~緊急手術翌日緊急手術翌日夜が明けた。 よく眠れなかったが、気分は悪くなかった。 それよりも、痛みから解放された喜びの方が大きかった。 しかし、このときわたしはまだ知らなかった。 このあと、恐怖のガーゼ交換が待っていようとは。 毎朝9時。先生と看護師さんの集団がまわってくる。 傷口のガーゼ交換をするため。 「ただいまよりガーゼ交換を行います。」 という院内放送でそのことを初めて知る。 先生が回ってくる前に、看護婦さんが先におなかの準備に来る。 おなか丸出しなのだが、手術をしたところがどうなっているのか自分からは見えない。 どんなことをされるのだろうか。痛いだろうか。 先生を待つ。 緊張! 「どうですか?」 先生登場。 先生が来てくれると、やっぱりうれしいし、ほっとする。 しか~~し、次の瞬間!!! ぬぉぉぉーーー。 身の毛がよだつ!!! き、き、傷口をなぞっとりますかぁぁぁ(悲鳴) どうやら、傷口を消毒している模様なのですが、こちらからはどこをどうされてるのか全くわからず。 ただただ、そのおぞましい感触だけが肌から伝わってきて、もう、もう、たまりませんでしたぁ(涙) (でも、よく考えると、痛くはなかった・・・かなぁ。) そしてそれから数日は毎朝9時は恐怖の時間となった。 ベットに横になり、怒涛のこの数日を思い返していた。 驚いたことに、もし、あのまま死んでいても、私の人生に悔いはなかったと思っていた。 あたしはほんとに十分幸せだったと。 もちろん、日々いろんな出来事はあるのだけれど、それを全部はねとばしてくれる、大きな愛情いっぱいにあたしはいつも包まれていた。 だから、日頃から、あたしはなんて幸せものなのだろうと思っていたけれど、死と直面して、そう思える自分は、心底幸せだったのだと涙が出た。 わたしは時々考える。愛するものに先立たれるのと、愛するものをおいて死ぬのとどちらがつらいだろうかと。考えても答えは出ないのだが。 だが、愛するものより先に死にたいと簡単にいってしまうのは、あたしにはほんとの愛でないような気がしてしまうのだ。 愛するものが死んでしまったら、生きていけない、それほど愛しているということなのだけど、でも、残された方はどうなるのと考えてしまうのだ。 愛するものを失った、残されたほうは、どれほど悲しみ、そしてどれほどその悲しみと寂しさが続いていくのかを考えると、愛するものを見取ってから死ぬといった方がかっこよく感じてしまう。 でも、そういう思いをさせてしまうと思いながら先に死んでいく方もどれだけつらいことか。 結局たどりつくのは、愛するものをおいてあたしはまだ死ぬわけにはいかないということ。 そして命が助かった今、切実に思う。もっともっとずーっと一緒にいたいと。 だけど、愛するものを失ったら、あたしもやっぱり生きていけそうにない。 リハビリはなんと、手術翌日からもう始まる。 癒着しないためにも、体を動かした方がいい! といわれていた。 特にあたしは、腸の炎症がひどくとろとろになっていたため、ますます癒着しやすい状態にあった。 看護師さん「行きますか?」 mo―mo「は、はいっ!行きます!」 癒着はいやぁ~の一心で、手術の翌日から歩きましたよ、頑張って(涙)。 ま~、よたよたとひどい歩き方だったけど、でも、うれしかったです。歩けた~って(*T▽T*) 昨日の夜の眠れない間も、そして、このときも、すぐに元気になれそうな、そんな気がとってもしていました。 第2ラウンド へつづく ジャンル別一覧
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