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わけのわからない日が続く シカゴ編

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2015.03.06
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先日嫁さんは誕生日のプレゼントとして息子に嫁さん特製の「野々村係長の柿ピー」を息子のアパートに送った。
読者は柿ピーと言えば亀田製菓の「柿の種」だと思うだろうが、どっこい、シカゴではそれはOne of themに過ぎない。
亀田製菓の「柿の種」はアメリカでも人気商品であり、"Kameda Crisps"という商品名で売られているが、中身も日本の物とは少し違っている。
ここシカゴがあるイリノイ州産の大きいピーナッツを使用している。
そしてワサビ版やChili版、BBQ版といった7つの味の種類があるのだ。

Kameda Crisps.jpg

それだけではない。
亀田製菓の「柿の種」を模造したような物も何種類か売っている。
亀田製菓の物より少しピリっと辛い物が売っているのだが、私はそれが好みである。

嫁さんはどこで買うのかは知らないがピリっと辛いピーナッツ抜きの柿ピーにTrader Joe'sで買ったオーガニックの高級ピーナッツを始め、色々な木の実をブレンドして嫁さん特製の「野々村係長の柿ピースペシャル」を作る。
しかもTV「SPEC」で野々村係長が使用した容器と全く同じものをわざわざ買って来て、セリフまで蓋に貼るという手の込みようなのだ。

この写真は去年の8月に息子に送った「野々村係長の柿ピースペシャル」である。
今回は写真を撮るのを忘れてしまったが、嫁さんが前と同様なものだと話してくれた。

S001.JPG

S002.jpg

うちの嫁さんみたいなのが先日殺された上村遼太君の母親であれば、ああいう事件には絶対に発展しないだろうなぁとつくづく思った。
だからと言って上村遼太君の母親に悪いところがあったなどと言う積もりは毛頭ない。
シングルマザーで看護師助手という大変な仕事をしながら子供を5人も育ている立派な母親である。
一人ひとりの子供達に十分に目が行き届かなかったことを責めるのは残酷な心の持ち主だけだ。

しかしうちの嫁さんみたいなのが母親だと子供はマザコンになってしまうことを言っておく。
この日記に何度も書いているようにうちの息子は筋金入りのマザコンであり、今までに母の日や母親の誕生日にプレゼントを欠かしたことは一度もない。

病院嫌いな嫁さんは具合が悪くてもなかなか病院に行こうとはしないので、いつも私が「早く行け!」と叱るが私の言う事などは一切聞く耳を持たない。
そういう時は息子に告げ口してやるのだ。
息子がそういう話を聞いたら徹底的に毎日母親を追い込み、嫁さんは息子からの電話&メイル攻撃に堪えられなくなって最後には病院に行くことになる。
息子は母親の病気を放っておくことはできないのである。

しかし実を言うと私は息子がなぜマザコンになったのか全く不思議なのである。
と言うのも体育会系の嫁さんは小さい頃から息子を相当に厳しく育てていたからである。
普通の子供なら「糞ババア、死ね!」と言ってもおかしくないと思う。
嫁さんは息子に他に類を見ない厳しい教育をしていたので、息子が高校ぐらいになったら母親を殴ってしまうのではないかと一時は心配したこともあったが、現実には息子は筋金入りのマザコンになってしまったのである。
私にはさっぱり理解できない。
現在息子は25歳になったので、私は随分昔に子育ては終わっているが、未だに子育ては全然分っていないのだ。

今回はその話をしてみたい。

嫁さんの厳しい教育は息子が1歳半から始まった。
私は息子が生まれた時はジャズピアニストにさせたくて、息子が1歳半になった時に私が小さい頃に通っていた「青い鳥音楽園」に入れたが、体育会系の嫁さんは同時にイトマンスイミングスクールに入れた。
その当時息子は「青い鳥音楽園」で音楽のリズムに乗って踊って遊ぶのは非常に楽しくしていたが、スイミングスクールの方は入れられてから約1年間、レッスン中はずっと泣いていた。
青い鳥音楽園とは対照的に息子の泣きしゃぐった顔を見て私は嫁さんに「あの子にはスイミングスクールは全く合わないから辞めさせてやれ!」と何度も行ったが、それでも嫁さんは容赦しなかった。

そしてあれだけ楽しくピアノを弾いていた息子が「誕生日のプレゼントに何も要らないから、ピアノを辞めさせて欲しい。」と頼んでくるのである。
あれは嫁さんの仕業だと今でも疑っている。
自宅には生ピアノと夜の練習用にクラビノーバの2台があったが、それが無駄になってしまった。
「辞めるならスイミングスクールの方にしなさい。」と幾ら言っても絶対に辞めることはなかった。
私はクラビノーバだけはシカゴに持ってきたが、息子がシカゴで生活を始めてからピアノを弾いたのは3回ぐらいだろう。
そしてスイミングスクールの方はシカゴでも続けるのだ。
それは高校を卒業するまで続いた。

