.○三億円犯人 (前編) 大下英治☆現代虚人列伝 三億円犯人 (前編) 大下英治 ★後編は こちら ~ 明智クンもポアロも君にはマケソー ~ (1976年 3月) 現代の眼編集部 編 現代評論社 ■現代の怪盗はアイデアで勝負 三億円犯人よ、時効を過ぎた今は七年間の不安と緊張から解放され、さぞホッとしていること だろう。それとも10億円近い捜査費用と延べ171805人もの捜査員を動員した「大捜査祭り」も 終り、マスコミも君の名を口にしなくなったので、いささか寂しさを感じているころかな。 それにしても、 君は最初からツキにツイていたね。 そういうと、君は反論するだろう。 「何言ってるんだ。実行の1年前から必要な車を盗んだり、東芝府中工場から警察の眼をそらせる ため多摩農協を何回も脅迫し、その間、現金輸送車の通るコース、時間、実行後の逃走方法など を綿密に調べ上げてコトに及んだからこそ、成功したんだぜ。それをツキだなんて言われたんじゃ 困るよ」 ・・それは認める。しかし、やはりツキが大きく作用したことも確かだ。 -------------------------------------------------------------------------------------- まず昭和43年12月10日の事件当日、早朝からの豪雨。これは文字どおり、君にとって天の助けで あったはずだ。でも君は、事件の直前、府中市栄町2の11の空き地(第三現場)にエンジンをふかした 偽装白バイをセットしているときには、激しくなっってくる雨脚を見ながら、かえって苦々しく思ったんじゃ ないかな。「この雨のせいで、車の運転も鈍るだろうから、ひょっとするとヤバイことになるぞ」 と------。 それから君は、偽装白バイに草色のシートを被せておいて、カローラに乗り、日本信託銀行国分寺 支店周辺で現金輸送車を確認した。君は現金輸送車にくっつくようにして走り、輸送車が国分寺街道 から学園通りへ右折するあたりで、間道を利用して空き地へ帰った。そこでエンジンをふかしておいた 偽白バイに乗り換え、府中刑務所裏の学園通りで現金輸送車・黒塗りセドリックを停車させた。 こう書けば、いかにも颯爽と現れたように聞こえる。が、実は輸送車の追跡を急ぐあまり、君は偽装 白バイに被せておいたスバル用の草色シートが補助スタンドに絡みついたことに気付かず、シートを 引きずったまま、空き地から襲撃現場まで1、1キロも突っ走っている。沈着、冷静と思われている君と したことが相当慌てていたな。 白ヘルメットに小型マイク、白いマフラー、それに黒革のジャンパーとどこから見ても白バイ警官 そっくりの君は、現金輸送車に近づき、運転手に言った。 「日本信託の車ですね。巣鴨署からの緊急連絡で来ました。いま巣鴨の自宅が爆破され、この車にも 爆発物が仕掛けてある。中を見て下さい!」 車に同乗していた四人は戦慄した。四人ともすっかり 君を警察官と思い、警察官の言葉なら間違いない、と頭から信じこんでしまった。 警官の言うことなら嘘ではないとする傾向の強い日本人の心理を衝いた、実にすばらしいアイデアで あった。 「なんだ、警官に化けるなんて誰だって思いつくよ」、という者もいるだろう。が、それは コロンブスの卵だ。このアイデアを思いついた君、というより 君の共犯者 (この人については後述 する)は大変なアイデアマンだ。 -------------------------------------------------------------------------------------- もうひとつ、君が犯行日より四日前に支店長宛てに300万円を要求する脅迫状を出し、「約束を守ら ない場合は巣鴨の自宅と銀行を一度に爆破する」と脅しておいたことも功を奏した。その事実を支店長 から知らされていた四人は、いっそう君の言葉を信じ込んだ。この点は確かにツキと言うより、緻密な 計算の勝利と言えよう。 それから車の下を覗いて点検するふりをしていた君は「あったぞ!」と叫び、ダイナマイトに見せかけた 発炎筒を焚いてみせた。四人は驚愕し、一目散に後方へと逃げた。しかもその時、運転手の関谷さんは 車のキイをつけたまま逃げている。 これはラッキーだった。もし関谷さんがキイを抜いて逃げていたなら、君はどうするつもりだったのだろう。 現金輸送車を奪えず、中の現金の入ったジュラルミンケース三個のみをオートバイに積んででも逃げる つもりだったのだろうか?それどころか、我が身の危険を感じて、現金も奪えずオートバイで逃走、逮捕-- 一年も前からの用意周到な計画も水泡に帰していたのではあるまいか。 まったく君はツイていた。 君はすばやく現金輸送車に乗り込んで、府中街道方面に発車した。それを見送った現金輸送車の四人は そのときもまだ勇敢な警察官が現金輸送車を爆発物から退避させてくれるんだ、と思いながらブロックの かげから覗くようにして見ていたというから、本物の警察が出遅れたのも無理はない。 -------------------------------------------------------------------------------------- 現金輸送車の四人が一杯食わされた と知るのは、ダイナマイトに模した発炎筒の煙が下火と なり、関谷さんが恐る恐る現場に近づいてのことである。 そして白バイがヤマハ(本物の白バイはホンダ)であること、トランジスタ・メガホンの様子がおかしいことに 気付いたのである。 が、そのときはあとのまつり。 その頃君は、フルスピードで学園通りから府中街道を右折、約1、9キロ離れた国分寺跡の第二現場に 着いていた。そこであらかじめ逃走用に配置しておいた四十三年型のカローラに現金トランクを積み替えて 逃走。 そして第四現場の小金井本町の本町団地でジュラルミンのトランク三個から現金を抜き取り、カローラを 乗り捨て、姿を消したわけである。 その間、君は相当乱暴な運転をしたらしい。ある主婦に頭から泥を浴びせたり、国分寺街道に出る手前 200メートル位の地点で、左から来ていた車と危うく衝突しそうになり、あわてて右へハンドルを切っている。 もしこのとき 衝突でもしていれば、せっかく強奪した三億円もフイになっていただろう。 -------------------------------------------------------------------------------------- また、何人もの人たちに車のガラス越しに目撃されながらも、豪雨のため、君は顔をはっきりと見られて いない。そのため、君が現金輸送車を襲ってから23分も後の9時44分に警視庁管下八十八全署に出された 緊急配備指令には、君の特徴を表す表現は全くなかった。 「犯人は18~25、6歳。身長1メートル65~7センチ。革ジャンパーに白ヘルメット姿。奪った車はセドリック 三十九年型。ナンバー「多摩5は6648」。車内に現金入りジュラルミン製のトランク三個あり。車両を ストップして検問、確認せよ------」 この指令では、君を捕まえることはできない。 車や服装をいかに説明したところで、そんなものいつでも乗り換えたり着替えたりできる。 君はそのころには、現金輸送車なんかとうに第二現場の国分寺跡へ乗り捨てていた。それどころか、 第四現場の本町団地でジュラルミンのトランクから現金を抜き取り、別の車に積み替えて、あばよ、とばかり 逃走しかかっていたと思う。もちろん、いつまでも白ヘルメットに革ジャンパーという目立つ姿でいるわけがな い。背広かセーターにでも着替え、素知らぬ顔で運転していただろう。 10時18分、警察官が君の乗り捨てた現金輸送車を発見。あわてて、黒塗りセドリックの手配を解除。 指令も、「ジュラルミンケース三個を積んだ車を発見せよ」に切り替えられた。 ジュラルミンケースなんか、君はすでに捨てていた。世界一を誇る警視庁も、延べ一万六千人もの警察官を 動員し、史上最大の大捜査網を敷きながら形なしで、後手後手にまわされるハメになったのである。 そのころには君は現場から遠く離れ、しかも路地から路地へと逃げていたんじゃないかな。 今でこそ、そのときの苦い経験を生かしてミニ検問と称し、路地も検問することがあるが、当時は検問と 言えば主要幹線道路が主で、路地なんて検問しなかった。都内・都下に設けられた検問の数が900ヶ所を 数え、蟻の這い出る隙もないように見えて、実は逃げ道はいくらもあったわけだ。 -------------------------------------------------------------------------------------- それから君はどこへ姿を消したのか・・・。 松本清張氏の推理するように、近くの横田米軍基地へ逃げ込んだのか。 しかし横田へ逃げこむまでには、あまりにも多くの検問を受けないか。私は案外、君は埼玉あたりのモーテル へ入りこんだのではあるまいか、と推測している。モーテルだとラブホテルと違って一人で車ごと入れるし、 あの事件のさい、モーテルは調べられてもいない。盲点であった。君はモーテルに入り、ひと風呂浴びたあと、 車の中から取り出した三億円を肴に、ニンマリしながらビールでも飲んでいたかもしれない。その間、テレビの チャンネルをひねり、警察の動きを探っていた。午後3時34分には、全ての地区の緊急配備は解除された。 君はホッとしてひと寝入りし、夜、お楽しみのカップルが入ってくるころ、モーテルから滑り出た。 そのときには誰に遠慮することもなく、主要幹線道路を堂々と突っ走れた・・。 私はそう推理している。 ■もう一人の人物がいる? 君はまんまと三億円強奪に成功した。一躍マスコミの大スターとなった。白昼堂々と三億円もの現金を奪った。 しかも若い男が、ずっと前から綿密な計画を立て、計画どおりクールに(実際はそうでもなかったので君ははが ゆいだろうが)、かつ大胆に、一滴の血も流さずに・・。若者たちが「カッコいい」と拍手喝采したのも無理はない。 若者だけではない。家を建てる頭金が稼げず、女房にいびられ続けている中年男たちにも、自分に代わって スカッと爽やかなことをしてくれた、ともてはやしさえした。