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カテゴリ:災害・復興ボランティア
報道もボランティアバスの数もめっきり少なくなりました。私自身も1年ぶりのお手伝いになります。
先週はちょうどその日だったために満席でしたが、今週は催行人数に達しませんでした。しかし、みんなの思いに応えるため、伝えるために催行決定したそうです。ありがとうございます。 前日23:50池袋を出発、休憩とりつつ陸前高田に着いたのは8:00少し前。晴れていましたが風が強く寒かったです。 山梨峡北交通のボランティアバス 今回は1泊ツアー。初日は陸前高田や気仙沼をまわりました。 気仙沼は1年ぶり、陸前高田においては約3年ぶりです。 奇跡の一本松はレプリカになり、周辺のみですがキレイに整備されていました。たもとにはアンパンマンでお馴染み、やなせたかし氏が描いた「ヒョロ松君」のモザイクタイルがあります。 陸前高田においての震災遺構は、 「建物内にいた方で犠牲者が出ていないこと」 「かさ上げの予定区域でないなど、復興のまちづくりに支障がないこと」 などを条件として、「奇跡の一本松・陸前高田ユースホステル」「気仙中学校」「道の駅高田松原タピック45」「下宿定住促進住宅」4つあります。 * 陸前高田の震災遺構について: https://www.pref.iwate.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/039/522/60sinsaiikou.pdf 2017年3月18日一本松とユースホステル、防潮堤 2007年4月30日上の写真とほぼ同じ場所から同じ方向を眺める 「ヒョロ松君」のモザイクタイル 一本松と気仙中学校 道の駅高田松原タピック45 松原の松の根(保存しています) 3年前に来たときと違うのは、山から切り崩した土を運ぶ巨大なベルトコンベアー「希望の架け橋」が撤去されてなくなっていたことくらいで、何もない広大な更地、かさ上げのための土の山、巨大な防潮堤、、、正直なところ「この状態になってから時が止まっている」ように感じました。 高田松原のあった場所には巨大な防潮堤 「希望の架け橋」は撤去されていました 奥に切り崩されていた山、左は気仙中学校 盛り土を運ぶダンプカーの列 津波の高さは看板のてっぺん15.1m そんな陸前高田の街を巡りながら、復興まちづくり情報館へ。 ここは陸前高田における復興事業やその進捗状況などを紹介しています。 復興まちづくり情報館 復興の状況:上2011年4月5日、下2016年10月1日 高田松原津波復興祈念公園(仮称)イメージ そしてバスは気仙沼へ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 23, 2017 01:00:40 PM
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