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今が生死

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2018.04.13
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テーマ:心の健康法(576)
カテゴリ:生き方
それぞれの人には時々に応じてそれぞれの願い事がある。大学合格の願いや病気が治ってほしい願いや好きな人がこちらを振り向いてくれることを願うことなどである。またイラクやシリアが平和になってもらいたいと願っている人もいると思う。その願いは心の中で単に願っている場合、お百度参りで何十回、何百回と神社仏閣にお参りに行ってお願いする場合、断ち物と言って、酒とかたばこ、スイーツなど自分が一番好きなものを絶って必死で念ずることもある。信仰している人はそのご本尊にひたすら祈る。自分のために祈ることもあるし、自分の大切な人のために祈ることもある。
そしてその願った結果はどうなるのであろうか?例えば政治を志す者はほとんど総理大臣になりたいと願っていると思う。しかしそうなれる人は数人しかいない。圧倒的多数の人の願いはかなわないのである。あるいはオリンピックで金メダルを取りたいもしくは取らせてやりたいと願ってもその願いが叶うのは何百万分の1である。願いをかける対象にもよるが願いをかければそれがかなうというものではなく、むしろ叶わないことの方が圧倒的に多いことを自覚すべきだと思う。
人々は願いが破れても破れても懲りずに願いをかけ続けながら生きている。それが人生というものかもしれない。願いがかなった人の晴れがましい顔と対照的にそれが叶わなかった何百万という圧倒的多数の人は落ち込む。しかし願いが叶わなかった時の対応でその人が決まるのではないかと思う。自暴自棄にならずに新たな願いをかけて前に進んでいくことが大切だと思う。願いが叶わなかったことが分かるとしょぼんとしてしまう人が多いが、上述してきたように願いとは叶わないことが圧倒的に多くそれが当たり前のことなのだ。くよくよしないでまた別の願いとか別の人に恋していくことが大切だと思う。その中で人格が陶冶されていくのだと思う。





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Last updated  2018.04.13 23:05:58
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