もしおれが三億円をこの手に握ったのだったら、まず まっさきに何をするだろうか、とあれこれ想像するという一瞬の夢に酔った者もずいぶんいた。 なかには、人をまったく傷つけなかった犯行ゆえ、被害額294,307,500円に語呂合わせして君のことを 「ニクシミノナイゴートウ」と呼び、はやしたてる者もいた。 たしかに、君は誰をも傷つけはしなかった。 君に三億円も奪われた日本信託銀行だって、保険に入っていたから、自分の腹は痛まなかったはずだ。 おさまらないのは、世界一を誇る警視庁。君のことを「社会正義に反する不敵な犯罪者」とか「白バイ警官を 装って現金輸送車を襲撃するなど、警察組織への不敵な挑戦者」と呼び、警視庁の威信にかけても逮捕して みせる、と力みかえった。しかし、いくら「社会正義に反する不敵な犯罪者」と力説されても、我々庶民には、 どうもピンとこなかった。 ------------------------------------------------------------------------------------------ 警視庁は全組織を挙げて君を逮捕することに努めた。捜査本部の体制は最大時197人、延べ捜査人員は 17万1805人に達した。本部は当初、62点もの遺留品が残されたことから早期解決の楽観ムードに包まれた そうだが犯行に使われた二台の車と偽白バイが盗難品であるほか、他の遺留品も大量消費財であったため、 物からの捜査は難航した。特に大きな期待をかけたトランジスタ・メガホン捜査は、同型の製品852個のうち 728個を突き止めたが、残り124個の行方がわからず、とうてい君に到達できなかった。 捜査一課も、これまでの捜査方法では壁に突き当たっているのだ。君など、捜査本部のモタモタした捜査 ぶりに安堵しながら、よけいにそのことを感じただろう。警視庁は、特に 君のような流しの犯行に弱くなっている。 怨恨関係のあるとみられる犯行なら、怪しいとにらんだ者を、たとえ別件逮捕してでもゲロさせることが できる。しかし、流しの犯行だと、地取り足取りがとれないから捜査が難しくなってきているのだ。 ブツ(遺留品)がホシと結び付かなくなっている。例えば、君が三億円を強奪してから時効になる までの間、捜査本部が設置された事件が105件近くある。そのうち、なんと30件もが未解決事件なのだ。 しかも、47年6月26日の「第一ホテル女性歯科医殺人」や44年6月の「恵美子ちゃん誘拐暴行殺人」、 49年7月の「政江ちゃん誘拐殺人」など流しの犯行が多くを占めている。このようなデータを見て、 改めて未解決事件の多さに気付く。それにしても、どうしてこのような多くの未解決事件を放置して、 誰も傷つけもしなかった君を追うことに、多くの人員を投入して血眼になったのであろうか。 深川の政江ちゃん殺し事件の本部など、わずか1年4ヶ月で解散しているというのに。意地悪く勘ぐれば、 警視庁は君を追うという祭り騒ぎをすることで多くの未解決事件をカモフラージュしておいて、もしも君を 逮捕できれば逆転ホームラン、今までの未解決事件が一挙に帳消しとなる・・そう踏んだのではないだろうか。 -------------------------------------------------------------------------------------- しかし、それも空頼みに終わった。君は多磨農協への脅迫状にしばしば書いたように、「おれは ばかではないから、さがしてもむだです。しもんもつけないからつかまんない」とシッポを掴ませず、 同じく脅迫状の最後を「ヘッヘッヘ」という嘲笑で結んだように、最後まで捜査本部を嘲笑しつづけた。 いったい君は何者なのか? あの犯行は君一人で考えつき、君一人で実行したのか。 君には失礼だが、犯行当日の実行こそ君一人でやっただろうが、犯行の青写真をつくり、一年も前から 準備するなど用意周到な計画を立てた人物は、いま一人いると考える。犯行当日、あわてて偽白バイに シートをつけたまま走ってみたり、乱暴な運転をして今にも衝突しそうになったり、様々なあわてぶりを見せ た若い君に、とうてい、多磨農協脅迫事件で警察の眼をそらしながら、現金輸送車の通るコース、時間、 犯行後の逃走方法などを綿密に調べ上げるという、綿密で慎重な面があるとは思えない。 その理由は、多磨農協やその周辺の家にかけられた脅迫電話が、どうしても若い君がかけたとは 思えないからだ。平塚氏の七年間の捜査メモ『三億円強奪事件』によると、犯人と電話で応対したと いう九人全員が、「電話の声は三十歳前後だった」と言い、一人は「四十五歳くらい」とまで言い、 事情を訊きに行った捜査員に机の引き出しから新聞のモンタージュの切り抜きを出して見せ、 「電話をかけてきたのはこんなチンピラじゃあないですよ。こんなことじゃ、犯人は捕まりませんよ」と 食ってかかり、さらに、「私は役所にいて、たくさんの人から電話を受け、 大体声で年齢は分かる。全然年代が違う」と言ったそうだ。 ★後編 へつづきます ジャンル別一覧
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