のK君が長崎旅行の土産。抹茶がいい感じでした。



 遅い昼をした後は豌豆の畝作り。トラクターで一掻きした後、耕運機を使いました。幅1.2mを2本。マルチシートで覆いました。しみったれの杣夫です。そのシートはこの夏、父が西瓜畑に使ったもの、再利用です。写真は作業中の一枚。途中、妻が顔を出し
「その幅はいけないわ、もっと狭くして頂戴」
こちとら汗をかく身。船頭の手戻り指図に苛つきましたが、グッと我慢。顔に出さぬが肝心です。



 勝手口からまたもや顔が覗きました。またかと思いきや
「あなた、Uさんが釣鰺を持ってきてくれたわ。宜しくね。そうね、数が多いから南蛮にするわ。私の実家、母にも刺身をお願いね」



 チャチャッとやっつけました。釣ったばかりの鮮度抜群。まさにキンキンバチバチでした。魚の新しければ新しいほど庖丁が切れます。今日がそうでした。
 今日はこれで打ち止め。湯船に浸かった後、これを当てに白波のお湯割りを流しました。テレビでWBCをやっていましたが、途中で落ちました。バタンキュー。



 写真をもう一枚。妻の夜なべです。収穫した生姜を刻みました。これ、佃煮になるそうです。庖丁が切れるので助かると言ってくれました。いい気分です。




今日の一句
朝冷えにストーブ焚きて猫達磨

今日のラン
なし

今日の酒
黒白波お湯割り4

今日の写真は猫2枚。1枚目は野良です。家の周りに居着いているバイカルに模様がよく似ています。時々見かけます。名前を付けてなければ。



こちらはトラ。窓外にその猫を認め、威嚇の大声を出していました。尻尾が狸だ。



札幌旅行その2(Thursday, October 31, 2019)
 二日目は午前1時に目が覚めました。この時刻に起きても為す術無し。木賃宿併設24時間営業の大浴場に浸かりました。水を飲んでも一度ベッドへ。
 朝ご飯を食べた後、ホテル前の電停から市電に乗ってA先生宅へ向かいました。写真は札幌市電です。緑色は昔からですが、最近はピンクの同型やヨーロッパのトロリーバスも走っています。



 先生の家は藻岩山の麓にあります。山腹は紅葉が終わりを迎えていました。某電停を降りて徒歩5分が先生宅です。



 連絡をしてありました。午前9時、部屋の中から窓越し、外を覗いていました。目の合うなり、おいここだここだ、口のそう言っているのが判るよう、手を振ってくれました。待っていてくれたのでしょう。グッときました。再会は何年ぶりでしょうか。居間に案内され、積もる話を1時間。先生は卒寿、ペースメーカーを埋めて遠出能わず、不如意の生活と伺っていました。お目にかかって何の何の、教官時代と変わらぬ怪気炎でした。安心しました。曰く
「おー、よく来たな。葉書で知ったが文学館に行くのかい。お前も好きだなぁ。奧さんは元気か。そうそう、先だっては柿を有り難う。好物だ。家内と美味しく頂いたよ。果物の見た目、器量が悪いなんてとんでもない、いい味だった。うん、ストーブはもう早くから焚いているよ。寒いんだわ。それに座ってばかり、動けない。ゴミ出しに300m歩くのがやっとだよ。朝、新聞を1時間かけて隅から隅まで読んだ後はテレビだ。ただな、1時間で飽くのよ。その後は何もすることがない。この身体、もうよくなることはない、よくて現状維持だ~。それはそうとお前は佐伯だったな。札幌にやってくると聞いて調べたよ、お前のまちを。私の兄が海兵出で、佐伯に入港したこともあると聞いたことがあるぞ。随分前、お前の家に泊めて貰ったときは失念していて、先日思い出したんだ。兄かい?戦死したよ。ところで仲間と連絡は取り合っているのか?HやSには会うのか?そうか、今回は会わないのか。まぁそれもいい。Sはこないだ、訪ねてきてくれたよ。道の水産部を退職し、札幌の某会社に天下っていると聞いた。Hはお前より年上だろう。一浪と留年で一緒の学年になったんだよな。彼の両親が交通事故死したときは、俺の教え子に弁護士がいて、世話を焼いたよ。泣き寝入りせずに済んだ。相手には刑事罰が下った。いろいろあったなぁ。ところでお前の先輩、Aはまだ広島に住んでいるのか?築地のKも退職したんだろうな。高松のMは父親の後を手伝っているそうだ。お前たち野球部の連中は全部顔と名前が一致するよ。がよかったなあの時代は。印象深い。函館の金成はまだやっているんだろうか?ああ、代が変わったんだったな。ウンウン、昔話は楽しい。それにしてもこの年になると、便りが少なくなる。死亡通知ばかりだ。俺が最後に死ぬんだわ。香典を包んでばかりで、もう元は取れない。畜生め。腹いせに俺は葬式をしないよ。家族に厳しくそう言っている。誰にも連絡してはいけない。新聞掲載もノン。遺体は白百合会行きだ。医学部への献体だよ。教官だったんだから当たり前。最後の勤めだ。えっ、もう帰るのか?だめだ。10時までいろ。そう急ぐな。一日中居たってかまやしないんだ。こうして座っているだけなんだから。(ここで電話着信音、奧さんに向かって)おい、電話だ。誰からか判らないが、多分お前だ。早く出ろ・・・」
 先生の話は止まるところを知りません。切りがありません。
 教官と学生の関係だった頃、先生の口癖は「偉くもないのに威張るな!」でした。私たち教え子は先生の前に出ると「はい」しか言えなかったです。でも、その時の心地いいことといったら。
 先生は面倒見のよい方でした。所謂親分肌。面倒をかけ、お世話になり、手を煩わせた教え子は数知れず。今日もそのエピソードを幾つか聞かされました。例えば教え子の一人は某野球部監督だった時、相手打者のホームランをファウルと主張、審判を殴り謹慎、その彼を弁護に奔走、処分が緩み、別の高校に移動させ、其処の監督に据えたとのこと。彼はみるみる手腕を発揮、道内の高校を6度も甲子園に導いたとのことでした。余談です。その彼は先月、79歳で死亡。明日、先生は奧さんに付き添われて彼のお別れ会に出席するとのことでした。
 先生は札幌一中卒です。後輩に作家・渡辺淳一がいたそうです。5年の時に彼が入学してきたとのこと。優男だったようで、野球部且つ硬派の先生は
「優男で女の尻ばかり追いかけていたからぶん殴ってやったんだ」そうです。他にも少女人形が物知り話をする番組のナレーターアナウンサー女子のNHK入局、札幌オリンピックの際、選手の健康診断で女子フィギアスケーターメダリスト担当・・・。数え上げればこれまた切りがありません。写真は先生とのツーショットです。教え子、世話になった輩がこの写真を見ると、きっと羨ましがることと思います。



