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山崎元のホンネの投資教室 カブカブログ(日記・ブログ) |
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ホンネの投資教室の日記 [全155件]
個人投資家が「読んでおいて損しない本」を一冊ご紹介しよう。岩瀬大輔氏の『生命保険のカラクリ』(文春新書、2009年10月20日刊)が、いろいろな意味でためになる。著者の岩瀬氏は、1976年生まれと若いがインターネットによる保険販売を主軸とする「ネット生保」であるライフネット生命保険の代表取締役副社長だ。 ■生命保険を理解する本として生命保険は、「(家に次ぐ)生涯で二番目に高い買い物」と言われることもあり、一生で払い込む保険料が1千万円近くになることが多い、高額の金融商品だ。しかし、一般には、その内容が正確に理解されていない。しかも、この本が批判するところでもあるが、日本の生命保険会社は長きにわたってこの情報の非対称性を利用して儲けてきた。 筆者は、過去に2回生命保険会社に勤めたことがあるが、それでも、金融商品としての生命保険の商品内容を完全に理解しているとは言い難い。 岩瀬氏の新著は、生命保険の仕組みを契約者の立場から分かりやすく解説しており、生命保険業界の歴史と問題点を要領良く概観している。生命保険に対する理解がどのレベルの読者にも参考になる部分があるだろう。 この本で筆者にとって特に参考になったのは、死差益に関する解説だった。 生命保険会社の決算のニュースを毎年見ていると、運用の「逆ざや」による損失である「利差損」に目が行くのだが、かなり前から、これが大きな「死差益」によってカバーされていることが目についていた。死差益とは、生命保険会社が想定していた死亡率と契約者の実際の死亡率が異なることから発生する利益だが、正直なところ、この発生の実態が今一つ正確には分からなかった。筆者は「傾向として平均寿命が延びているので、古いデータを使うと保険会社が儲かるのだろう」というくらいに考えていたのだが、日本アクチュアリー会が作った「標準生命表」の一部(前掲書p130〜p131に掲載有り)を見ると、厚労省の発表する完全生命表に対して、保険会社側から見てかなりの余裕を持ったものになっている。 たとえば男子50才の完全生命表ベースの死亡率は10万人に対して357人だが、2007年の標準生命表では死亡保険用では365人、第三分野では259人、年金開始用では241人とされている。 死亡保険では生命保険会社は健康などのチェックをしてから保険を引き受けているはずだから、契約者の死亡率は全国民の平均よりもかなり下がっていて良さそうに思うがそうなってはいない。他方、第三分野(医療保険は契約者が生きていると費用がかかる)や年金保険(保険会社にとっては契約者の長生きが損)では、随分小さめの死亡率になっている。 保険ということを考えると、逆選択(死にやすいと自分で思う人は死亡保険に入りたいだろう)の要素が多少はあろうが、保険会社側では健康診断もあれば告知義務でも守られている訳だが、随分余裕を持たせている印象だ。そして、現実に、多額の死差益が発生している。 標準生命表は保険会社各社の保険料計算の根拠になっているわけだが、実質的に保険業界にとって有利な「談合価格」のベースとなっていることが分かる。 ■賢い生命保険の選び方読者にとっては、生命保険と具体的にどう付き合うかが重要だろう。この点に関しても、この本は率直だ。 詳しくは原本に当たってほしいが、第四章「かしこい生命保険の選び方」で説明されている生命保険の扱い方は、本の帯にも出ている七つの項目で紹介すると以下の通りだ(番号は筆者)。 * (1)死亡・医療・貯金の三つに分けて考える * (2)加入は必要最小限に * (3)死亡保障は安い定期保険で確保する * (4)医療保険はコスト・リターンを冷静に把握して * (5)低金利のときは、生保で長期の資金を塩漬けにしない * (6)解約したら損、とは限らない * (7)必ず複数の商品を比較して選ぼう 本書を読んで筆者が考えた結論をもっと有り体にはっきり言うと、医療保険に入ることはまったくバカバカしいから(さすがに岩瀬氏も立場上ここまでは言いにくかろうが、本書をよく読むと分かる)、結局のところ、われわれが生命保険を利用する可能性は(3)だけだ。 若くて(20代、30代くらい)、子供がいて、貯金が乏しく、頼ることができる相手(親?)もいないというときに、10年ないし20年くらいの定期の死亡保険(掛け捨てで、特約のないもの)で、最も安いものを利用するのが、生命保険との正しい関わり方だ。端的に言って、これ以外に、生命保険は必要ない。 補足すると、「現在高金利で将来金利が低下する場合」にある種の生命保険が有利になる可能性があるが、そのような判断ができる訳ではないし、仮にできたとした場合でも長期の債券でも買う方が得だろう。また、医療に関しては、健康保険の「高額療養費制度」を理解し、市販の医療保険(ガン保険などを含む)の条件を考えると、民間の医療保険に入るくらいなら保険料相当額を貯蓄する方がはるかに合理的だ。 今後もそうであり続ける保証はないが、現在、肝心の定期の死亡保険(特に若い世代向け)の保険料が圧倒的に安いのは岩瀬氏のライフネット生命保険だろう。もちろん、読者が今後に保険の加入を考える場合はインターネットを利用しつつ、複数の会社の価格を比較すべきだ。これは、運用商品を購入する場合と同じだ。 ■資産運用への教訓現在の生命保険を運用商品に喩えると、デリバティブを使った元本確保型の投資信託がよく似ている。 投資信託でいう販売手数料・信託報酬に相当する手数料は生命保険の場合「付加保険料」であり、これが支払う保険料の3割から6割に及ぶ(定期保険の場合)というのが、生命保険の大きな問題点だ。念のため申し上げると、これは、3%から6%の間違いではない。金融商品としての生命保険は、投資信託も裸足で逃げ出すほどの高手数料商品なのだ。 これに加えて、先に説明した「標準生命表」に基づく生保会社寄りの条件が設定されている。生命保険はいわば「命のデリバティブ」だが、この条件の中に売り手側の余裕(有り体に言って利益)がたっぷり含まれている点で、生命保険はデリバティブの条件を含んだ投資信託、仕組み預金、EB(株式転換権付き債券)などの金融商品と同類だ。「いいものもあるのではないか」と思われる方は条件を計算してみるといいが、計算するまでもなく売り手が有利な商品が多い。 投資家から見て、金融商品としての生命保険はあきれるくらい売り手が取る実質手数料が高い商品だが、それでも現実に売れているのは、(1)セールスの努力、(2)複雑で売り手の利益が分かりにくい商品、(3)商品理解に関する顧客側の怠慢、の三点が揃っているからだ。 