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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

西安旅情2


「陝西省西安旅情9」


「上海発!画像の更新!」では、
西安の画像を公開しています。


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1380年に建てられた鼓楼の高さは34mあり、
レンガ造りの土台に開けられたトンネルを、
潜り抜けると回坊風情街に出る。
鼓楼の下を通り抜けるトンネルの長さは7mほどに感じた。
トンネル内画像のF値はF2.8とこれ以上明るくできないので、
暗く感じるが、肉眼ではもっと明るく見える。


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回坊風情街に出て回族のみやげ物屋を見て回ると、
鋳物で出来た兵馬俑のミニチュア置物が沢山売られていた。
中国の他の都市のみやげ物屋でも偶に見かけるが、
この西安の土産物屋では売られている数は半端ではなかった。


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「陝西省西安旅情10」


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鐘楼は鐘を突き時を知らすための建物であるが、
鼓楼も鐘楼と同じく時を知らせるための建物である。
ただ時を知らせる方法が鐘ではなく太鼓を打ち知らせる。
中国の各都市では鐘楼と鼓楼が東西に配置してある。
日本でも鐘を鳴らして時を知らせる。
しかし、太鼓は武家社会にあり一斉登城などの、
知らせをするために鳴らしていた。


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鼓楼には「文武盛地」と書かれた額が、
掲げてあり、その意味は文字の通り文武が盛んな地との意味。
その鼓楼を潜り抜け、更に鼓楼を見上げると鼓楼の周りを、
飛び交う鳥たちの姿がスポットライトに照らされ目に入り、
鳥たちを撮影したが、シャッタースピードが遅く、
きれい(鮮明)には撮れていない。
つづく


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「陝西省西安旅情11」


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画像はライトアップされた西安の鐘楼である。
中国では通常、東に鐘楼、西に鼓楼を置き朝には鐘を打ち、
夕方には太鼓を打って時を知らせた。あたかも現在の、
音楽を流して時が来た事を知らせるようなものである。
現在の鐘楼や鼓楼の多くがライトアップされ夜空に輝く。


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鐘楼からホテルへ向かって歩く途中で、
KFCカーネルおじさんの見慣れた看板に出会った。
今では中国のどこへ行ってもマクドナルドと、
ケンタッキーフライドチキンを見る事ができる。
その勢いは農村地帯の繁華街でも見られる。
収入の割りに結構高いと思うが、それでも、
店の中はお客でいっぱいである。


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「陝西省西安旅情12」


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西安の街角で売られていた綺麗なガラス細工。
そのガラス細工の周りには買い物客が、
手に取り気に入ったガラス細工を選んでいた。
中国では17世紀後半よりガラス細工が盛んになった。
中国唐の時代の首都であり、その頃はまだ長安と呼ばれていた。


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西安市街のホテルで朝を向かえた私は、
大慈恩寺塔までバスで行こうと計画を立てていたが、
ホテルを出る時間が予定より1時間遅れてしまったため、
タクシーを広い大慈恩寺塔まで向かった。
画像は大慈恩寺塔前の遊歩道であり、
その遊歩道に作られたブロンズ像郡である。


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「陝西省西安旅情13」

「上海発!画像の更新!」では、西安の画像を公開しています。

今朝メールが入り、内容は文字が白っぽく読み辛いとの事でした。
他にもこのように思われる方がいらっしゃるかもと思い、
お役に立つかどうかはわかりませんがお知らせ致します。
マウスで文字を反転させ藍色にしてお読み下さい。


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西安のシンボルといえばやはり大雁塔だろう。
また大雁塔で思い当たるのは西遊記の三蔵法師。
三蔵法師はインドから持ち帰った経典や仏像などを、
保存するために、三蔵法師が高宗に申し出て、
当時長安と呼ばれた652年に建立された塔である。


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大雁塔の建つ寺を大慈恩寺と呼ぶ。
大慈恩寺は唐の第三代皇帝の李治が皇太子の頃、
亡き母の追善のために649年に建立したものである。
今の西安と呼ばれる都市は、その昔長安と呼ばれていた。
長安から西安に改名されたのは1368年の事である。


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「陝西省西安旅情14」


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中国の戦国時代にも多くの民が戦火に追われた。
長安が都になったのは前漢(紀元前206年)の時からであり、
その長安の名は唐(907年)までの1100年の長きに渡った。
唐の滅亡後幾度の戦乱の世で長安の名は消え失せる事になる。
その後は戦乱の世が続き時代は五代・北宋・南宋・元と流れた。
長安から西安へ改名されたのは明(1368年)からである。


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画像の子供たちのブロンズ像は、
大慈恩寺前の遊歩道に置かれている。
幾度もの戦火で追われた民達の懇願の姿か、
私にはその他の事柄が思い浮かばなかった。
中国人は、当時の乞食の姿をブロンズ像にしたと・・・
だが私には下の画像の子供の見上げる目に、
平和を願う強い思いが描かれていると思った。


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「陝西省西安旅情15」


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大慈恩寺に建つ大雁塔は幾度もの戦火で、
消失し500年間に二度の修復がなされて来た。
最近では450年前に修築され、中華人民共和国建国後、
再度修築されレンガ作りの7層の姿になった。
大雁塔の高さは64mあり螺旋階段で7階まで上がれる。


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大雁塔の名前の由来は何だろうと思った。
雁に由来しているのだろうとは思っていた。
その由来は雁の群れから地上に落ちて死んだ1羽を、
菩薩の化身として塔を建て埋葬供養したからとの事。
画像は大慈恩寺裏手に長い壁が建てられ、
西安に縁する物語が描かれ、その一部を撮影した。


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「陝西省西安旅情16」


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大慈恩寺の東側には大きな公園が出来ていた。
昔は公園の敷地内に多くの住宅が建っていたが、
全ての住民には立ち退き後の土地を提供し、
順調に整備され、広々とした公園に変貌した。
公園と大慈恩寺の境には高さ3m幅100mの壁と、
幅4m長さ100mほどの水槽に無数の噴水があった。


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壁には千手観音やその時代の物語の人物が、
描かれていたが、その中には西遊記の孫悟空や、
猪八戒また沙悟浄などの架空の人物も描かれていた。
全てが西安に纏わる物語の人物が壁に描かれていた。
画像は路地で撮影するカメラマンを後ろから撮影した。
夜にはライトアップされ更に美しい街並みとなる。


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