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カテゴリ:史記
豎子与に謀るに足らず(じゅしともにはかるにたらず)
意味 考えの浅い者とは、重大なことについて相談しても仕方がないということ。 漢の元年(BC.206) 秦の都の咸陽を陥落させた劉邦は覇上で項羽の到着を待っていた。 項羽はというと咸陽への一番乗りと財宝を独り占めしたという密 告を聞いて劉邦を殺そうと思っていた。 楚の大将軍、項羽の軍勢は40万、一方の劉邦軍は10万しかいなかった。 しかし項羽の叔父の項伯が劉邦の軍師の張良に策略をもらしたので、劉邦が項伯にとりなしをたのんだので戦はいったん中止になった。 戦は一時中断したものの、劉邦は保身のために少人数で項羽と会うことにした。 これが有名な、「鴻門の会」である。 項羽の軍師、范増(はんぞう)はというと、絶好の機会だから項羽に劉邦の隙を見て殺すように耳打ちしていた。 劉邦は一番乗りの非礼を詫びて項羽も許すほかなかった。 范 増は宴のさなか項羽に目配せして、劉邦を斬るようにうながしたが、項羽はいっこうに動く気配がなかった。 痺れを切らした范 増は、項羽の甥の項荘を呼んで剣舞の舞の最中に劉邦を斬らそうと画策した。 項荘が舞いながら劉邦のそばに近づこうとすると、項伯がただならぬ気配を感じて立ち上がり、舞を舞いながら劉邦をかばう動きをはじめた。 張良は情勢が悪いと見て、控えの間に控えていた大男の樊カイ(はん かい)を呼びにはしった。 樊カイは劉邦の危機と思い、番兵を突き飛ばし宴の間に飛び込んできた。 凄まじい形相で項羽をにらんで仁王立ちになった。 項羽は驚き「あれはだれじゃ」といった。 「ともの樊カイです」と張良は答えた。 「なかなかのモノノフじゃのう。酒をとらせよ」 樊カイは立ったまま、大杯の酒を飲み干した。 項羽は肉をやるようにいった。 しかしそれは生の豚肉であり、樊カイは盾をまな板代わりにして切り、ムシャムシャ平らげてしまった。 「もっと飲むか」項羽がいった。 そこで樊カイがおもむろに口を開いた。 「劉邦様に害意はなく、咸陽を落とした功労者にもかかわらず、小物の讒言をきいて殺すのですか」 宴がいっきにしらけて、劉邦は樊カイをさそって厠に行った。 そして、そのまま自分の陣へ逃げ出したのである。 張良は事前に算段しておいた通りに劉邦が覇上の陣へたどり着いたころを見計らって宴の間に入ってきた。 項羽に劉邦からの贈り物の白壁一対と范増へは柄付の酒器を献上して無礼を詫びた。 范増は贈り物を見て歯軋りして悔しがり、剣を抜いてそれを突き砕いていった。 「豎子与に謀るに足らず(じゅしともにはかるにたらず) 項王の天下を奪うものは沛公(はいこう・劉邦)であろう」 と嘆いた。 意味 ああ、こんな考えの浅い者では大事な相談するに足りない。 項王から天下を奪う者は、必ず沛公(劉邦)だ。 項羽はこの後5年間、漢の劉邦と天下の覇権を争うことになるのである。 項羽には 「先んずれば人を制す」という故事も残っていますが 権謀術数うずまくのは嫌いなようです。 織田信長なきあとの後継争いにやぶれた、柴田勝家みたいですな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年05月10日 23時39分01秒
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