運用を目的とする商品の場合、生命保険ほどひどい商品は稀だが、こうした要素に引っ掛かって損をすることが少なくないので、投資家は、本書を読んで警戒心を養うといい。 ■ネットの生命保険の可能性日本の生命保険業界は、(1)規制を味方につけた厚い利潤、(2)乏しい業界内の価格競争、(3)高コストな販売、(4)人間によるセールス、という点で、ネット証券が参入する前の証券業界の状況に近い。現状は、手数料が自由化されて、ネット専業の業者が参入したところだといっていいだろう。 本書の著者である岩瀬氏のライフネット生命保険を含めて、ネットの業者は多くないし、事業の性質もあって現状で収益化している訳でもないが、大きな可能性があると思う。既存の生命保険会社は、対面販売でのコストが非常に大きく、価格も粗利が非常に厚い。ネットを使った販売でコストダウンを図りつつ、低価格を魅力として商品を販売することができるという意味で、ネット生保は、現在、ネット証券の登場初期に似た状況にある。しかも、かつてのネット証券と比較すると、ネットの利用で引き下げることのできる価格の幅はパーセント単位でいうと一桁大きいし、生命保険というマーケットも非常に大きい。たとえば、将来(たとえば十数年後に)、毎年数百億円の収益を上げるネット生保が誕生してもおかしくないと筆者は考えている。 生命保険はネット化が有望な金融分野としては最大のフロンティアだろう。ライフネット生命保険だけでなく「ネット生保」(単に販売代理ではなく商品を供給する会社)の業界の今後に大いに注目したい。 最終更新日時 2009年11月21日 19時16分28秒 トラックバック(0) |
■外国債券の投資商品筆者は、これまで個人投資家が外国債券に投資することに対して不賛成だった。個人的には、「外国債券」は決して嫌いな資産クラスではない(かつてバランスファンドを運用する際にライバルよりもかなり多めに外債を組み入れたことがある。ただし、為替リスクはフルヘッジだった)。 しかし、個人が外債に投資しようとすると、個別の債券に投資することについては、 * (1)信用リスクの判断が個人には難しい(格付け会社は信用できない) * (2)基本的に業者間取引となるため市場価格が分からないので「値ざや」を抜かれやすい * (3)為替でも大きな手数料を取られることがある といった難点がある。 外国債券を組み入れる投資信託なら上記の問題の多くが解決するが、今度は、信託報酬だけで1%を超えるような商品が多く、こちらもコスト面で「話にならない」と考えていた。債券の期待リターンは、円貨・外貨どちらが高いともいえない微妙なもののはずだ。そう考えると、現在の金利水準にあって、年率 1%のマイナスは余りに大きく「話にならない」は決して大袈裟な言い方ではない。 ところが、喜ばしいことに、「上場インデックスファンド海外債券(Citigroup WGBI)毎月分配型」(愛称:上場外債。コード番号1677)という先進国の債券に投資して信託報酬が年率0.25%というETFが上場された。毎月分配型になっていることは余計だと思うが、信託報酬率はかなり低い。現時点では、個人がポートフォリオに外債を組み入れたいとしたら有力な商品選択肢だ。 ■調べてみたいこと問題は、どのような場合に「外債を組み入れたい」と考えるべきなのかだ。 以下、投資家のリスクに対する態度(リスク拒否度で表す)と期待リターンを変えて、何通りかアセット・アロケーション(資産配分)の最適化計算をやってみた。リスクのデータはGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が基本ポートフォリオの検証に使っているデータで過去の35年間(1973 年〜2007年)のリターンに基づいて計算したものだ(2009年の検証も行われているが、本連載の他のケースとの比較が容易なように2008年検証のデータを使った。両者の差異はごくわずかだ)。 最適化計算は「効用=期待リターン−リスク拒否度×リスク(分散で表す)」の形の効用を最大化する資産のウェイトをマイクロソフトエクセルのソルバーで計算したものだ。最適化計算の際にはそれぞれのアセット・クラス(資産分類)のウェイトに0%以上100%以下という制約を課している。 ■リスクに対する態度の変化最初のケースは内外の株式の合計が全体の3分の2くらいを占めるポートフォリオが最適解になるようなリスク拒否度(λ=0.015)のポートフォリオだ。内外の株式が債券よりも5%大きな期待リターンとして、内外の債券の期待リターンを1%とした(表1)。 ・表1 アセットアロケーションの計算 ![]() (注:個々のアセット・クラスのリスクの大きさは表の中にある通りだが、アセット・クラスのリターン間の相関係数は以下の通りだ) ・相関係数 ![]() この場合、外国株式が39%強入ってくるが、外債は組み入れ対象にならない。 もう少し、リスクに対して慎重な(リスク拒否度λ=0.025)ポートフォリオを見てみよう(表2)。 ・表2 アセットアロケーションの計算 ![]() 内外の株式の合計は4割強に減るが、それでも外国債券は入ってこない。 さらにリスク拒否度の大きなポーフォリオを計算(λ=0.05)する(表3)。このポートフォリオは内外株式の合計が全体の4分の1に満たない、リスクに対して非常に慎重なポートフォリオだ。今度は、1.24%とごくわずかながら、外国債券が入ってくる。 ・表3 ![]() リスクに対して消極的になった場合に最適化計算上、外債がわずかに入ってくることは分かったが、手数料の条件を考えるとどうか。外国債券の期待リターンを、ETF「上場外債(1677)」の信託報酬に相当する1%から0.75%に変化させて最適ポートフォリオを計算してみた(表4)。 ・表4 アセットアロケーションの計算 ![]() 0.25%期待リターンを下げると、外債の組み入れはゼロになってしまった。 ■期待リターンの変化次に、外債の期待リターンが国内債よりも大きい場合を考える。外貨建ての名目金利をそのまま円ベースの期待リターンだと考えて高金利国の債券を買うのは初歩的な誤解だが、「円債と外債の期待リターンは基本的にはほぼ同じ」ということを理解していても、たとえば円の長期的な推移に関して金利差から想定される推移と比較して円安を想定するような場合があるだろう。 リスクに対して積極的な表1のポートフォリオのケースで、外国債券の期待リターンを2%に変えてみた(表5)。 ・表5 アセットアロケーションの計算 ![]() 約9%の外国債券が組み入れ対象となった。 もう少し、リスクに対して慎重なケースも見てみよう(λ=0.025、表6)。 ・表6 アセットアロケーションの計算 ![]() 今度は12.5%の組み入れになった。 外国債券に限らず、期待リターンを大きく設定すると組み入れ比率が大きくなるのは当たり前のことだが、問題は、「+1%」という期待リターン変化の幅だ。