 10時を回り、そろそろ先生、と言うと、途端、顔が曇りました。名残惜しそうでしたが、其処は恩師。「よし、また来い」。玄関を出、寒い中、奧さんと道路まで見送りに出てくれました。藻岩山からの吹き下ろしに雨交じり、雪になりそうな空模様でした。曲がり角までの100m、3回振り返りました。杖をついた姿が少し傾いていました。後ろを振り向く度、先生の顔はくしゃくしゃ、崩れていくようでした。私も同じでした。辻を曲がる直前、私、被っていた帽子を振りました。涙が零れました。今生の別れという言葉が過りましたが、それは押し殺しました。また会いに来るぞ、折に触れての便りは欠かさずを誓いました。写真は先生ご夫婦です。家の周囲はマンションでした。先生宅だけが意固地のよう、庭に花を植え、がんばっていました。いかにも、の様子です。



 電停までの道は足が重かったです。
 電車に乗って、地面から伝わるゴトゴト感に、気持ちを変えることが出来ました。中島公園通で下車。公園内に足を踏み入れました。途端、鮮やかな紅葉が目に飛び込んできました。終わり前の鮮やかさでした。写真にはありませんが、ナナカマドの実が赤い。



 今回の訪札目的はこの催しを訪ねることでした。



 特別展「保阪正康の仕事」を見るためでした。加えて常設展とアーカイヴ第3期「八木義徳と北海道」もやっており、杣夫としては是非とも訪ねなといけない内容でした。八木は何を隠そう、同窓、酔散の先輩なんです。樺太旅行中に宿泊費を踏み倒し、肉体労働で支払いをしたとのエピソードが退学理由とか。後、稲門を潜り芥川賞作家となりました。従軍作家として大陸にいたとき、その通知を受けたとのこと。受賞作は「劉廣福」。一人の中国人労働者を描く快哉小説です。知らせを聞いた時、その隊にいた少尉、日本百名山の深田久彌にお祝いとして煙草を貰ったそうです。後年、読売文学賞や菊池寛賞も受賞。
 さて、保阪正康氏は歴史評論家です。多数の本を出版。半藤一利とともに昭和史の研究は他の追随を許しません。展示内容はとても充実したものでした。年表や時々の時代背景は学芸員の手によるものでしょう。構成が素晴らしい。
 氏は札幌東高校卒業後、同志社大へ進学、院に進みました。其処を卒業後、一時期北海タイムスで短期アルバイトをした後、朝日ソノラマに入社。結婚し、まだ幼い子どもを抱えてジャーナリストとしての独立を決心。以降は承知の通り、膨大な著作を残していきます。以下、展示会の印象を。
 先ずは氏の勉強ノートが凄い。整理した昭和5年のノート、実物がありました。几帳面の楷書、万年筆の筆跡が歴史に向き合う真摯の姿勢を醸していました。整理の緻密さには気魄迫るものがありました。几帳面のスケジュールは文化手帳。それぞれの事件が取材メモも幾つか。東條カツ(英機の妻)を取材した折のそれもありました。取材に臨んで氏はアピカのA4ノートを使用でした。横書き。
 展示の文中、幾つか語録を拾ってみました。
「社会の価値観が揺らぐとき、奇異な事件や事象が起きる」
「年表の一行を一冊に」
「同期が至純ならば全ての行為が許されるという誤った感覚が(昭和の)主軸」
「(取材方法は)第一次円(肉親)、第二次円(同僚部下親友)、第3次円(仕事、趣味など社会的関係)、~枠組みをそっくり~取材対象を絞り証言を集めていく」
 何れも含蓄ありです。勉強になります。
 文学館は「昭和陸軍の研究」朝日新聞社を渾身のライフワークと位置づけていました。まだ読んでいません。
 没頭するも途中で疲れ、中休みを入れました。トーストと珈琲の休憩時間。それが昼ご飯。風花が舞いそうな天気でした。



