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Monday, January 6, 2020 午前4時半起床。終日薄曇り。朝は冷えました。 午前は、陽の射さない底冷えでした。世間は今日から仕事始め。なのに私はストーブの前にぼんやりの読書。 一昨日紹介の本「日本の歴史 明治時代中期から1930年代 『いのち』と帝国日本」を読んでいます。私、著者の小松裕(ひろし)氏を知りませんでした。この本を読み進めて、烏滸がましくはありますが、氏のスタンスに共感しました。戦争の悲惨さをして平和を渾身のペンで訴える内容に、です。日清戦争の仕掛け人が陸奥宗光であることを知りました。他にも伝習隊、後に箱館で新選組残党と一緒に戦った大鳥圭介が日清戦争直前、清と朝鮮で公使として工作したりとか、日清戦争の司令官に総理大臣経験者の山県有朋が就任したり。どうしようもありません。何でもありの明治です。余談です。昭和20年以前、軍出身、軍人総理のどれだけいたことか。シビリアンコントロールという言葉がありますが、大正デモクラシー、政党政治が弱って斯くの如しは当にその欠如です。 戻ります。小松氏、調べたら大学の教官(2015年没)でした。日本近代史が専門、田中正造の研究を岩波文庫に上梓していました。この本は佐伯図書館にない。ブックオフにも在庫なし。残念です。 昼前、TELあり。由布市に暮らす叔母夫婦が大阪から帰省の娘A子を連れて父の家にやってきたとのこと。会うのは何年ぶりだろう。挨拶に行くと、叔母が父の山にある大きな石を見たいと言いました。案内しました。写真は右から順に叔母、父、叔母の夫、私。幼少の頃、ここに遊び、既に鬼籍入りした叔父と石の上でダンスをした云々の話を聞きました。その彼女も既に八十路。膝が悪いようで、歩行に難儀の様子。寄る歳の波には勝てないようでした。彼女の夫、義叔父は湯布院でまちづくり団体や歴史研究の団体に関係し、今なお活躍とのこと。 写真には写っていませんが、私、従姉妹のA子とはもう10年以上、いや20年近く会っていませんでした。既に五十路ですが、20代と見紛うほどの若さ(決して美人系ではありませんが魅力的)です。大阪に暮らし、長男はカナダにワーキングホリデー、次男は外大に在学とのこと。根っからの楽天家。昨日見た「チャンネルはそのままで!」の主人公によく似ています。学校を卒業後、外資に就職、結婚後もパートをしながら家計を助けたよう。今は大阪に本社を置くフランチャイズ学習塾で英語を教えている由。彼女曰く 「大阪に住んでいると、ヒョウ柄のコートを着たくなるんや」 には参りました。夏に西瓜を貰いに来る、それまで元気で、と言いながら母の手を握りしめ、ハグをしました。父とはハイタッチ。彼女の天真爛漫を来たときから心底愉快に思ったのでしょう、父は帰りに所有骨董の中から壺を一つ、彼女に持たせ、大阪の家に飾るよう、言いました。あっ、それ、私のものになるはずなのに。妻がお茶を出したら、叔母は、あなたにあげるため持ってきたと言いながら、ヒゴタイやユウスゲ他のタネを袋一杯、それとは別に手作りキムチも出してくれました。うーむ、骨董の壺と花のタネプラスキムチを交換か。ま、仕方が無い。手を打つとするか。 帰りしな、叔母に耳打ちされました。 「いざというときに備え、そろそろ親の身辺整理をした方がいいよ。まあ、それまでにH(私のこと)ちゃん、色々苦労があるだろうけれどね」 叔母家族の来宅は、山に遊んで楽しい一時でした。が、この一言に私、いっぺんに目が覚めたというか、ポカポカ陽気の陽向を歩いてきて日陰に入り、急に寒気を覚えるような、そんな気分になりました。 彼らを見送った後、それじゃー走るか。午後4時前、ランシューズを履きました。写真はTさん宅の前に植わるユズリハです。落葉の順番をして人間の生き死に・順送りに例え、子孫繁栄の縁起物とされています。正月飾りなどに使われます。そういえば「はし本」のお節料理に飾ってあったな。 いつものコースを辿りました。途中、F工業のヤードには猫8尾中、1尾しか認めることができませんでした。工場の敷地内に、社員の方々がテーブルを囲んで新年会の様子が見て取れました。ニャンコたち、其処に集まっていたのかな。次の写真は家に戻って気づいたサクラソウです。玄関のプランターに花の蕾をつけました。春遠からじ。 風呂で汗を流しての晩酌はイノホル。麦焼酎で流しました。メインはポトフ。妻の赤ワインに相伴しました。バタンキュー。 今日の一句 足を病む諫言痛し叔母の杖 今日のラン 6km 今日の酒 麦焼酎お湯割り2 赤ワイングラス1 今日の写真は玉虫の翅です。囲ってあった薪の中に見つけました。この輝き、キラキラの虹色です。四方八方、誰も瑕疵を認めません。それをして玉虫色なのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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