これは「非常に大きい」。 期待リターンを「期待する」のは個々の投資家の勝手なのだが、現実的なアセットアロケーションを計算するには、自分の予測の信頼度を予測に反映させなければならない。仮に妥当な期待リターンが1%なのだとすると、これを「予想の信頼度を調整した上の期待リターンとして」2%に上昇させるためには、外国債券について少なくとも年率10%程度以上のリターンを、かなりの確信を持って「予想」していなければならない(この事情については本シリーズ第98回「アセットアロケーションを計算する(下)」をご参照下さい)。 率直な印象として、こうした相場観を確信を持つに至るに十分な情報と判断力を持っている投資家が多いとは思えない。 目下の結論として、個人投資家一般向けのアドバイスとして「外国債券は組み入れなくてもいい」と言っておいてほぼ構わないだろう。外債を組み入れるべきだというFPや証券マンには、他のアセット・クラスも含めてどのようなリスクとリターンを想定してそう言っているのか確認すべきだろう(外債は売り手側の儲けが大きいので)。ただ、冒頭に戻るが、外債も組み入れたいと思った場合に、対象として検討できるレベルの商品が登場したことについては歓迎したい。 最終更新日時 2009年11月6日 15時39分2秒 トラックバック(0) |
プロのファンドマネジャーの場合は「投資が上手くなるには、どのようなトレーニングをすればいいのですか?」と、ある人から質問を受けた。ありふれた質問のようにも思うが、過去に記憶がない。正直なところ、適切な答えがあるなら、まず筆者自身が切実にそれを知りたい。 プロのファンドマネジャーの場合、どのようなトレーニングがあるか。 信託銀行や投信投資顧問会社のファンドマネジャーの場合、トレーニングの内容は知識の詰め込みと運用に対する慣れの二つに分類できそうだ。 株式のファンドマネジャーの場合だと、ファンドマネジャーになる以前にアナリストの経験をさせる運用会社が多い。この時期に、企業分析、経済分析、ファイナンス(金融論)の基礎、などを勉強させて、その後にファンドマネジャーに登用される。アナリストをいわばファンドマネジャーの二軍とするような人事ローテーションをあまりに露骨に行うと、アナリスト部隊のモチベーションが下がるといった問題が生ずることもあるが、ある程度の知識を身に着けさせてからファンドマネジャーに登用するケースが多い。 ただし、企業分析の経験を積んで証券会社のアナリストのようなレポートが書けるようになっても、たとえば、どの銘柄を、どのような「ウェイト」と「タイミング」で買って、どのようにポートフォリオを作るといいのか、ということについては判断基準が分からない場合が多いので、「ポートフォリオの作り方・メンテナンスの仕方」については、運用の部署に着任してから覚えることが多い。 実際には、先輩ファンドマネジャーの仕事の様子を見たり、仕事の手伝いをしたりしながら、情報の収集方法やポートフォリオの作り方・メンテナンスの仕方を見よう見まねで覚えていくのが一般的だ。 ファンドマネジャーの仕事は「同じポートフォリオを持つと同じ結果が出る」ので、先輩のポートフォリオに似たポートフォリオを作って先輩達と同じように情報収集活動をしていると仕事をしているように見える。悪く言うと、何も役に立つことを考えていなくても、「それらしいポートフォリオ」を持って時々売り買いしていると、それだけで結構様にはなる。加えて、先輩達の平均パフォーマンスが市場平均を下回ることが多いのだから、割り切ってしまうと気が楽だ。結局、何ら知識的な追加を得ずに、ポートフォリオを持っている状態に慣れただけでファンドマネジャーとして一人前になったような顔をしている場合もあるように見受ける。 そうは言っても、それぞれの組織の投資哲学に合った企業分析の方法論と、ポートフォリオの作り方については、ある程度の方法論を教える必要はある。 かつての筆者の場合は、業績予想の修正の評価の仕方、株価の高安の判断方法、それにポートフォリオの状態(特にリスクの大きさと性質)の見方とコントロールの仕方については、後輩ファンドマネジャーに知識を伝える努力をしていた(少なくとも「努力しているつもり」ではあった)。 矯正すべき対象は何かしかし、ファンドマネジャーに同じように知識を伝えても、何となく上手いファンドマネジャーとそうではないファンドマネジャーに分かれたような気がする。同じ知識を持っていて、しかし、運用に上手・下手があるのだとすると、その原因は、あえて言うと「センス」ということだろう。ただし、ここでは、所詮偶然でしかない結果に対して、過剰な因果関係を推定して「センス」を考えている可能性はある。 仮に投資のセンスというものがあるとして、これはどうやったら鍛えることができるのだろうか。「投資のセンス」とはいかにも曖昧な概念だが、何か手掛かりはないか。 行動ファイナンスの世界では、投資家が合理的な判断ができれば陥らないような非合理的投資行動の傾向性を人間の判断の「バイアス(偏向)」として把握する。合理的な投資行動に照らして非合理的な判断が「バイアス」と呼ばれるのだとすると、投資の「センス」を磨く方策は、「バイアス」を取り除くことにあるはずだ。 そう考えると、投資家にとって、「投資のセンス」を磨くということは、大まかには自分のバイアスを除去する努力を意味することになる。 行動ファイナンスで定番的に取り上げられる主なバイアスは以下の通りだ。 * (1)「オーバーコンフィデンス」:自分の判断を過剰に評価する傾向。 * (2)「メンタル・アカウンティング」:それを得たプロセスによってお金の価値が違って見える現象。 * (3)「時間選好率の歪み」:人間は目先の金銭的利得を過剰に重く評価する傾向がある。 * (4)「プロスペクト理論」:不確実性を伴う意思決定にあって、損を過大評価するような傾向を帰納的に集約した仮説。 * (5)「後悔回避」:後悔することをあらかじめ避けようとして起こる非合理的な行動(たとえば状況に関係なく自分の買い値から何%下がったら売りと決めつける損切りルールのような行動)。 これらの傾向を矯正できるトレーニングがあれば、それをこなすことによって、投資の「センス」が改善することになるのではないか。 本能は直るのかさて、先に挙げた行動ファイナンスが指摘する人間のバイアスの多くは、たぶん、脳の「自己保存を求める傾向」と「統一性・一貫性を求める傾向」に原因がある。 例えば、オーバーコンフィデンスは、自分の過大評価だから、物事を自己保存に都合のよい一貫性の下に理解しようとする傾向だ。たぶん、時間選好率の歪み以外のバイアスは、何れもこれらの二つの傾向が根底にあるように思う。 時間選好の歪みは、もともと物の感じ方の問題があるが、これを克服するには利回りの計算に整合的に意思決定する習慣をつけること以外に方法がない。自分の直感ではなく、計算に基づいて損得を評価し、行動せよ、ということだ。