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by god father [全205件]
日本映画華々しき昭和30年代を中心に、アクションスターとして活躍したこれまでの人たちは・・まさに各社のトップスターと言われる代表的なビッグスターそのものですが、40年代後半の映画斜陽化までの中で他にも映画スターと呼んでいい主役クラスの何人かがまだいます。 東映での松方弘樹や北大路欣也・・日活では「男の紋章シリーズ」などでの高橋英樹、「無頼シリーズ」などで活躍した渡哲也がいます。 これらの人も映画という世界を覗き見てきた後輩スターとしては、部類に属すると思います。 ただ、華々しき黄金期から・・やや遅れての時代であり、前述のスターの皆さんと比べれば比較に値しない輝きと言わざるを得ません。 ましてやそれぞれが、時代の変化とはいえ・・TV時代に迎合し、むしろTVタレントの世界に移ってしまいました。 どちらかといえば映画すなわち「銀幕のスター」という懐かしい響きには、少し遠い感じでTVタレントクラスという見方になってしまいます。 さて「昭和アクションスター列伝」のトリは、各社の看板を背負ったトップスターではなく・・主役クラスのシリーズがあるわけでもない、むしろ脇役中心であった丹波哲郎をあげておきたいと思います。 僕が丹波哲郎という俳優を初めて知ったのは、昭和30年代中頃新東宝映画「無警察」を見た時で・・主演は後のTV明智小五郎でお馴染みだった天地茂で、敵対する悪役のボスを演じてた時でした。 元々が家系のいい出で、兄弟は皆東大だかで祖父が薬学の権威の人だったと思います。 落ちこぼれといっても、彼も中央大の法科の出ですから・・当時としては名門家系と言っていいと思います。 終戦後、通訳をしてたり空手の実力者で催眠術を起用に操るとか・・ほとんど自称なのですが、一部は当たっていたようです。 さほど注目されなかった彼はTVの「トップ屋」という連続もので、茶の間に進出しました。 五社英雄監督と組んだ、そのあとの「三匹の侍」がヒットし全国的に知られるようになったのです。 新東宝に入社後はたいした作品に恵まれなかったが、1960年代中頃から東映・松竹を中心に相当のキャリアの映画作品に・・重要な役どころで多数出演しています。 東映ではギャングものやヤクザの幹部クラスとして、松竹では「砂の器」「不毛地帯」などの秀作にも主役級で出ています。 「聖職の碑」、「八甲田山」や「人間革命」・・「ノストラダムスの大予言」や彼持論の「大霊界」にも出ています。 とにかく日本映画の聞き覚えのある話題作や大作には丹波哲郎の出ていないものはないというくらいに、存在感のあった俳優なのです。 「仁義なき戦い」では写真だけで明石組の親分として、出演していました。 僕の好きな俳優の一人ですが、独特の演技と台詞回しの非常に存在感のある・・ヤクザものばかりでないオールラウンドな魅力ある俳優でした。 さらに彼の勲章と言えるであろう外国作品への主役級としての出演は、日本人俳優としてすばらしいものだったと思います。 まだ三船敏郎が国際スターと馴染まれる前に、1964年ハリウッドの大スターウイリアム・ホールデン主演の「第七の暁」に革命で敵対する親友役でメイン参加をしています。 その実績を踏まえて日本を舞台に1967年に超人気シリーズ「007は二度死ぬ」で、オファーを得て・・日本側の主要な役どころでショーン・コネリーと共演しました。 さらには1969年、TV人気シリーズ「スパイ大作戦」のピーター・グレイブスと共演し「五人の軍隊」という作品でカッコいい役どころを演じています。 三船と違って、丹波は一応英語を流暢に話せると言う部分で・・かなり外国のプロデューサーから信頼が厚く、日本人として当時貴重な国際スターと見られていたようです。 昨年亡くなりましたが、その2・3年前から急に痩せて・・昔の精悍な面影もない感じでしたので心配していましたが・・。 昭和の映画界に主役級ではないが、大きく存在した素晴らしい魅力の実力あるスターでした。 さて、この後は・・同じ時期に外国でアクションスターとして、僕を夢中にさせてくれた何人かのビッグスターについて主演作品等をあげて振り返ってみたいと思います。
