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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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今日は前回の続き、中台の延命寺の石仏です。 延命寺 板橋区中台3-22 墓地へと向かう道の左側には二十数基の石塔が並んでいた。手前半分は地蔵菩薩像が多い。 左から 地蔵菩薩立像 延宝3(1675)光背上部に阿弥陀三尊の梵字。光背右脇「奉造立地蔵菩薩念佛供養」左脇に年号。その下に結衆十四名。願主は個人名。足下に数人の名前が刻まれていた。江戸時代初期の作だが錫杖、宝珠とも大きな欠けもなく、文字も比較的読みやすい。 隣 念仏供養塔 年代不明。立派な唐破風笠を持つ角柱型の石塔。正面、途中から剥落が進んでいるが、阿弥陀三尊の梵字の下「奉唱念仏・・・・」以下は読めない。右脇に有縁無縁六親眷属、左脇は削れているがここに造立年月日が刻まれていたのではないだろうか。 塔の右側面に三州賀茂郡高橋村と見える。今の愛知県の地名のようだ。ただ、正面下部右端には武州中臺村とはっきり刻まれている。 次は丸彫りの地蔵菩薩立像 寛政3(1791)真ん丸な お地蔵さまらしい顔立ちをしている。 台の正面「奉建立地蔵尊為二世安樂也」右脇に造立年月日。左脇に願主 飯田氏。ここの石仏の多くにその名前が見られる。有力な檀家なのだろう。 続いて一つの石塔にそれぞれ三体の地蔵菩薩像を彫り、二基で合わせて六地蔵という珍しい六地蔵菩薩 天保2(1831)左の塔の台に造立年月日が刻まれていた。施主はこれもやはり飯田氏。 その隣 馬頭観音塔 天保14(1843)塔の左側を中心に白カビが多く文字が読みにくいが、中央に「馬頭観世音」両脇に造立年月日。 塔の右側面には 西 練馬 ふじ 大山道と刻まれている。 左側面 東 岩渕 川口道。さらに裏面には南 板橋道と刻まれていた。 その奥には中央に大きめの地蔵菩薩立像を配し、両脇に三体ずつの地蔵菩薩像を並べた六地蔵菩薩。 中央に頼もしげな地蔵菩薩立像。こちらは塔にも台にも文字が見当たらなかった。 左の三体。それぞれの台に地蔵名や戒名などが見えるが、右の台には金剛幢地蔵とあり、脇に向臺講中廿三人と刻まれている。 こちら右の三体、一番右の台に願主 善光、真ん中の台に本村講中十六人と刻まれていた。 さらにこの奥にはお地蔵さまや三基の庚申塔などが並んでいますが、長くなりますので次回に・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.12.10 21:30:40
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