そう考えると、これも自己保存本能を適切に飼い慣らす努力の一種だ。 しかし、「(過剰な)自己保存(の傾向)」と「(性急な)一貫性・統一性(の推定)」が共に本能に基づくものだとすると、これを克服するトレーニングというのは、いかにも難しそうに思える。 トレーニング方法をあえて提案すると脳には必ずしも合理的ではない判断を性急に下す傾向があるのだが、物事を自分にとって真に得か損かを理解すると、この理解を前提にして、新たに「自己保存」を求めるように意思決定を修正する「理解と修正」の機能がある。 この「理解と修正」の機能を働かせるためには、自分の投資に関する意思決定がどの程度の重要性がある何によってなされたのかを「反省」させることが有効だろう。 具体的には、例えば、全ての投資行動(売り・買い両方)について、何を根拠にしてそのように行動したのかを記録しておき、後から振り返ることが有効なのではないか。 実のところ、プロ・アマを問わず、「利食いだから売った」とか「チャートの形が大底風だから買った」といった、本来、情報的には無意味な根拠で売り買いをしていることが少なくない。そこで、自らに投資行動の根拠を問い、これを記録して後からも反省材料とすると、非合理的な投資行動を減らすことができるのではないだろうか。そして、これを繰り返すことで、投資の「センス」が身につくのではないだろうか。 とはいえ、人間は「後悔回避」する生き物なので、自分の投資の根拠を記録することは、率直に言って快適ではない(できれば、避けたいと感じるはずだ)。 しかし、それでも何か有効なトレーニングはないかと考えるなら、実際に投資を行いつつ、行動の前と後に自己反省を付加(精神的には「負荷」でもある)することが、おぼろげなものではあっても「センス」を磨くトレーニングになるのではないだろうか。 最終更新日時 2009年10月16日 17時59分37秒 トラックバック(0) |
「必ず儲かる」わけではない最近、ある編集者から「長期投資は儲からない」というタイトルで本を書かないかという提案があった。この場合、長期投資は、主に株式への長期投資を指している。証券会社の社員としては「長期投資なら(たぶん)儲かります」という一言は否定せずに取っておきたいところなので、気の進まない企画だが、本としては売れそうなインパクトのあるタイトルだと思った。 確かに、現時点までの日本の株価を見る限り「長期なら必ず儲かる」というイメージは湧きにくい。 20年前を振り返えると、1989年9月末の日経平均は3万5千円台だった。バブルのピーク近くの株価と現在の比較だから、相当に不運なケースを計測していることになりそうだ。しかし、20年というと、個人の人生にとっては相当に長い。身近なところに反例があることは認めなければならない。「長期投資でも儲からないことがある」ということだ。 長期投資が儲からなかったのはなぜか?本を書けそうなタイトルを探すなら「長期投資が儲からなかったのはなぜか?」だろうか。これは、考えてみる価値がありそうだ。しかし、タイトルとしてのインパクトは落ちるので、本にしても売れないかもしれない。 それでも、気を取り直して考えてみよう。先の期間、日本で株式の長期投資が儲からなかった理由は何だろうか。 複数の要素がありそうだ。 一つには、上記の計算期間のスタート時点がバブルのピークに近かったことだ。この点に関しては、「その時点では、バブルのピークだと分からなかったこと」つまり、株価が常に正しい状態にあるわけではない一方、投資家はこれを判断できるとは限らないことが重要だ。もっとも、ここで、「投資家は全てバブルを判断できない」と決めつけるのは正しくないし、バブルを判断する方策が全くないわけではない。判断の努力は必要だ。 もう一つの理由は、株式のバリュエーションの変化だろう。PERでいうと、東証一部上場企業のPERが60倍から80倍が当たり前であった80年代末期から、2007年には十数倍まで「普通」と言われるPERが落ちてきた。米国では、S&P500のPERが20倍を超えると「過熱気味」の指標とされるが、これに近い状況まで、日本も来た。その後の金融危機下の大減益でPERに関しては再び混乱しているが、大企業のPERが軒並み50倍以上でもおかしくないという時代はしばらく来ないだろう。 PERの下落に対しては、成長率の予想以上の下方屈折が大きいと思う。長期的な影響で見ると、日本で株式の長期投資が儲からなかった最大の理由はこれではないか。成長率一定の簡単な理論モデルで考えるとしても、長期の利益成長率が1%〜2%下方修正されると正当化されるPERの水準は何割も変化する。 企業の利益データそのものは不安定なので、長期的な成長イメージの代理変数として実質GDPを見るとして、「普通の成長率」は、4〜5%だった80 年代後半、2%台に低下した90年代、そして近年は実質成長率が2%あれば好景気と言われるようになった。成長率は現実に低下しており、さらにその低下は将来の期待成長率を低下させる効果がある。仮にPERでバリュエーションを見るなら、PERの低下効果と、一株利益の縮小と両方の効果をもたらして株価を引き下げたはずだと考えることが出来る。 また、行動経済学的には、人間は過去の経験に影響されてリスクに対する態度を変えるので、特に過去十数年で他人の様子を見ることも含めて、「損」や「リスク」を経験した投資家が増えたことは、投資家全体のリスク・プレミアム拡大に作用したかも知れない。リスク・プレミアム拡大も株価評価の下方修正を意味する。 海外の市場や経済の影響、投資主体や投資資金の変化など、株式投資のリターンに影響を与えたかも知れないファクターはまだあるかも知れないが、過去を振り返ると、成長率の下方屈折と、これが予想を上回るものであったことの影響が大きいように思う。 バブルは古い産業構造を固定化した余談だが、過去を振り返ったついでに書いておく。筆者は、バブルの発生と崩壊は、不良債権問題や不況の他に、古い産業構造の固定化をもたらしたのではないか考えている。 80年代の前半には、日本の企業は欧米企業へのキャッチアップをあらかた終えて、大手の企業についてはすでに「大企業病」的な煮詰まり感がでていた。しかし、80年代の後半にバブルが起こったことで、需要が急拡大したので、企業はビジネス・モデルや経営を変化させる暇もなく、この需要拡大に対応し、利益を享受した。 この間、バブルは企業の古いビジネス構造を余計に延命させたのではないか。 これが、「少し好景気」「少し不景気」といった状況なら、ビジネスのやり方を工夫したり、新しい分野に設備投資をしたりする余裕があるだろうが、史上最高益を更新し続けるようなバブル的な需要の拡大には、既存のビジネス構造をそのままに、需要に対応することで十分忙しいし、結果的にも満足していまいがちだ。 次に、バブルの崩壊過程に入ると、今度は資産価格の低下や需要の低下、それに資金繰り環境の悪化に見舞われる。