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私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2016.02.10
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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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今日は安養院の石仏の最終回です。

安養院 板橋区東新町2-30

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二列目には九基。前の石仏のために正面からは全体が見えにくい場合が多い。右から大乗妙典供養塔 文化4(1807)正面上部に奉納とありその下に「大乗妙典日本廻國供養塔」両脇に渡って上のほうに天下泰平、中ほどに造立年月日が刻まれていた。

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塔の左側面 武州豊嶋郡上板橋村、さらに行者名が刻まれている。出羽三山供養塔や大乗妙典供養塔は修験僧が関わっているものが多いようだ。

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二番目は庚申塔 元禄10(1697)青面金剛立像 合掌型六臂。法輪を持つことが多い左上の手に鈴を持っているのは珍しい。資料では唐破風笠付となっていたが現在はご覧のように笠はなくなっている。青面金剛の右脇に「奉新造立石塔講衆二世安樂所」左脇に造立年月日。続いて施主敬白と刻む。

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前の石塔が邪魔で下部の写真はきれいに写ったものが無かった。ピンボケだが確認のために見ていただくことにする。足の両脇に比較的美しい二鶏。足下の邪鬼は右向きにうずくまり、その下には正面向きの三猿が彫られていた。

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三番目も庚申塔 宝暦4(1754)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。青面金剛の顔とつま先、剣、ショケラの頭部、邪鬼の顔などが白くなっているのはなぜだろう。青面金剛は白目をむいているようにも見える。

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狭い所の写真で見にくいが、青面金剛の足の脇に線刻された二鶏。邪鬼は左向き。三猿は左の二匹が右を向き右の一匹が左向きというあまり他では見たことのない構図になっている。

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塔の右側面に造立年月日。続いて「奉造大青面金剛供養尊講中九人各願悉地所」左側面には上板橋邑 小山願主とあり、個人名が刻まれていた。

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その隣 大乗妙典供養塔 明和2(1765)正面 梵字「ア」の下「奉納大乗妙典日本囬國供養墓」その右脇に「天下和順」続いて造立年月日。左脇には「日月晴明」続いて武州足立郡下青木村 行者 長七と刻まれている。

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塔の右側面に三界萬霊、左側面には念佛講中と刻まれていた。

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続いて阿弥陀如来立像 延宝4(1676)大きな日輪光背を持つ。右脇に「奉造立石佛念佛講元十一人」左脇に造立年月日。

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その隣に唐破風笠付角柱型の供養塔 元禄15(1702)正面 円の中に蓮華とともに梵字「ア」を彫りその下に「為造立供養意趣者 施主等二求放満也」ざっとそんな風に読めるがその意味は?なんの供養塔だろうか?

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続いて 庚申塔 元文2(1737)これも唐破風笠付角柱型。正面中央を彫り窪めた中に梵字「ウン」その下に「大青面金剛供養塔」右枠部に上板橋村 願主 個人名。左枠部に講中十一人と刻まれていた。

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左から2番目 地蔵菩薩立像 正徳5(1715)丸彫りのお地蔵さまは左手の宝珠を欠いている。資料によると蓮台の下に台があって三つの面に「武州豊嶋郡上板橋村」「施主講中二十三人」などの銘があるということだが、台は土の中に埋まっていて見ることはできない。

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二列目の左端は 薬師如来立像?明和4(1767)この石仏は資料に記載がなく確かではないが、両手で持っているのは薬壷のように見えるので薬師如来かと思われる。光背右に「三界萬霊」左に造立年月日。その下に願主だろうか、徳心と刻まれていた。

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三列目には四基の石塔。右から出羽三山百番供養塔 寛政10(17898)角柱型の石塔の正面上部に聖観音菩薩坐像を彫る。その下に「羽黒山・湯殿山・月山 百番供養塔」百番というのは西国・坂東・秩父の観音霊場。出羽三山とこれら100か所の観音霊場順礼をともに成し遂げたということだろうか。塔の左側面に造立年月日。右側面には武州豊嶋郡上板橋村と刻まれていた。

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その隣 地蔵菩薩立像 安永9(1780)唐破風笠付角柱型の石塔の正面を大きく彫り窪めた中、蓮座に立つ合掌型の地蔵菩薩像が陽刻され、その両脇には造立年月日が刻まれている。

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塔の両側面、上部に梵字で、その下には漢字で願文が刻まれていた。

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続いて庚申塔 享保12(1727)青面金剛立像 合掌型六臂 唐破風笠付角柱型。この位置では周りの石塔にさえぎられてしまい全体の様子を見ることは難しい。

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像の右脇に「奉彫刻青面金剛供養塔」左脇に造立年月日。下部両脇には上板橋邑 講中拾四人と刻まれている。足下に三猿は見えるが、邪鬼・二鶏は見当たらなかった。

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一番左 庚申塔 寛保4(1744)青面金剛立像 合掌型六臂。植え込みの奥にあり、前にある石塔のためにこの庚申塔も見えにくく、塔の下の台の正面に三猿が彫られているのだが写真は撮れない。

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青面金剛の後ろの二組の腕が平板で、腰のあたりから伸びているのもちょっと不自然な感じがする。塔の左側面に造立年月日。その下に講中拾八人と刻む。

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右側面には「奉造立大青面金剛供養塔」その脇に上板橋と刻まれていた。





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Last updated  2016.02.10 20:40:02
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