引き際
私の好きなものがまたひとつ、この世界から消えていく。私の好きなものは大抵消えていってしまう。まぁ、永遠に続くものなんて存在しないんだから、どんなものでも遅かれ早かれ消滅の運命をたどることは自明なんだけれど。こう大袈裟に書くと「一体何が消えたんだ?!」という感じだが、実際のところ大抵それはほんの小さいものばかりである。最近の例でいくと、ティファールの電気ケトルの初代モデルが代表例で、多くの人にとってはいくらも代わりのある、どっちでもいいようなそんなものが殆どだ。併し、今回のこれはかなりショックだった。先週の24日、自分を慰労する為訪れた今出川の欧州料理店。あえて「欧州料理」と云うのは、シェフがフランス、スイス、ドイツ、オランダで修業した方で明確に何処の国の料理とは限定されていないからである。良い材料を丁寧な仕事で調理し、適正な価格で美味しく食べさせてくれる。いかにも欧州、と云った感じの質実剛健な料理は私の好みにぴったりで、本当にかけがえのないお店なのだった。注文を済ませて暫くすると、突然シェフがこう云った。「実は8月くらいでお店閉めるんですよ」不意を突かれて「え、そうなんですか」と間の抜けた返事をすると、シェフは「レストランは儲からないんですよ。うちみたいなやり方してると特にね。12年やったしもうそろそろええか、と思って。料理を食べにきていない客に料理を出すのもアホらしいしね。」と続けた。美味しいものを一生懸命手をかけて作っても、甲斐の無い客が多くなったらしい。京都は人口の割に料飲店が多い。数が多すぎて次々と潰れていっているのが今の現状である。はやっている店を持つシェフの後輩などは、「客が金に見える」と言い切って憚らないと云うが、育ちが良くガツガツしていないシェフは、そんな風に割り切った商売は出来ないししたくもないのだろう。シェフの話によると、彼はこれから「ソーセージ屋さん」を京都市内で開店するそうだ。京都には現在神戸のデリカテッセンの様な店は無い上、観光客も多いので商売になるのではないか、とのことだった。そしてそれに向けて着々と準備を進めていらっしゃると云う。来月にはオランダへ行って知り合いからソーセージの機械を譲り受けるのだとか。これからの計画を話すシェフは楽しそうである。元々欧州でソーセージの修業をされた方だけにソーセージ作りが好きなのだろう。過剰に儲からなくても好きなことをして生きていけるのは幸せだろうなーと思う。私のお気に入りが無くなることはとても寂しく残念であるが、無責任に「せっかくの腕が勿体無い」なんて云うことは出来ない。物事には引き際ってものがあるし、それを逸するとどうしようも無くなるということは、今の私が身をもって理解しているところだからだ。何はともあれ、シェフの新たな事業の成功を心より願っております。