こうした場合、どうしても財務的に弱い新興企業の方が資産の蓄えなどが大きな古くて大きな企業よりも倒産しやすい。バブルの崩壊があまりに厳しいものになると、古い企業・古い産業構造が残りやすいのではないか。 上記のような意味では、80年代末期のバブルの発生とその後の崩壊は、日本のビジネス界の進歩を20年近く止める働きを持ったのではないかと思う。 かつての、相対的な技術力や個々の会社の社員の能力などを考えると、たとえば情報テクノロジーの分野などは、日本でもっと新しい企業やビジネスの有力なものが生まれても良かったのではないだろうか。 低成長国の株式は儲からないのか?株式投資の話に戻ろう。中国などの高成長新興国と比較する文脈で出ることが多いが、「日本は低成長なので、日本で株式投資しても儲かるはずがない」と言われることがある。 しかし、理屈を考えると、低成長でも高成長でも将来の成長が、現在予想されている成長率よりも高いか否かが重要であり、成長率の水準そのものは案外重要ではない。 仮に、高成長なA国と低成長なB国を考えるとして、株式のリターンは、 株式の期待リターン=益利回り+長期成長率 と考えることができる。 先ず、A国の成長率(長期一律を仮定)を6%、PERが25倍として益利回りが4%とすると、A国での株式投資の期待リターンは10%となる。 一方、B国で成長率が0%、PERは12.5倍として益利回りが8%とすると、B国の株式投資の期待リターンは8%となる。 しかし、仮に高成長のA国の金利が4%、低成長(たぶん低インフレ)B国の金利が2%とすると、両国の株式のリスク・プレミアムは共に6%となり、投資家にとってのリスクに対する評価がA国・B国で同じくらいと仮定すると、投資としてはどちらが有利とも言えない。 10%と8%というリターンの差はあるが、これらは各々の現地通貨建てのリターンに過ぎないので、両国の実質金利が一緒で(たとえば2%で)、インフレ率だけが違い、為替レートがインフレ率を反映すると考えると、どちらに投資しても同じだ。 たとえば、上記の状況で、B国の期待長期成長率が「予想外に」2%上昇したと考えると、同様の期待リターンとなる株価は益利回りが2%低下した株価なので、PERで約16.7倍の株価が正当化される。この場合、株価が33.6%上昇して、その上で、A国と将来の株式投資の期待リターンは同じということになる。 低成長国の将来の「低成長」が投資家の予想に十分に織り込まれているなら、それはそれで形成されている株価が妥当ならリスクに見合った株式のリターンは期待できる。加えて、「意外な成長」があったときには、かなり大きなボーナスが見込める。もちろん「高成長国の方が不利だ」と言えるわけではないのだが、予想される成長率そのもののレベルの差よりも、将来の成長率が、投資家の予想する成長率と較べてどうなのか、ということの方が重要だ。 日本経済悲観論は、実は、日本株の買い材料なのかも知れない。 やはり、「長期投資は儲からない」というタイトルで本を書くのは止めておこう。 最終更新日時 2009年10月2日 16時17分33秒 トラックバック(0) |
何も決まっていないが変化はありそう9月16日に鳩山内閣が発足し、新政権が本格的にスタートした。新政権が経済や投資に与える影響にはさまざまなポイントがある。投資及び運用業界にとって大きな条件変化になるかも知れない問題として、年金制度と年金運用がある。 選挙期間中の世論調査で印象的だったのは、金融危機後の不景気の最中にあって、政治に求める課題として「景気対策」よりも「年金・社会保障の整備」を求める声の方が一貫して多かったことだ(いずれの調査でも数ポイントから10%前後の差があった)。前回の参議院選挙も含めて、年金・社会保障問題は自民党政権にとって鬼門になっていた感がある。また、民主党新政権にとっては、この問題で国民の期待に応えることが大きな課題になる。 厚生労働大臣には、年金問題に詳しい長妻昭衆議院議員が任命された。今回の総選挙に於ける民主党のマニフェスト(政権公約)には、年金について同党の独自案が記載されており、新政権が継続する限り、大きな制度変更を含む年金制度の改変に取り組むことは間違いあるまい。 一方、日本の年金資金は、117兆円(平成20年度末)の資金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)をはじめとして、巨額の積立金が資本市場で運用されており、年金制度の変化の影響が、株式・債券・外国為替市場などに及ぶ可能性がある。 ただ、今のところ、年金制度がどう変化するのか、また、これが積立金の運用にどう影響するのかに関して明らかになっている事項はごく少ない。 民主党のマニフェストから明らかで、筆者が重要だと思うのは以下の点だ。 (1)最低保障年金(月額7万円)と所得比例年金の「二階建て」構造の公的年金を作る。 (2)最低保障年金の財源は消費税。 (3)国民年金(自営業者など)、厚生年金(民間サラリーマン)、 共済年金(公務員など)の年金を一元化(=制度として統合・共通化する)。 (4)年金通帳を作る。 (5)政権当初2年間は年金記録問題に集中的に取り組み、3年目に新制度に関する議論を行い、 4年目に法案を通す(順調なら、新制度がスタートする)。 これらから、今後の年金運用について言えることはごく少ないし、確実に言えることはほとんどないが、将来を推測しながら、今後どこに注目したらいいかを考えてみる。 なお、本稿には、特定の政治的な立場を支持したり批判したりする意図はまったくない。 公的年金のリスク資産運用の弊害現在、厚生年金をはじめとする公的年金は、内外の株式への投資なども含むリスク資産で運用されている。この仕組みが持つメリット・デメリットを整理しておこう。 GPIFの基本ポートフォリオは国内株式11%、外国株式9%、外国債券8%といった企業年金などから見ると小さめのリスクを取る資産配分になっているが、それでも、平成20年度には10兆円近い運用損失を出したことは記憶に新しい。 公的年金は完全積立方式ではないので、運用の損益が年金給付や保険料に直接反映する仕組みがあるわけではないが、積立金の運用に伴う不確実性は間違いなく年金財政に影響する。信頼されるべき給付と負担との関係にあって、運用リスクに伴う不確実性が介在することは、好ましいことではない。 現在の年金財政に関する長期的な見通しにあっては、たとえば先の財政検証で長期的な積立金の運用利回りを4.1%と想定するなど、かなり楽観的な(実現が疑われるレベルで楽観的だ)利回りが想定されていて、専門家でなくても「怪しい」と思う人は多く、これが年金制度全体の信頼性を損なう原因になっている。 現在の年金給付4年分程度の積立金は、完全積立方式に移行するにはまったく足りないし、さりとて賦課方式の積立金としては規模が大きすぎる。