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村の学校の雪ぞりレースにペーターが自作のそりで出場する話である。アニメオリジナルのエピソードであるとのこと。 山が雪で閉ざされる冬のあいだ、ハイジ達はふもとの村で暮らしている。 廃屋を改修した家のなかで、黙々と細工仕事をこなすおんじ。 それを見つめるペーターの興味津々な目つきに気づいたおんじは、彼に作業を手伝わせる。 作業台に座ったペーターが力を込めてかんなを引くと木くずがはらりと削り取れる。 それを見たハイジは笑顔をはじけさせ「わあ、けずれた!」と歓声をあげる。 かんなをかければ木が削れるなんて当たり前のことで、わざわざ口に出して言うようなことではないかもしれない。 しかしこういう当たり前でなんでもないようなことが、ものづくりの根本にあるように思う。 ものづくりの楽しさには、作品に独自の工夫を凝らすことや、自分の技術が向上することなど いろいろあるだろうが、その原点には、筆を持って手を動かすとその跡が線になるとか、 土のかたまりに力を加えると形が変わるとかいったごくシンプルなことが、普遍的に存在していると思う。 そしてありふれていたり根底に存在するようなものには、言われなければなかなか気付かない。 かんなで木が削れるということは、十分に感嘆に値することなのだ。 ハイジの「けずれた」というセリフによって、視聴者はこんなことを考えさせられる。 そしてペーターの木工細工に対する熱心さを見ると、彼の中でも同じような気づきが起こっている。 さらにいえば、おんじやペーターのおばあさん、クララ、クララの父などハイジの周りの人々の内部でも 似たようなことが起こっている。 「アルプスの少女ハイジ」とは、このような、心をちょっと塞いでしまったり、ものの見方にヴェールをかけてしまった人々が、 ハイジのまなざしや言動をとおして、自らを解放して自身や世界を素直にみることができるようになる物語だと思う。 (ロッテンマイヤーさんは終始自身の表層と深層が一貫しているので、ハイジと出会っても何も変化しない。) 木工の面白さに目覚めたペーターはハイジの熱心な提案に押されそりを自作し、見事にレースで1位を勝ち取る。 そしてペーターの才能のに兆しに気がついたおんじは、彼が冬のあいだ木工細工を続けられるよう取り計らってやる。 (おんじがペーターのそり自体の出来よりも、かんなをかける音に才能を見出すのも示唆的だ。) 時折キリリとした表情を見せるもののどこか茫洋とした存在であったペーターが、 自らを発見し歩みだすというような変化と、雪ぞりレースシーンのスリリングで爽快な描写が呼応し 強烈なカタルシスを味わわせてくれる。ペーター好きにはたまらないエピソードなのだ。 氷川竜介さんの高畑監督への追悼コメントには 「日常生活の中にこそ喜びや驚き、奇跡がある」。高畑勲監督の全作品には、この哲学が貫かれていた。 とある。 その「奇跡」とは、出来事そのものだけではなく、それを見出して変化する人の心をも指し示していると思う。 高畑監督は亡くなってしまったが多数の作品と発見がその中にまだまだ残されているはずだ。
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最終更新日
2018.05.28 01:16:34
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