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いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

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2007.10.11
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 私は中学生の頃、「夢」をコントロールしていました。

 「コントロール」と言うと、ちょっと大袈裟な表現かもしれませんね。夢の中で「今夢を見ている」と認識していたと言えばよいでしょうか。そして、自由なタイミングで「現実」に戻ることができました。夢に入った瞬間「夢の中」という意識があって、怖い夢でもギリギリまで楽しめるんですね。「もうダメだ!」と感じたら、想いっきり目を瞑るんです。

 目を開けると「現実」です。そして「夢」の続きを見たいときは頭の中で2つの棒を立て、その間を通過すると続きの「夢」の世界です。2つの個人的「儀式」によって「夢」の出入りが自由でした。ただ、その内容まではコントロールしていた感覚は無かったですね。私には、「夢」には自分が無意識?に創りだす「他意識」的感覚があります。

 そんな感覚が1年程つづきましたかね。毎日夜が楽しみでした。その後も夢が覚める間際になると、「夢」を自覚できることは度々あります。時には、「夢」と「現実」との境目で楽しむこともできます。大概は、徒競走で調子よく走っていたが、「夢」を意識すると急に足が重くなって、ゴール寸前に皆に抜かれて悔しい・・・といった程度のことが多いです。(笑)

 「夢」の中で手に入れたモノを、「現実」に引っ張ってこようとしたことがあります。(バカですね)「夢」の景色とマブタの裏?の「チラチラ」した景色が重なってくると、手に持っていたモノの感覚が薄れてきて、また1度「夢」側に戻って感覚を取り戻し、再度チャレンジ・・・もちろん結果はダメでしたが、そんなふうに「夢」で遊ぶことができましたね。

 そういえば先日、「金縛り」に遭いましてね・・・例によって「チラチラ」した景色が現れ、普段の部屋の天井の景色に移ると、体が動かなく、後頭部から背筋にかけて痺れを感じましてね、そのうち人影の様なモノが現れ、馬乗りで手首と首元を抑えられましてね・・・ただ、怖いんですが不思議なことに冷静で、この行く末を見届けてやろうという気持ちになり・・・

 するとまた例によって「チラチラ」した景色が現れ、つぎに普段の部屋の天井の景色がはっきりしたときはその人影もなく、体も動くようになっていましてね・・・どうやら二重に夢を見ていたようです。(笑)そんな「夢」に絡むエピソードも紹介しておきます。全ての人のケースに当てはまるとも思いませんが、気持ちに余裕がありましたら試してみてくださいね。

 話を少し戻しますが、「催眠術」なども「儀式」によってその世界観に導入される点は似ていますかね。また、「夢」や「催眠術」によって世界観(別意識的)を築くと、そこから別の視覚や触覚といった「感覚」を生み、「現実」に無いモノを存在させると感じます。そこには「想い込み」という力を感じます。

 「視力を失った人が老いてアルツハイマーになり、視力を失っていた頃の記憶を無くしたことで視力を取り戻した。」というドキュメンタリー番組を見たことがあります。「夢」や「催眠術」などだけでなく、「現実」でも「想い込み」の関与を強く感じられます。色々なモノを吸収しやすい子供の頃から、長い時間をかけて色々刷り込まれてきていますからね。

 そう考えると、「現実」と称しているこの世界も本物かどうか。「布団に入って目をつぶる」という「儀式」をすれば「夢」の世界に目覚めてしまいますものね。(笑) 世の中、「想い込み」(世界観)が無いとなにも始まらないのかもしれませんね。 

 「幻覚」や「錯覚」などには今の主世界観(科学等)の中で全ての他世界観が存在するために大切な「役割」(矛盾)を感じると同時に、主世界観の現状での「逃げ場」(矛盾)的役割も感じます。そして新たにそこに「理屈」が創られ、信念(想い込み)の強い研究者がそれを具現化してゆき、そこにまた新たな「矛盾」が生まれて・・・「無限」ですね。(07.11.25著)

・・・・・・・・・・     

 健康のために、食べ物や薬(サプリメント含)・運動に人一倍気を遣っている知人がいます。

 そのかいあってか、いつも元気ハツラツで人一倍動き回っています。ある日とても調子の悪そうに尋ねて来ましたが、自分なりにその原因を、「いつも摂っている健食をここ2~3日摂ってないからだ。」と分析していました。私も同感です。自分の中で創り上げていた健康の方程式(想い込み)を破って不安を創ってしまったように感じます。ただとても疲れを感じます。

 「健康オタク」とかいう括りの人のように感じますが、そういった人に限って信頼を置いているそれらのモノをうっかり忘れてしまうととたんに不安になり、人一倍調子を悪くしているように見えます。そして効き目を感じられなくなると新しいモノに乗り換えて安心を得る人も少なくないように感じます。人によっては病気とすぐ背中合わせになるようにも感じます。

 少し反れますが、病気なども広い意味での頑張りすぎなどから来る曖昧な調子の悪さに、医者などによって具体的な病名や原因を与えられることによって治る「道筋」を築かれ、不安を取り除かれ、治る方向に気持ちを変えることが出来ると感じます。ただそれによって、再び同じ病気になる「道筋」も自分の中に築いてしまうジレンマも感じますね。

