カテゴリ:エッセンシャル・プロセス
みなさま、新年あけましておめでとうございます♪
本年も、どうぞよろしくお願いします♪ かなり遅い新年のご挨拶となりましたが、 アロマの在庫の棚卸しや、いろいろとする必要のあることがあったので、 ヴィパッサナー瞑想を私の中で体験していくためにも その一つひとつにエネルギーを向けていました。 まだあまりその効果を実感してはいませんが、 この実践も生涯をかけたひとつのエクササイズだと感じたので、 じっくりと楽しみながら行っていきたいと思います。 ******************************* さて、昨年に引き続き、セドナメソッドとヴィパッサナー瞑想について書きたいと思います。 しかしながら、マイミクのふうさんが貸してくださったヴィパッサナー瞑想関係の書籍が7冊もあり、現在7冊目に入ったところですが、セドナメソッド同様、お釈迦様の教えの真髄を、経験の浅い私が書くのも少しさしでがましい感じもあります。 それでも、「始めるときは誰もが初心者!」という気持ちで、現在はまだ実践の浅い頭だけの理解ではありますが挑戦したいと思います。 まずは、ヴィパッサナー瞑想についてご存じない方もみえると思いますので、「瞑想クイック・マニュアル*地橋秀雄著*春秋社」から、その具体的な方法について抜粋したいと思います。 ******************************* この本で紹介されているヴィパッサナー瞑想は、仕事や日常生活のさまざまな場面で驚くべき効果が得られる瞑想法です。 通常の瞑想法では、瞑想を実践している時間帯と、仕事や生活の時間帯とは完全に切り離されています。 瞑想は瞑想、仕事は仕事、生活は生活です。 瞑想という特殊な意識状態に入ったまま、日常生活を送ることはできません。 意識モードが違うのです。 ところが、ヴィパッサナー瞑想では、歩くことも、座ることも、立つことも、食事をするのも、トイレや洗面も、職種によっては仕事の最中でも瞑想することができるのです。 一瞬一瞬、現在の瞬間に気づいていく「サティ(気づき)」という技法を中心にした瞑想システムなので、現実感覚を失うことなく、瞑想状態を深めていくことが可能なのです。 ヴィパッサナー瞑想は、ブッダが悟りを開いたときの、原始仏教の瞑想法です。 2500年も前に確立された技法にもかかわらず、現代の認知科学に匹敵する明快さで人の心のシステムを解き明かしています。 人はなぜ苦しむのか? 人の心に、どのように苦しみが発生しているのか? そのメカニズムを解明し、どうすれば苦が乗り越えられていくのか、 具体的で明快な方法が提示されています。 気づきの瞑想、慈悲の瞑想、懺悔の瞑想、心をきれいにするためにすべきこと、などなど、誰にでもすぐにできる実践的プログラムがそろっているのです。 仏教では、心をきれいにすれば、あらゆる苦しみが乗り越えられ、幸せに生きていける、と教えています。 さらに心をきれいにし、限りなく、究極まできれいにすると、心の清浄道(心を清らかにする道)が完成し、悟りを開くことができます。 まえがきP2-5からの抜粋。以下は巻末資料からの抜粋です。 ヴィパッサナー瞑想のやり方【実践編】 ◎サティ(気づき)の瞑想-歩く瞑想と座る瞑想のやり方 歩く瞑想を中心に、サティ(気づき)の瞑想のやり方を、簡単に説明します。 サティの瞑想のポイントは、現在の瞬間に気づくこと、思考を止めること、心をきれいにすることです。 心をきれいにするとは、たとえば、怒りや高慢、嫉妬、貪り・・・などの煩悩をなくすことです。 よくないことを考えて妄想していると、煩悩が生まれてくるので、一瞬一瞬、今の瞬間に「気づき」を入れて、妄想を止めていくのです。 この「気づき」を「サティ(Sati)」と言います。 どのようにサティを入れるのか、具体的に見てみましょう。 まず、体が動くとセンセーション(身体的実感)が生じますので、その感覚に気づいた証しとして、言葉で確認をします。 たとえば、「右」「左」「右」「左」と、足の動きを感じるたびに言葉で確認しながら気づいていくのが「歩く瞑想」です。 この「言葉確認」はラベリングと言い、心を観る瞑想のときに特に重要になります。 歩く。 感覚を感じる。 その感覚に対してラベリングをする・・・。 これでOKなのですが、大事なポイントは、足の動く感覚(センセーション)を実感することです。 体の実感は事実の世界です。 頭のなかの妄想の世界と、ありのままの事実の世界を識別するために、歩行のセンセーションを実感し、右足の動いた感覚に対して「右」と言葉確認(ラベリング)し、左足の動いた感覚に対して「左」とラベリングしていけば、これでヴィパッサナー瞑想が始まっています。 ラベリングのコツはかけ声にならないことです。 筋肉の動く実感に対して「右」「左」と言葉のラベルを貼っていきます。 ラーメンを食べた後のアイスクリームについて妄想しながら、「右」「左」と心のなかで言葉を唱えても、それでは意味がありません。 しっかり感じることです。 心の90%は感じることに使い、残りの10%程度でラベリングします。 ラベリングのタイミングは、「現象が先、確認が後」と覚えてください。 足の動きという現象を感じて、ラベリングで確認するのです。 「右」「左」は普通の速度でかまいませんが、次に、歩く速度をゆっくりにします。 歩幅は一足分、地表スレスレでよいでしょう。 