賦課方式の場合、数カ月から、せいぜい1年程度の積立金を持っていれば十分だ。現行の方式は、ある意味では、市場で運用を行うために、必要以上の運用資金を確保しているという姿になっている。 公的年金は、株式、特に国内株式にも相当の額を投資している。現在、公的年金も含めて、年金基金は保有する株式の議決権行使に熱心であり、これは投資家として必要なことだが、これに十分取り組むことは政府部門の民間企業経営への介入という弊害を生む。 個別企業の株式の議決権行使については、現在運用会社に任されているので、公的年金側は個々に介入していないという建前だが、議決権行使について真面目に取り組むなら、個々のケースに関するチェックは必須であり、ここを手抜きするなら「運用として無責任でもあるし、日本企業の株式の議決権行使を空洞化させている」ということになるし、運用者としてこの問題に十分に注力するなら「政府部門による民間企業への介入」になる、というジレンマの状況にある。これは、民間株式で公的年金資金を運用するという制度の作りつけが悪いことによって生じる問題だ。 他方、リスク資産で多額の積立金を運用することのメリットは、長期的に高い運用利回りが確保されれば、年金保険料が抑制できるという、年金加入者にとってのメリットが強調される。もちろん、その可能性と引き替えに運用リスクを負っているので、単純にメリットと考えていいかどうかは難しい問題だ。 また、株式については、企業が利益を生んで株式のリターンを高めた場合に、これを国民一般が保有しているわけだから、年金を通じて強制的に株式投資させなくても、個々の国民の判断で投資を行えばいいという議論があろう。 確定給付型の企業年金については、株式を保有しても政府の民間介入にはならないが、運用会社でもない事業会社が巨額の年金積立金とその運用リスクを持つことによって、企業価値が本来の事業だけから決定されるのではなく、年金積立金の運用に大きく影響されるようになっている。企業の普通株の資金は、その企業の事業に投資されるだけでなく、年金ポートフォリオにも投資している構造なので、いわば投資信託(=年金ポートフォリオ)とセットで販売されているような状況になっている。 確定給付型企業年金のリスク運用は、企業自身にとってリスクが負担になっていることと共に、投資家・株主にとっても不都合をもたらしている。 公的年金・企業年金共に、現在のように大きなリスクを取った運用、特に株式に投資する運用には、深刻な難点がある。 今後の予想無理を承知で、今後の年金運用の変化について考えてみたい。 ■(予想1)一元化の準備・実行の段階で年金資金による株式投資の比率は低下する 各制度の統一化がどの程度のスピードで行えるか分からないが(スピーディーに行うこともできるはずだが、予想の問題としては時間がかかりそうだ)、制度的条件が統一される以上、統一の前から各制度の運用は似たものに収斂していくのではないか。 たとえば、移行の段階では、共通の基本ポートフォリオを国が各制度の積立金に対して指定するような形が考えられるが、この際、基準になりやすいのは、GPIFのポートフォリオだろう。現在、国家公務員共済組合連合会(国家公務員の年金)だけがGPIFよりも大幅にリスクが小さな基本ポートフォリオを持っているが、それ以外の地方公務員共済組合連合会、さらには企業年金などは、GPIFよりもリスクが大きなポートフォリオを持っている。 前述のように、GPIFの運用自体にも検討すべき問題があるが、年金制度の一元化は、年金資金の株式保有を減らす可能性が大きいように思う。 ■(予想2)公的年金の積立金は縮小する 新制度ができた場合、旧制度からの移行がどうなるかが大きな問題だ。旧制度を閉鎖して旧制度の権利関係を全てそのまま引き継いで、数十年間二つの制度が併存する可能性もあるし、何らかの移行措置が講じられて、新制度に早く一本化される可能性もある。 いずれの場合でも、公的年金の積立金は移行に向かって縮小していくだろう。 また、新制度の最低保障年金部分の財源が消費税となると(そのことの良し悪し自体は別として)、財源は安定しているので、大きな積立金を持つ必要はない。 資本市場への影響もあり、急激な縮小には向かわないかも知れないが、公的年金の積立金は縮小するように思う。 ■(予想3)積立金の運用は国債(非市場性国債?)中心 所得比例年金の詳細は明らかになっていないが、「年金通帳」で国民の年金保険証支払いが管理されることになると、国民の保険料に対する「元本意識」が強化されることが予想される。 この場合、完全積立方式とはならなくとも、保険料の残高に付利していくような運営が行われるのではないだろうか。集められた保険料は実際に市場で運用しなくとも、国が債務として認識してこれに国債並みの付利を行うような方法が考えられる。 予備資金として何らかの積立金は必要だが、この積立金も、国債ないし、それに近い確定利回りのもので運用されるようになるのではないだろうか。 ■(予想4)確定拠出年金が拡大する 確定給付の年金の積立金及びリスク資産投資が何れも縮小に向かう場合、マクロ的な株式の保有はどのような状況になるか。 希望も含めて予想すると、確定拠出年金(個人単位の制度が望ましい)の利用枠を大きく拡大して、リスク資産投資資金の受け皿とすることが考えられる。年金制度の改正に伴って、確定拠出年金の役割にも変化がありそうだ。 スケジュールと議論に注目いずれにしても、資本市場にも、運用業界にも、ひいては個々の投資家にとっても、新政権に於ける年金制度問題は要注目のテーマだ。 具体的な議論とスケジュールに注目したい。 一つだけ注文をつけるなら、新制度に対する議論を政権3年目以降に先送りするのではなく、前倒しに進めて欲しい。旧制度が1年でも長く続くと、旧制度の弊害の継続を意味するし、新制度への移行がより困難なものになる可能性がある。 国民の期待と注目の集まる年金問題だ。長妻昭新大臣には大いに期待したい。 最終更新日時 2009年9月18日 17時48分43秒 トラックバック(0) |
