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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2015.09.24
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カテゴリ:和光市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今日は東武東上線の南の地域、まずは本町の石仏を見てみましょう。

うけら庵 和光市本町16

1DSC_0920.jpg

和光市駅の西を通る道を南に歩くと左手に和光郵便局がある。その向かい側の
細い道を右に曲がり、すぐ先の一方通行の道を斜め左にはいると、右手に墓地が
あり、敷地内には「うけら庵」と書かれた額がかかった建物があった。脇にある
解説板によると、このうけら庵は天明初期の創建で小さな墓守堂だったらしい。
現在の建物は平成元年に再建されたものだという。

2DSC_0699.jpg

敷地の奥に墓地。その手前、庵に向き合うように壁の前に石塔が並んでいた。

3DSC_0726.jpg

銀杏の古木の左、四基の石塔のうち中の二基は墓塔。両脇に馬頭観音塔が立つ。

3DSC_0950.jpg

左端 馬頭観音塔 明治32(1899)正面 味のある字で「馬頭観世音」両脇に年号。
左側面には明治33年の銘があり、篤主鈴木彦太郎建之。正面と側面に二つの
年号が見られるのはどういうわけなのだろう?

4DSC_0702.jpg

右端 馬頭観音塔 明治45年(1912)こちらはかなり風化が進んでいた。

5DSC_0923.jpg

銀杏の木の右、前列に五基、後列に三基の石塔。前列左の四基は墓塔だった。

6DSC_0925.jpg

前列右端 納経供養塔 享保13(1728)梵字「アク」の下「光明真言百万遍」
両脇に「妻」二名の名前が刻まれている。

7DSC_0926.jpg

左側面 梵字「ウン」の下「天下泰平國土安穏」両脇に造立年月日を刻む。

8DSC_0927.jpg

右側面は梵字「キリーク」の下「三界万霊有縁無縁」両脇に乃至法界平等利益。

9DSC_0928.jpg

さらに裏面も梵字「タラーク」の下「西國坂東秩父百番諸願成就」続いて脇に
武州新座郡上新倉村、さらに施主名などが刻まれていた。このように一つの
石塔がいくつかの供養塔の役割を合わせ持つこともあるが、こういった場合、
どちらが正面なのかよくわからない。

10DSC_0929.jpg

後列右 順礼供養塔 安永9(1780)正面 阿弥陀三尊の梵字「キリーク」「サ」
「サク」の下「坂東西國秩父 奉順禮百箇所二世安樂攸」と刻む。両脇 上から
天下泰平 國土安穏 中ほどに造立年月日 下部に新座郡新倉村と刻まれている。

11DSC_0930.jpg

右側面 下部に11名の名前が刻まれていた。左側面にも願主をはじめ10名の名前。
合わせて20名ほどの名前を見ることができる。

12DSC_0933.jpg

後列中央 聖観音菩薩立像 元禄2(1689)風化が進み苔も生えていて像はやはり
はっきりしない。光背の文字も読みにくいが右脇に「奉待月天使供養二世安穏」
左脇に左脇に武州新倉郡の文字が確認できる。資料によると聖観世音日待供養と
刻まれているらしいが読み取れなかった。どうやら日待月待供養塔のようだ。

13DSC_0934.jpg

後列左 梵字「ア」の下 大日如来立像 享保2(1717)こちらも顔がはっきりしない。
右脇「奉供養大峯拾三度満行所」大峯山修行成就供養塔ということだろう。左脇に
「天下泰平國土安全當村繁昌万民豊楽」像の下に権大僧都大越と刻まれていて、
さらに願主二名の名前が続く。塔の右側面に年号。左側面 武州新倉郡上新倉村。





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Last updated  2015.09.24 20:42:45
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