足裏の感覚に集中し、床から離れる感覚を感じて「離れた(右足が)」、着地した感覚に対して「着いた」とラベリングします。 同様に、左足が「離れた」、「着いた」とラベリングします。 壁際まで来たら、立ち止まり、直立している実感を感じて「立っている」と言葉確認します。 次にUターンするセンセーションを感じて「曲がった」とか「回った」「Uターン」などとラベリングし、再び「立っている」とラベリングします。 その後は「離れた」「着いた」とくり返します。 これを一定時間行います。 次に、さらにもう少しゆっくり歩きます。 足が「離れた」「進んだ」「着いた」と三つのステップに分けて感じます。 つま先が床から離れる時の感覚、空気を押し分けるように移動していく足の感覚、そして足裏が床に接触した感覚です。 途中で音に心を奪われたり、雑念が浮かんだら、立ち止まって「音」もしくは「聞いた」とラベリングし、イメージや思考に対しては「雑念」「妄想」「考えた」などとラベリングします。 本文中で何度も出てくる「優勢の法則」にしたがって、印象の強かったものに言葉を付けるのです。 今は歩く瞑想をしていますので、サティを入れ続ける中心対象は、足の歩行感覚です。 しかし中心外の音や思考の印象が強ければ、そちらをラベリングし、それから中心対象にもどすのが原則です。 たとえば、「(足が床から)離れた」「進んだ」「着いた」→バタン!→「音」→「(もっと静かに閉めろ)と思った」→「(足が)離れた」「進んだ」→ドアのイメージ→「雑念」→「(足が)着いた」→不安な感覚→「(怒っているのかな)と思った」→「(足が)離れた」・・・と、こんな具合です。 ()のなかの言葉は言いません。 「もっと静かに閉めろ」「怒っているのかな」など頭のなかで妄想した言葉をオウム返しで言う必要はないのです。 以上は「法の確認のサティ」と呼ばれるものです。 日常生活のサティに関しては、本文第4章32 日常生活のサティ(P120)を参照してください。 ◎座る瞑想 座る瞑想は、坐禅のスタイルで座り、中心対象はお腹の起伏感覚になります。 呼吸と連動して、腹筋が盛り上がったり、へこんだりするのを感じて、「膨らみ」「縮み」とか「盛り上がり」「へこみ」とラベリングしていきます。 音が聞こえたり、妄想が浮かんだときは、そちらにラベリングしてから中心対象のお腹のセンセーションにもどります。 感覚がわからなくなったら、手のひらを当てて確かめます。 腹部感覚は微弱でも、手のひらを当てれば必ず感じられるからです。 お腹の感覚がわからなくなったら、「(手のひらを当てて確かめよう)と思った」→「(手のひらが膝から)離れた」→「上げた」→「(手首を)曲げた」→「(腕を)近づけた」→「(お腹に)触れた」→「膨らみ」→「縮み」→・・・と、確認してください。 30秒から1分ほど確認をしたら、それ以上は手を当てないほうがよいでしょう。 「(もうよい)と思った」とラベリングして、手をもどす動作にもサティを入れます。 いかがでしょうか。 サティの瞑想は、このように身体動作を中心に、つねに現在の瞬間に気づきを入れて、妄想の世界を離れていく瞑想です。 誰にでもすぐにできる、こんなシンプルな手順なのに、その効果は驚くべきものがあります。 煩悩が生まれてくる思考の世界を離れるだけでなく、今の瞬間の本質を直観する智慧が閃いて出てくるようになります。 心を根底からピュアにしていく瞑想を毎日続けていくと、人生の苦しみが乗り越えられていきます。 ◎慈悲の瞑想の言葉(声に出さず、心のなかで唱えましょう) 1.私が幸せでありますように 私の悩み苦しみがなくなりますように 私の願うことがかなえられますように 私に悟りの光があらわれますように 2.私の親しい人々が幸せでありますように 私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように 私の親しい人々の願うことがかなえられますように 私の親しい人々に悟りの光があらわれますように 3.生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように 生きとし生けるものの願うことがかなえられますように 生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように 4.私がきらいな人々も幸せでありますように 私がきらいな人々の悩み苦しみがなくなりますように 私がきらいな人々も願うことがかなえられますように 私がきらいな人々にも悟りの光があらわれますように 5.私をきらっている人々も幸せでありますように 私をきらっている人々の悩み苦しみがなくなりますように 私をきらっている人々も願うことがかなえられますように 私をきらっている人々にも悟りの光があらわれますように 6.すべての衆生(シュジョウ)が幸せでありますように すべての衆生が幸せでありますように すべての衆生が幸せでありますように ******************************* 第2期-「エッセンシャル・プロセス1セミナー」参加者募集中です♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.01.04 15:47:11
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