お金の運用とアニマルスピリット5つのアニマルスピリットは、もちろん、お金の運用にも関係するはずだ。例を探すのはさほど難しくない。 「安心」か、そうでないか、という二分法で「これは安心だ」と決めつけて損失の確率・期待値を無視して投資を決める人は少なくない。たとえば、個人向けの社債や劣後債などは、多くの場合、確率や期待値を計算して投資するようなプロが買わないから、手間の掛かる個人に向けて販売されているわけだが、これを買う投資家の意思決定は、予想されるデフォルト確率と利回りを較べるというようなものではなく、「○○○○○○なら、大きな会社だし、たぶん大丈夫だろう」という安心の決めつけがベースになっていると推察される。 逆に、バブルが崩壊して、投資で損をした人の物語が説得力を持つような時期には、投資における「安心」が大幅に後退するので、かつてなら手が出たような割安な株価にも投資家は手を出せなくなってしまう。 隣人が投資で儲けている場合、それが羨ましいという感情の中には、自分もいい思いをするのでなければ「公平でない」という感情が潜んでいる。金融や不動産のセールスマンは、見込み客のこうした感情につけ込むことが巧みだ。たとえば節税用の投資案件のセールスマンは、顧客の同僚や同業者がいかに有利な節税をしているかを巧妙に強調する。 また、バブルの末期によく起こりがちな、金融マンの高給への反感や、にわかにお金持ちになった「IPO長者」への処罰欲求などの「公平」意識に起因する感情は、場合によっては政策レベルでの影響を持ったりもする。 他人の富に対する嫉妬の感情に対しては、自分で意識的に相当の距離を取ることが冷静で的確な投資行動のためには好ましいが、「腐敗と背信」と言いたくなるもののレベルを観察していると、マーケットの行き過ぎが分かることがある。80年代の財テク・バブルを後押しした違法行為である「握り」の横行、粉飾決算に使われてこれを扱った外資系金融マンをお金持ちにしたデリバティブのビジネスの行き過ぎ、近年のある種の不動産金融のビジネスに関わった人たちの人材の質、などを見ていると、「いつ」と定かにいうことは難しくとも、「このビジネスはそろそろ末期だな」と思わせるものがあった。狡いことをやっている人々の収入が、彼らの能力や貢献に較べて不当に高いという状況は、どこかで価格の歪みが起こっていることの有力なサインだ。 そもそもインカムゲインとキャピタルゲインを合わせて損得を判断することが難しい投資家が多いくらいだから、「貨幣錯覚」ももちろんある。デフレ下の低金利は、実は有利な実質金利を意味している場合が多々あったのだが、「こんな低金利ではやっていられない」という感覚の下に、「貯蓄から、投資へ」暴走して一敗地にまみれた、可哀想な人(特に理解が乏しいという意味で)は少なくない。こうした人たちは、実質価値や、将来のフェアな価値の計算を意識するようにならないと、何度でも、同じような失敗に陥るだろう。 その他、分配金の多寡だけで有利不利を判断したり、高金利通貨の債券や預金は期待リターンが高いと無条件で信じたりするような人たちも、実質価値や正確な損得が計算できずに、印象で損得を判断しているという意味では貨幣錯覚の支配下にある人の同類だ。 また、株式市場でも為替市場でも「物語」は重要だ。物語の出来によっては、実はツマラナイ会社が高成長企業に過大評価されて巨大な時価総額を持ってしまったりすることが株式市場ではよくあるし、先に挙げた日本の「土地神話」のように、控え目に見ても数百兆円単位のミスプライスを創り上げた超一級の物語もあった。 近年、日本株式市場における日本人機関投資家の影響力の低下もあって、日本株に関して、かつての「ウォーターフロント」とか「国際金融都市東京」といった大きな影響力を持つ物語が生まれなくなったが、投資家はそろそろ次の物語を求めているような気がする。 「安心」、「公平」、「腐敗と背信」、「貨幣錯覚」、「物語」の5つは、役割や理論的抽象度などが異なる、正直に言ってあまりスマートとはいえない概念の羅列だが、その分、現実に近いので、投資家あるいはビジネスパーソンは、手帳にでもメモして、折に触れてチェックしてみる価値があるのではないだろうか。 (理屈好きの方への補足)行動経済学・ファイナンスとの関係「アニマルスピリット」で著者達が取り上げた5つの概念とその影響は、「フレーミング効果」、「プロスペクト理論」、「オーバー・コンフィデンス」、「双曲割引」といった、行動経済学、行動ファイナンスの分野で知られた概念と既存の経済学を組み合わせると相当程度説明できるように思う。つまり、両者には少なからぬ重なりがありそうだ。 たとえば「貨幣錯覚」は、名目額を中心に置いて経済的な意思決定をするフレーミングの間違いだし、その下での賃金の下方硬直性は参照点に較べて「損」をすることを重く評価するプロスペクト理論の前提条件(価値関数)で相当程度説明できる。 「公平」もフレーミングされた一種の参照点に対する拘りだし、「物語」はある意味でフレーミングを作る行為そのものだ。他人との比較で何を公平と感じるのか、あるいは、どんなストーリーを現実に重ねるのかという精神作用は、結果として合理的経済行動からの逸脱につながっているが、「感情」に訴えかけるいわば前処理の段階は高次の精神的機能なので、これらを「アニマルスピリット」と呼ぶのは、どうもしっくり来ない面がある。もちろん、冒頭でも触れたように、「ケインズの(言った)アニマルスピリット」として従来使われてきた概念とも大きな隔たりがある。 また「腐敗と背信」は、それ自体は倫理的に悪くはあってもある種の経済合理性を持った行動であり、エージェンシー問題を分析する枠組みなどで扱うことができる、割合古典的な経済問題だ。ただ、市場や経済の状況と「腐敗のサイクル」ともいえるような、腐敗の混じり具合・行き詰まり具合との間の現実観察に基づいた関連性は、単純にゲームやエージェンシー問題に押し込むと面白くない。 個人的なものと社会的なものの両方を含めたストーリーとそれに関わる心理的な側面の重視、それに現実を「公平」や「腐敗」と解釈する倫理観や文化の重視も含めて、「アニマルスピリット」の方法論は、経済学の一部(主流となる一部である可能性も大きい一部)が普通の文科系の学問研究方法に回帰しつつあることの兆しなのかも知れない。 「アニマルスピリット」という語感から連想される原始的な感情の反応と一番よく結びつくのは「安心」だが、今後、この安心のレベルに対して影響する要素は何で、どのような要素が「安心乗数」にどのような影響を与えるのか、ということが研究されるようになるかも知れない。 「アニマルスピリット」と行動経済学は多くの重なりを持っていそうだし、両者で扱う概念は、整理統一が可能なのではないかと思われるが、そのためには、何を説明するためにどういう概念が必要なのかがもう少し明らかになるまで時間を置く方がいいのかも知れない。 かつて、「アノマリー」の研究(主に1970年代から1990年代前半)で集められたファクト・ファインディングが、徐々に整理されて行動ファイナンスにある程度体系化された(1990年代後半から2000年代初頭)ような流れが、マクロ経済学を含むある意味では主流の経済学の中でも起こるのかも知れない。 そういった期待も込めて眺めてみると、本書「アニマルスピリット」には、まだ洗練されていない格好の悪さがあるものの、アノマリーの研究にあったような新たな視点による現実へのアプローチの「わくわく感」(たとえばリチャード・セイラー「セイラー教授の行動経済学入門」(篠原勝訳、ダイヤモンド社)を読むと感じてもらえるだろう)がある。 最終更新日時 2009年9月4日 15時2分38秒 トラックバック(0) |
