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テーマ:サッカーあれこれ(20135)
カテゴリ:┣ ★サッカーについて★
いつもはサイン・看板の話を書いているが、私の好きなスポーツ、サッ
カーについての小話を。 サッカーは試合の内容もさることながら、両国の入場行進から始まって 国歌斉唱の場面も一つのハイライトである。 試合前のぴりりとした緊張感が入場行進から始まり、全選手の顔立ちに は余裕のかけらも感じられない。そしてそれが国歌斉唱の場面で頂点に 達する。 目を閉じて黙って歌に聴き入る選手もいれば、観客と一緒に国歌を斉唱 する選手もいる。 正面の一点をじっと見据えて直立不動の姿勢を崩さない選手、胸の前に 腕を置いてじっとたたずむ選手、表現の仕方は各人異なるものの、雌雄 を決する戦いを行う前の戦士さながらの様相が見る者を圧倒する わずか数分の映像ではあるものの、まさにこの試合にかける両国の代表 選手の意気込みが凝縮されている一コマといっていいだろう。 欧州予選あるいは南米予選を見ているとそう感じるのだ。 それに対して我が日本代表の選手のそれはどうか 私は日本代表の試合はあまり見たことがないので、月刊誌の写真あるい はスポーツニュースなどの映像から判断するしかないのだが、どう見て も戦地に赴く前の戦士の顔とはいいがたい。 絵にならない顔つきというか、もっとはっきり言えば間の抜けた顔つき がとてもが多いのだ。 サッカーファンなら誰しも選手の姓名、年齢、出身地、略歴などを覚え ようとするだろうが、欧州・南米の主要各国の代表選手のデータを見て いると、「これで22歳?」などとびっくりすることがしばしばあ る。 年齢と顔つきとが一致しないケースだ。年齢的にはまだ若年でありなが ら、すでにそのチームの顔となって風格を漂わせている、というケース は結構多い。 プロサッカー100年の歴史を持つ欧州とまだ20年弱の歴史 しか持たない日本選手とでは経験の差が最も大きく、その年輪の刻まれ 方がそのまま代表選手の顔つきに伝統として受け継がれ反映される。 だから日本代表選手の顔つきにはプロサッカー選手として疑問符が付く ぼけた顔が多いのだ 単なる人種の違いだけでは片づけられない差がそこには歴然とあると 言っていいだろう。 単に日本が勝った、負けたで一喜一憂するのではなく、欧州予選あるい は南米予選を見て、彼らの経験からくるいやらしさ、ずるがしこさ、し たたかさが染みこんだ表情と動作を充分にを感じとってもらいたいもの だ。 2006年9月6日、オシムジャパンはイエメン代表との試合で 1対0の辛勝であった 今の日本代表に最も欠けているのは「戦う気持ち」だろうと思う イエメン戦が終了した後、日本に帰国しないで(身の安全が保証 されるのならば)中東の紛争地帯で1年間生活する方が、 サッカーをするよりも彼らにとっては勉強になるはずと思ったのは私だ けだろうか 暴論であるのは自分でも理解しているつもりであるが、先般のワールド カップを見てそう考えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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