 戻ります。この展示に合わせ、氏の語るインタビューもありました。1回が30分ほどの内容でした。E・H・カーの言葉「歴史はしがらみの中にある」を引用、紐解き、解き明かすため、何故その事象が生じたのか、時代背景と必然を考証すると話しました。当たり前のことですが、氏の口が語ると重みを増します。
 来た甲斐がありました。再度書きます。勉強になりました。
 頭を整理し、常設展とアーカイヴのフロアに。前者は、北の大地に関係した作家を時系列に並べて紹介していました。引かれたものを以下に。「虹と雪のバラード」は河邨丈一郎作であったり、岡田嘉子のことを書いた本は「半丁国境」西木正明だったり、千島列島が舞台の佐々木譲「択捉発緊急電」だったり。樺太文学というジャンルのあるのを知りました。斯様、執筆の動機を駆られた作家たちの列伝が続きました。岩波文庫「アイヌ神話集」の知里幸恵に送った金田一京助の実物葉書がりました。19歳で夭折の女性をして、アイヌ文化が風前の灯火であることを痛感。残念です。他に小林多喜二の自筆や伊藤整の色紙、「丹下左膳」は北海道出身の作家長谷川海太郎が林不忘のペンネームで書いたことも。原田康子の自筆は小さな文字。渡辺淳一のそれにはA先生が言っていた通り、女ったらしの感じを覚えました。
 アーカイヴの方は八木義徳。「クッタラ湖」や「海霧の街で」は北海道の色が濃い。特に前者はヒメマスの移植がストーリー。酔散を勉強した当方、興味ありでした。八木の従軍は先に書きましたが、記者としてです。徴兵は赤紙に依りますが、従軍記者としての召集令状は「白紙」と呼ばれたそうです。その名の通り、白い色をしていたとのこと。知りませんでした。余談です、今日出海や林芙美子も従軍作家でした。
 北海道立文学館の常設展、維新以降の潮流を展示です。その流れとは別、私はアイヌ文学に惹かれました。金田一の葉書とは別、数多の資料を前にし、カムチャッカ、千島列島、北海道、それぞれに暮らした少数民族の内地同化政策が悲しさに思いが至りました。ここで深掘りは出来ませんが、哀しい宿命です。写真はここの入館チケットです。うち、特別展は11月7日までの開催。惜しいなぁ。



 今回の文学館訪問、最後に昭和を理解する本として保阪氏が10冊を挙げています。それを以下に。
「回想10年」吉田茂
「西園寺公と政局」原田熊雄
「侍従長の回想」藤田尚徳
「側近日誌」木下道雄
「失われし政治」近衛文麿
「戦中派不戦日記」山田風太郎
「レイテ戦記」大岡昇平
「太平洋戦争」小島襄
「昭和史1926-1945」半藤一利
 最後にメモを。保阪氏は唐牛健太郎との交流あり。父との対立もあり「所詮人生はそのようなものだと思う」との言葉には親子であっても・・・。諦念じみたものなのか。
 腹一杯になりました。今日は終日、ここで過ごしました。立ちっぱなしの鑑賞は疲れます。次の写真は求めた書籍です。福岡在住の元新聞記者Sさんにリクエストされていました。購入し、この後、コンビニから発送。



 文学館を出て、やっぱり来てよかった、と思いました。繰り返しになりますが、保阪氏のものの見方と真摯な求道研究、八木義徳の人となり、北海道文学の歴史、何れにも深いものを感じました。次の写真は一杯になって漫ろ散歩の道すがらです。展覧会の重さ、A先生との別れ、それぞれが相まって溜息が出ました。この紅葉にちょっぴりアンニュイでした。



