カテゴリ:人の話
Friday, July 24, 2020 午前4時起床するもシャキッとしませんでした。二度寝。屋根を打つ雨音が大きかったです。終日、吹き降りでした。 午前、書斎に読書。そこにピンポーン。雨の中、近所に暮らすNのYっちゃんでした。 「NのK坊が亡くなった。昨晩遅くに、だったらしい。押っ取り刀、宅を訪ねたら、通夜も含め家族葬とのこと。ただ、世話になった地区の皆には世話になったので、死亡したことだけは伝えて欲しいと言われた。Hちゃん、世話人だろう。今から二人で集落を廻ろう」 地区というのは、18世帯、私も暮らす班のことです。世話人というのは、人の亡くなった折、喪家に代わり、通夜と葬儀に必要な手伝いを仕切る人です。持ち回りです。 Yっちゃんを待たせるわけにはいきません。その儘、玄関を出ました。土砂降りの中、傘さして一軒一軒にそれを伝えました。若夫婦の1軒を除き、あとの全部は後期高齢者の世帯です。訃報を伝えると絶句。K坊が自身より若いことをして、死を己に重ねているのか、ショックを受けたようでした。人はこういう時、一瞬、時間が止まり、遥かになります。異口同音ではありませんが、同じよう、故人に想いを寄せて溜息をつきました。 祭日の午前、しかもこの雨なのに、不在の家が幾軒かありました。その家には午後訪ね、猶不在には夜、TELして済ませました。一軒だけ、在宅なのに玄関に出てこない、電話にも出ない家があります。困り果てました。 戻ります。廻り終えて、K坊宅を訪ねました。親戚が集まっていました。別れをさせて欲しい、そう言い、亡骸の横たわっている間に。顔を被う白い布を捲ると、哀れK坊、血の気の失せた白い顔で瞑目していました。 K坊は私より5つ年上です。農家の長男に生まれ、高校卒業後、公務員になりました。若い頃は福祉畑を歩いたようです。早くに管理職となり、退職時は事務方トップでした。優しい人柄でした。人を悪く言うようなことは、私の知る限り無かったです。登山が趣味の山男でもありました。年に1~2回、NのYっちゃん宅や熊野神社に一緒、大酒を飲んだものです。定年してすぐに癌を患いました。小康を得て、最近は集落内を散歩していました。このところ、見かけないな、そう思っていた矢先でした。 一つ、大事なことを書いておかねばなりません。小学校1年のことでした。木立橋の下に淵があり、夏休み、近所の子どもたちはそこで泳ぐことが毎日の楽しみでした。某日、浅瀬に遊んで、思わぬことから深みにはまりました。当時、泳げませんでした。溺れました。藻掻いても藻掻いても水中から見る水面は太陽光線で乱れたまま、近づいてきませんでした。子どもながらに、ああこれが溺れるということか、妙に醒めた感じを覚えました。水は飲みませんでした。と、その時でした。誰かの手が私を摑み、引き揚げてくれました。K坊でした。命の恩人です。一生忘れません。K坊の生前、幾度かそのことを話しましたが、彼は覚えていないと笑いました。安らかに。 帰り道も飛沫を伴う雨脚でした。足が濡れました。涙雨という言葉がありますが、この降り様は、それとは違いこそすれ、悲しみを洗う送り梅雨。 夕食後、目が冴えてABEMATVで将棋龍王戦、決勝トーナメントを見ました。決着のついたのは日付変更線近く。藤井聡太棋聖、惜しかった。 今日の一句 酒涙雨(さいるいう)命恩人旅立ちぬ 今日のラン なし 今日の酒 ノン 今日の写真は羊羹です。ピアノの鍵盤を模しています。コーラスに出かけた妻が、メンバーの一人に貰いました。湯布院にある「ジャズとようかん」という店の品です。珈琲に合わせました。
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