オリンピック前夜 1963 東京 2
昨日の記事と写真で分かりますが、あのオリンピックで東京は大改造されました。 青山通りなども大拡幅され東宮御所の一部にも手を付け、青山墓地もオリンピックで断ち割られましたね。 当時の新聞には「墓地改装のお知らせ」とか何とかで延々と広告が載りましたね。 世界でも一番送れていると言われた下水道も一気に整備されたし、夏になると断水する水道も、「オリンピックのため」という大号令で利根川水系からの分水をやっちゃいました。 時の「オリンピック担当大臣」は「河野一郎」さんでした。 超大物を据えて走りましたね。 今の大臣が駄目だとは言いませんが、違いすぎるように思いますね。 その時代の日産のトラックです。 何とも物々しいボンネットトラックです。 ナンバーには「品」とか区分がありません。 この頃までは車も少ないので品川の登録には区分が無かったのです。 これは西銀座の工事現場ですが、今は鉄のブロックですが木製のブロックでふたをしていたのですね。 ユニックも単純で取り回しはしにくそうです。 この作業員さんって「大林組」??? 後ろに移っている「右折禁止」の看板は古い時代のですね。 東京オリンピックの頃から道路標識も分かりよい「ピログラム」の考え方が取り入れられ世界中に普及したのだそうです。 これが銀座4丁目交差点です。 銀座三越も随分ぼろいですね。 都電の後ろが銀座1丁目から日本橋、進行方向が8丁目から新橋です。 奥が月島、手前が西銀座・皇居ですね。 「銀座9丁目は水の上♫」なんて歌もありました。 そして、この時期に「銀座の柳」が引っこ抜かれました。 良いも悪いも「オリンピック」が錦の御旗でしたね。 銀座でも朝早くにはこんな人達が歩いていた時代です。 おじさん達は戦闘服の名残をとどめています。 「戦後はまだ遠くない時代」だったようです。 それでも、日本中元気でしたね。 初代の縦目セドリックが写っていますね。 今じゃあ「ストライキ」する元気も無いようです。 「一億総中産階級」になったとも思えないのですが…人気ブログランキング