 木賃宿に戻り風呂を浴びました。湯船に浸かり、またも溜息。重ね重ねです。札幌が産んだ保阪正康は、今現在、最高のジャーナリストの一人です。
 さてと、今日はA先生に会ったし、文学館にも遊んだ。心地好い疲れです。癒やす必要無しですが、夜の部に出撃しなければなりません。ラインに「札幌の予報は寒いわ。おでんを食べて温まって」と妻からの頼りもあって、スマホで「おでん」を検索しました。「なすの花」という店がヒット。何々、茄子?私は日本一茄子を食べる男(自称)です。訪ねないわけにはいきません。



 暖簾を潜ったら、私と同じ年頃かと思しき女性がやっていました。おばんざいの店です。



 セットを注文。出て来た突き出しがいい感じでした。真ん中はブリ。これを当てに日本酒を3種。このところ、ヤズの水揚げが増えた由。これも美味しかったです。



 スガキを貰いました。佐呂間産だそうです。厚岸の方は大粒だけれど、こちらも美味しいよ、そう説明してくれました。



 最初の一杯は注いでくれました。



 ママさんは札幌近郊出身。親は牧場経営、自分も家畜の世話をしたと話しました。あれこれあって廃業。土地を切り売りして糊口を凌いだとのこと。娘さんが海外にワーキングホリデー、それが自慢のようでした。店名の由縁を訊きました。咲いた茄子の花は必ず実になるから、と返ってきました。写真は干した杯と猪口です。北海道の地酒も奥が深い。



 いい気色で勘定を済ませました。少し歩いてみおうか。次の写真は札幌のランドマーク、髭のおっさんです。今日はリニューアルなのか、掃除なのか、足場が掛かっていました。



 夜風に冷えました。もう一軒、狸小路の「いなり」に突っ込みました。大衆酒場です。



 中はコの字カウンター。多くのお客さんでごった返していました。機転の利くテキパキのお姉さんがよかったです。



 ここのビールはサッポロ赤星の瓶。おおっ、甘露甘露。同席したとなりのお兄さんが手持ち無沙汰。横目に窺うと、年齢も体型も私の息子に似ていました。親しみを覚え、声をかけしました。函館住まいのリーマン、札幌に出張とのこと。明日帰函。奧さんは道南、日本海側にある某神社の娘さん。自身は札幌出身。今は婿殿として楽しい生活らしい。土産にお義父さんへ酒を買って帰るといいよ、そう言うと、酒は祝詞の折毎頂くので、奥さんの実家には有り余るほどある、よって不要、飲んで減らしてくれと何時も言われている、とのこと。大笑いしました。羨ましい。意気投合、酒を酌み交わしました。



 彼が席を立ったのを潮、私も今日はこの辺で堪えてやろうか。勘定をしました。
 でも今夜も〆のラーメンを外すわけにはいきません。新ラーメン横丁の「いそちゃん」を覗きました。ここは数年前、妻と訪ねたことがあります。札幌ハーフを走った折でした。塩味が忘れられなかったのです。



 一口啜り、おお、この味だ。ほのぼの感ありでした。時刻が早いのか、客は私一人。ママさんと世間話をしました。塩ラーメンの店を問えば「いそちゃん」と返ってくる、そう言うと嬉しそうな顔をしました。私もそう思います。満腹になりました。



 ホテルに戻り、文学館訪問のことを整理。SAPPOROクラシックを飲みながらでした。



今日の一句
藻岩山何故に時雨るか此の日をば

今日のラン
なし

今日の酒
不明

今日の写真は札幌コンサートホールKitaraです。中島公園にあります。以前、其処は学生野球の聖地、中島球場がありました。其の跡地にが開館しています。この旅行中、札響の演奏を聴きたかったのですが、叶いませんでした。



 もう一枚は街中にあった本別のポスターです。亮さんがお兄さんが農業を営んでいます。来夏辺り、一ヶ月くらい野良の加勢をしながら其処に過ごすのもいいな。おさんどんと毎晩の酒があればアルバイト代金は不要。働きが悪いから追い返されるかも知れないけれど。








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Last updated  2019年11月06日 08時43分08秒
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一人親方杣夫@ Re[1]:茶碗酒 飲まずにはやっちょられん(05/31) New! シミ君さんへ おはようございます。 時…
一人親方杣夫@ Re[1]:茶碗酒 飲まずにはやっちょられん(05/31) New! 禁玉減酒さんへ おはようございます。 …
シミ君@ Re:茶碗酒 飲まずにはやっちょられん(05/31) こんにちは。 自由時間、プレゼントでき…
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一人親方杣夫@ Re[1]:野菜畑の敷き草、キンキンバチバチの豊後水道産(05/30) シミ君さんへ おはようございます。 青…
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