 私も元々はじっとしていられないたちで、朝から晩まで現場で肉体労働して、夕食はインスタントラーメン、その後パソコンに向かって図面を描いて、睡眠3~4時間。夢の中でも図面描いたり次の日の段取りの予習をしたり・・・といった生活を2~3年続けたことがありました。ただ毎年健康診断を受けるたびに「評価A」(すこぶる良好)の結果をもらっていました。

 そこには大変ながらにも何処かで感じていた「充実感」に要因を感じていますが、とても複雑な思いをしたこともありましたね。たまにはそういった機会に皆に調子悪さを訴えて、頑張っていることをより主張したかったですかね。(笑)ただ「充実感」は、体(別人格的)の「疲れ」を感じることを鈍くしてしまう懸念も感じます。

 好きなことをやっている時は、精一杯(無意識的に)動いてもあまり疲れは感じませんが、体には疲れが溜まっているように感じます。それが、仕事などあまり楽しくない時に噴出し、嫌なことをやると疲れるように感じることも少なくないと感じます。時に、本当に嫌なことをしている時は無意識にも力を抜いていて、体を休められるように感じます。(08.8.12著)

・・・・・・・・・・

 TVで瓶詰め食品の消費期限について専門家が話していました。

 開封して2週間以上経つと危ないそうですね。ただ出演していた芸能人達は「私は1~2ヶ月くらい食べていた!」という声が多かったですね。だからといって体調を壊したわけでもなさそうでしたが・・・。彼らは今後その専門家の言葉を信じて2週間以内に食べきるようになるのでしょうが、1~2ヶ月食べても平気だった経験(事実)は信用できないのですかね?

 ただ今後はその専門家の言付けを破るような行為をすると、体に変化が現れる人もその中から出ると感じますがね。その専門家の発言への納得(信頼)から一種の呪縛(想い込み)を自分の中に創ってしまい、体もその発言のように反応してしまうようにも感じますかね。「専門家が言うのだから間違いないだろう」・・・と言った具合ですかね。

 また賞味期限や消費期限などの改ざんが問題になっていましたね。賞味期限って、より美味しく頂ける期間のようですね。多少その期限を過ぎても健康には害は無いようですね。むしろもったいないので、幾分安くなっていれば私はそれで良いです。ただ騙されていたり、誰かが儲けている感覚が伝わってくると、偽装の名の元に突っつきたくもなりますかね。(09.9.1著)

・・・・・・・・・・

 「最近、想った通りになるの♪」

 私も物事の始まり・変化の基本に「想い」があると感じていますので、彼女に当然の事として伝えると、「今まではどんなに強く想ってもそんなことは無かったし、最近はそんなに強く想わなくてもその通りになってしまうの!」って、ちょっとムキにさせてしまいました。「後から考えるとアレがそうだったのか」とか思い当たる出来事も増えているということです。

 ただ後に思い出せる記憶として残しておけるモノであれば、その瞬間は無意識にもある程度の強さの「想い」であったようにも感じますがね?彼女は最近「気」的世界観に足を踏み入れたようですし、そういった世界観にはそのような「予言」的質の能力とも関わりが強いイメージもありますかね?「予言」と言うより「想い通りに事が進んだ」だと感じていますがね。

 その世界観の訓えにより、そういった事に「関心」が高まり、そういった「特別」の能力が備わってきた確信が欲しい「想い」にも記憶力の違いの要因を感じます。いわばそのことで「想い」も強まったと言う捉え方もできますかね?彼女より昔にそんな世界観を築いた私は、「特別」を「当たり前」に表面にも変えたいプライドを、前記の彼女への対応に感じますかね。

 「特別」的位置づけは「関心」を生み、新しい「想い」を強める上で時に大切とも感じますが、本当の意味で「当たり前」になっているモノ、常に当然のこと(常識)として起こる現象こそ、最も「想い」が強まったモノであるとも感じますね。というよりも同じ方向性の「想い」が集り易く、強まり易くなったモノが「常識」のようにも感じますかね。

 また私が感じる「想い」が現実にならない原因として・・・

 1. 周りに方向性の違うもっと強い「想い」を持った人がいること
 2. 自分の中に「まさか」・「でも」などの逆方向の「想い」が強まってしまったこと
 3. 「想い」を持続できない(飽き・心変わり・諦め等)こと

・・・などがあげられますかね。2は「想い」が遂げられなかったようですが、結果的に逆の「想い」が叶ったということですよね。おそらく「やっぱりね」という気持も残っていたりするでしょうからね。3は「想い」を叶えるには叶うまで続けること・・・当たり前でひねくれた言葉遊びのようにも感じますが、何よりも確かで基本なことであると感じますかね。

 その人の気質によって1・2(他との関り方)の影響の強さは大分変わり、3に繋がるように感じますかね。ただ「諦めなければ必ず夢(想い)は叶う」も、ある意味特殊な気質(ワガママ・無邪気等)を矯正されずに持ち合わせていて、夢(想い)を叶えてしまえた人だからこそ、後を振り返って言えた言葉であるように感じることも正直少なくないですかね。(09.11.26著)


姉妹日記「関心」へ / 「索引1」「索引2」「索引3」





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Last updated  2013.08.03 15:03:44
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