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JE2LUZ・熊野

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2021/12/20
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カテゴリ:熊野について
熊野市の人口推移」と言うものは、」全国に田舎の町と同様、減衰しつつあります。
 合併当時は3万人を超えていました、
 市になる要件の一つにじんこう3万人と言う壁がありましたからね。
 昭和30年当時だと、戸数7023  人口30819 と言う数字だったのです。
 その後の経過は… 昭和50年 戸数8994 人口 27026
          令和元年  戸数8855 人口 16746  と言う結果です。
 戸籍の関係で戸数は減っていなくても人口が減っています。
 個別の集落の人口は時代とともに喧嘩していますが、若い人が家を建てて引っ越しているだけで人口の増加にはなっていません。
 木本などは「ドーナツ化」を通り越して「過疎化」しています。
     昭和50年       令和元年
 木本  1731戸 4926人   1008戸 1784人
 井戸  1337  4045    1567  3093
 有馬  1737  5322    20074  4007
 久生屋 120  632     703   1567
 金山  213  588     342   869
 飛鳥  798  2315    604   1122
 五郷  586  1649    403   710
 と言う具合です。
 狭いところに人が住んでいるのが、「木本」です。
 他は平地が少ないところですから「広い場所」に住んではいません。
 飛鳥や伊佐跡の場合は「面積」は広大ですが、「山林」がほとんどです、
 飛鳥などは、大又・小又・小坂・佐渡・野口・神山に分かれていますが、一つの村なのに小学校が三校・中学校が一校あったのです。
 大又川沿いに細長く横たわった地形です。
 真ん中に大又川が横たわり、両脇に棚田的な農地が並んでいる手計です。
 田舎としてはきれいで済む良い場所ですが・・・
 効率としてはあまりよろしくないです。
 何が言いたいかと言うと・・・
 「集落統合」などがしにくいのです。
 中核の家を中心に何軒か集まる…
 なんてこともできにくいのです。
 集合住宅に集めるにも元の家から遠くなるし…
 集落ごとにそれなりの家はあるのですが…
 譲り渡してくれそうにありませんし…
 新しい集合時委託を建てるほどのこともなさそうですし…  
 やっぱり、「不動産」と言う概念が邪魔になりそうです。





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最終更新日  2021/12/20 12:56:13 PM
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