昨年、資本市場を理解するのに役立って且つ面白い読み物としてリチャード・ブックステーバーの「市場リスク 暴落は必然か」(遠藤真美訳、日経BP社)をご紹介したが、久しぶりのブックガイドとして、ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラーの「アニマルスピリット」(山形浩生訳、東洋経済新報社)をご紹介しよう。訳書のサブタイトルは「人間の心理がマクロ経済を動かす」だ。 著者のアカロフは情報の非対称性を扱った通称“レモンの経済学”などの実績でノーベル経済学賞を受賞した人で、シラーは資本市場とマクロ経済の両方に詳しく、「根拠なき熱狂」(植草一秀監訳、沢崎冬日訳、ダイヤモンド社)ではネットバブルの構造を見事に指摘した。また、サブプライム問題の発生以降、投資家が毎月注目するケース・シラー住宅価格指数の作者の一人でもある。共に文句なしに一流の学者であり著述家だ。 この本での「アニマルスピリット」「アニマルスピリット」はケインズが使って有名になった言葉だが、著者達は、これを踏まえつつも、もっと広い意味でこの言葉を使っている。経済学を囓ったことのある人にとっては、この点が却って分かりにくいかも知れないので、筆者の解釈を付記しておく。 ケインズのアニマルスピリットは、企業家が事業を興したり投資を行ったりするときの「非合理的なまでに熱いビジネス的情熱」といったものだ。一般に、起業の多くは失敗するし、事業における投資のリスクはポートフォリオのリスクのように数字で計測できるようなものではない「不確実性」(フランク・ナイトが「リスク」と区別して使う「不確実性」)の下にある。この状況を考えてケインズは、事業というものが、多くの点で、合理的な計算では説明できない「アニマルスピリット」とでも呼ぶしかない感情に突き動かされて動いていると述べた。また、「利子・雇用及び貨幣の一般理論」のケインズは、消費者の心理や投資家の心理など、心理的な要因を深く考えた経済学者だった。 一方、アカロフとシラーは、その後のケインズ解釈者たちによって無視されがちだった、経済現象の説明における心理的な要因を重視すると共に、これまでの経済学が想定する合理的経済人の行動原理からすると非合理的な心理的・感情的要因全般を、ケインズを意識して「アニマルスピリット」と呼ぶことにしたようだ。そして、この本では、これをマクロ的な経済現象を説明するためのツールとして前面に置いて強調した。 この本のアニマルスピリットは、行動経済学や行動ファイナンスでよく言う「バイアス」ほど細かく定式化されているわけではない説明概念だが、大まかには脳の進化的に古い部分(ある意味では「動物脳」)が司るとされる「感情」が、計算的合理性である「勘定」から逸脱する現象を重視しているという意味で、行動経済学・ファイナンスの文献をお読みになったことがある方は「必ずしも理性や計算に服さない動物脳的な感情の影響をアニマルスピリットと呼んでいるのか」と思いながらこの本を読むと、意味が頭に入りやすいのではないと思う(注;厳密には、この本が、とり上げたアニマルスピリットの全てが脳の進化的に古い部分の機能だけで実現しているのではないが、イメージとしては分かりやすいのではないか)。 5つのアニマルスピリットアカロフとシラーが取り上げた、通常の経済理論では軽視されるけれども無視できない「アニマルスピリット」は5つある。「安心」、「公平」、「腐敗と背信」、「貨幣錯覚」、「物語」だ。 まず、人は投資を行うかどうかということを考える場合、リスクとリターンのバランスを考えるというようなアプローチよりも、「それは安心か?」という印象に大きく左右される。また、「安心でない」ということになると、取引も信用(お金の貸し借り)も縮小するので、安心が損なわれた場合には、「安心乗数」がマイナス方向に働くことによって、経済活動の広範な縮小が起こると著者らはいう。 次に、人は自分が「公平」に扱われているかどうかということに対して、非常に強く反応するし、第三者の行動に対しても「それは公平でない」と思った場合には憤りを感じ、これが経済行動に影響する。なお、脳の研究によると、他人の公平からの逸脱に対して罰を与えることは、脳内に快感(幸福の感情)をもたらすらしい。基礎としては、当然そういうことだろう。 著者達によると、賃金の決定を考え、その先の失業を考える上で、「公平」という心理的な要素が重要な役割を果たすという。失業が起きる大きな原因の一つは賃金が高止まりすることだが、なぜこれが起こるのか、特に、なぜ企業家が必要よりも高い賃金を払うのかを説明した部分(第8章)は面白い。 「腐敗と背信」と著者達が呼ぶのは、違法でないとしても相手を騙すような意図を持った行動のことだ。法律に触れない程度の会計上のドレッシングから、エンロンが行ったような違法で極端な利益操作までレベルに差があるが、前者が徐々に後者に移行して、これが破綻すると、厳しい批判に晒されるというようなことが、現実世界では繰り返し起こっている。世の中のトレンドとして、「腐敗と背信」的な行動のレベルが高まるときと、これに対する非難が高まるときがあり、いずれも経済活動に大きく影響する。 「貨幣錯覚」とは、インフレ・デフレを正しく織り込まずに名目の金額で損得を判断する現象のことだ。近年の合理性を重んずる種類の経済学にあっては、その存在が嫌われて、理論上は半ば存在しないことになっていたと著者達はいうが、貨幣錯覚は広範に存在し、たとえばデフレであっても労働者は名目賃金の引き下げに抵抗する。 また、人は「物語」をもとに物事を考えるという、小説家が聞いたら喜びそうなことも言っている。例えば、ネットバブルは、インターネットに関するいささか行き過ぎた経済価値創造の物語の存在なしには説明できないし、バブルの頃、多くの日本人の信念の一部だった「土地神話」も現実に多大な影響を与えた物語だった。 これらの要素は現実の経済にどのような影響を及ぼすか。 詳しくは、この本を読んでいただきたいが、一番コンパクトに5要素を使った現実説明の例は次のような1890年代のアメリカの不況を説明するストーリーだ。 「1890年代の不況を理解するには、われわれのアニマルスピリット理論のあらゆる要素が不可欠となる。安心の崩壊が経済的な失敗の物語の記憶と関連するが、その物語の中には不況に先立つ年月に起きた腐敗増加の物語も含まれる。経済政策が不公平だという感覚が高まり、消費者物価下落の結果を理解できないという貨幣錯覚が生じる」(p87〜p88) もちろん、これは説明の概要で、この後、具体的な事例の説明がある。 本書では、現在の金融危機とその後の経済政策についても大きなページ数を割り当てて説明を試みているので、現在の経済を理解するためにも、ご一読をお勧めする。 最終更新日時 2009年9月4日 15時1分20秒 トラックバック(0) | |一覧| |
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