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カテゴリ:ショートストーリー
時代祭
京都の時代祭は、平安時代から明治維新までの色とりどりの衣装で、京都御所 から平安神宮まで、総勢約二千人練り歩く京都三大祭りの一つです。 明治時代に平安遷都1100年を記念して始まったそうです。 その祭りの見物を楽しみにしている初老の夫婦の作治さんと節子さんは、 結婚して60週年を迎えたそうです。 昨年までマラソンに出たりと達者が自慢だった作治さんは、体調を壊 されたらしく、節子さんの押す車椅子に座ってられました。 「どうしたんですか」 と聞かれると、 「なさけない話や」 と涙を流されました。 達者だったからこそ、なおさら自分の身体が動かない苦 しみを感じておられるのかもしれません。 この二人の馴れ初めは、60年前に溯ります。 京都市内に当時住んでいた作治 さんが兵隊検査に舞鶴まで2時間程かけて行くと、役場の職員で応対してくれ た可愛い女の子がいました。 その女の子が節子さんでした。 思わず一目惚れした作治さんは、どうしても節子さんを嫁にしたいと思ったそうですが、とにかく2時間の道のりです。 実家の両親は、 「ちょっと遠いから、やめておけ」 と乗り気ではなかったそうです。 そんな時、作治さんは京都の大学を出た先輩 が、仕事で行った先の中国人女性と恋仲になり結ばれたと言う話を聞きました。 「2時間くらい、大したことないやないか」 と、作治さん両親を説得しました。 そして、なかなか「うん」と言ってくれな い節子さんに会いに毎週末、舞鶴まで出かけたそうです。 旅館に泊まるお金もなかったので、ほとんど駅の待合室に泊まったそうです。 で、1年後、まだ迷っている様子の節子さんに 「俺といっしょになってくれないなら、舞鶴の海に飛び込んで死ぬ」 とまで言って、強引に口説いて結婚したそうです。 さて、作治さんは、戦争には行かなかったそうですが、親の代からの農家の仕 事を放ったらかしにして、いろんな事業をやったそうです。 しかし、悪戦苦闘のかいもなく、とうとう事業では成功しなかったそうです。 つい先日、肝硬変で倒れた作治さんは、生死の間を彷徨いました。 その時、作治さんは、てっきり、このまま自分が死ぬと思ったらしく、 さんざん苦労をかけたばかりで、小旅行すら一度も連れて行っていない節子さんに 「夫らしいこと何もできず、世話になりっぱなしやったなあ」 と、枕元の節子さんに言ったそうです。 節子さんも、この60年の苦労に苦労 を重ねた想い出が走馬燈のように頭の中を駆けめぐったのでしょう、精一杯の 言葉を探しました、 「あなたのおかげで、すばらしい人生でした」 節子さんの言葉が、今にも消えてしまいそうな意識を蘇らせたらしく、作治さ んは、何とか危機を脱しました。 まだまだ、予断を許さない状態の作治さんですが、 「もうすぐ、時代祭ですね」 と言われると、 「そうや、なんとか今年も時代祭を見れそうや」 と、気を取り直されたのか、作治さんはニコニコ顔でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.23 08:12:13
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