息子が高校で入った部活はウォーターポロ(水球)といって、アイスポッケーのプール版である。
要するに1歳半からのスイミングスクールの延長であった。
何度か試合を見に行ったことがあるが、プールの中での喧嘩プロレスといった方が早いスポーツかもしれない。
選手達はプールの中に立っているように見えたが、実は彼ら全員立ち泳ぎをしていた。
アメリカの高校生の中でも喧嘩もどきのスポーツをやる連中というのはプロレスラーの如く身体が大きく、うちの息子などは小学生に見えてしまうほどだった。

そんなウォーターポロチームの中でうちの息子がレギュラー選手に選ばれたのは幼い頃からスイミングスクールで鍛えただけあって泳ぎが速かったかららしい。
それが体育会系の嫁さんの唯一の息子の自慢だった。
こんな奴等とこんな体力の消耗するスポーツを朝晩やっていたら毎日の授業についていけるだけの勉強する時間があるのか?と私は心配していたが、嫁さんの前でそんな話ができるわけがなかった。

ところがどっこい、マザコンの力は想像してたよりも遥かに大きかった。マザコンの力は恐ろしい!
今でもそうだが、当時の息子も母親の前では強い男を演じていたので、高校4年生(アメリカは中学2年、高校4年)になっても受験だからといって部活を辞めようとはしなかったし、勉強の成績の方も学年でトップクラスの位置を保持していた。
息子は本当は受験勉強の為に部活を辞めたかったに違いないと今でも私は思っているが、嫁さんが「受験勉強の為に部活を途中で辞めるのは弱い男だ!人生、最後は体力が勝負やで!」と常に主張していたので、センター試験の前日にも朝練の為に朝5時半に息子を起こした。

英語の授業についていけるかどうかを心配していた私はまさか英語のテストでもイリノイ州でトップ3に入る高校で上位10%に入るとは夢にも思っていなかった。
父親の私からみたら息子の高校時代の生活はフラフラの限界状態、「こいつ、過労で死んでしまうのではないか?」と一時は本気で心配したこともある。

そして息子のセンター試験受験の当日にとんでもない事件が起こるのである。

受験当日の朝、案の定息子は連日の朝晩の部活の疲れが災いしたのか風邪をひいてしまい、車で1時間ほどの距離にあるセンター試験会場まで自分で車を運転して行く自信がなくなったので送ってほしいと私に頼んできた。
前日の朝に息子は鼻水を垂らして咳きもしていたので、実は私は息子に頼まれなくても私は息子を試験会場まで送ってやる予定をしていた。
だから前日の仕事の帰りに試験会場に寄って私が道順をしっかり覚えておいた。
同僚や上司にも翌日は出社が遅れることも既に話しておいた。

試験前日にも息子は風邪をひいて具合が悪かったにも関わらず息子は午後の部活を休むまなかった。
大事な試合が控えていたからだ。
アメリカの高校では受験生だからといって部活を強制的に辞めさせるようなことは一切ない。
全て本人の意思次第である。
そして部活から帰ってきた息子は飯もロクに食べずに直ぐに自分の部屋で眠り込んでしまった。

息子は試験前日に自分が車を運転して試験会場まで行って道順と場所を確認する予定だった。
試験会場までの道を間違えたりして遅れたら大変なことになってしまうからだ。
だから私は息子を起こしてやろうとしたら嫁さんは絶対に起こすな!と叱られた。
嫁さんは息子自身が道順と場所を確認するのを怠ったのだから、その責任は本人に取らせなければならないと言うのだ。
何れにせよ、翌朝は私が息子を試験会場まで送ってやる積もりをしていたので、その時は嫁さんに逆らわずにそのまま息子を寝かせてやった。

そして翌朝、息子のセンター試験の当日の朝に嫁さんと私はそのことで大喧嘩をしてしまい、離婚騒ぎにまで発展してしまうのである。
息子の大事な受験当日の朝に嫁さんと結婚してから最大の夫婦喧嘩が始まったのである。
約10年前の出来事であるが、今でもあの喧嘩が最大のものであり、下手すれば本当に離婚していたかもしれないと思うものであった。

あの日の朝の出来事は息子も私も間違いなく一生忘れないと思う。

しかし嫁さんだけは「そう言えば、そういうことがあったなぁ。」と言うぐらいなので私は驚いてしまうのだ。

あんな事件を忘れてるとは...

あの当時は現在の様な息子に特製の「野々村係長の柿ピー」を作ってやる優しいお母さんの顔ではなかった。

To be continued.....





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最終更新日  2015.03.07 06:18:12
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