この人も一応、邦画五社のスターシステムにランクされる部類の一人にあげられると思う。 飛びぬけて華々しくブレークしたわけでもないが、「猟銃自殺」という悲惨な最期を遂げたという意味では・・赤木圭一郎同様、ファンには惜しい俳優として記憶に残ったことだろう。 ![]() 昭和30年代から邦画各社は、自社専属のスターを作り上げてきた。 東映では時代劇の中村錦之助・大川橋蔵、現代劇の鶴田浩二・高倉健・藤純子・菅原文太・・日活ではダイヤモンドラインの中での石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎・・東宝と松竹はどちらかというとスター売り出し・ブレークとかは二社に比べれば、おとなしいというか目立たなかったし作品のカラーも多少違っていた。 通して大物スターとして目だって存在していたのは三船敏郎くらいであった。 もう一つの二社に近い大映では、当初市川雷蔵を中心に勝新太郎が台頭し・・第三のスターとして、この田宮二郎が登場した。 学習院大学在学中にコンテスト(ミスター日本)に優勝したのが、きっかけだったが・・年齢的には石原裕次郎より一つ下で、デビュー4~5年目立たず1960年を過ぎてからようやく知られるようになった。 勝新太郎とのコンビでの「悪名シリーズ」でブレークし、大映もここから三人のトップスターの時代に入っていった。 代表作としては山崎豊子原作の「白い巨塔」の財前五郎役に尽きるだろう。 現代アクション映画「犬・・シリーズ」「黒・・シリーズ」の二つのシリーズで、かなりの人気を博したが・・「不信のとき」という作品でのトラブルで、大きな人生を変える悲劇に出会ってしまう。 ポスター序列が本人のトップスター意識の強かったその頃、女性3人の後だということにクレームをつけ・・強引に自我を押し通してしまった。 これによって、当時の悪い慣習でもあった「五社協定」から・・オーナー永田雅一の怒りを呼び、トップスターから一挙に完全に仕事のない干されるという状況に陥ってしまった。 この後の数年の苦労は、大変なものであり・・地方のキャバレー回りなどもせざるを得なかったようである。 ようやく安定して落ち着いた仕事はTVの「タイムショック」での司会であり、これが好評を得て再びマスコミを賑わすようになった。 功を奏したのは、ちょうど時代が映画は斜陽化に向かっており・・TVの時代に入ってきて、恵まれたということもあった。 TVでは、連続ドラマも「高原へいらっしゃい」や何本かの「白い・・シリーズ」で・・人気をさらに手に入れ、自身の希望もあって「白い巨塔」の製作に力を注いだ。 1970年代前半には映画にも復活し、松竹を主に「宮本武蔵での小次郎役」「人生劇場での吉良常役」や「華麗なる一族」「動脈列島」「不毛地帯」などの秀作にもメイン参加している。 その後70年代後半には、自社プロ製作の日英合作作品「イエロードッグ」を公開したが・・時代の斜陽といううねりもありヒットには恵まれず、大きな借財を残してしまった。 ちょうど、この頃がTV版「白い巨塔」の製作と重なり・・心身ともに、疲労のピークとなっていった。 ![]() 同時に、彼自身「躁鬱病」という病に取り付かれ始めた時期でもあった。 「白い巨塔」の製作途上においても、かなりの精神的に難しい時期があったそうで・・彼の病気については、当時マスコミでも様々なことが書かれていた。 「M資金」という詐欺話に夢中になったり、躁状態と鬱状態の激しさが・・まことしやかに囁かれていた。 何とか無事に撮影を終了したものの、病状は悪化をたどってしまったのだろう。 1978年12月28日、彼は孤独の中で猟銃自殺をとげてしまったが・・このニュースはちょうど忘年会をしていた場所で、ニュースによって僕はリアルに知った。 驚きと衝撃は、日本全国に駆け巡ったのは・・言うまでもなかった。 彼の遺書の「病気とあきらめてくれ」という言葉は、真に迫るものがある。 彼の妻は大映女優で映画共演で結ばれた藤由紀子だが、とても美人で素敵な女優だった。 ただただ、残念に思う!
あの頃の「看板」のスターたち・・もう少し、続きます。 看板って、当然に映画の立て看板のことを言うのですが・・常に主役でトップを飾ってるスターや舞台公演の座長などを、身近な周りの人が通常の呼び名に使ってることがあるのです。 あまり聞きなれないでしょうが、「うちの看板!」「看板さんが・・」時としては「看板さん、時間です」とかあるらしいです。 さて、ここで取り上げている「スター列伝」の人たちは・・特にアクション系の一時代を築いた娯楽中心の映画スターの代表的な人をあげています。 それこそ演技の上手な脇役の人とか、思い出に浮かぶ人も何人かいますが・・あくまでもトップスターとしてフィーバーされたスターの皆さんです。 時代劇スターなどを入れたら、さらにたくさんのスターがいますが・・片岡千恵蔵、市川右太衛門、中村錦之助、大川橋蔵、大友柳太郎、近衛十四郎、長谷川一夫、市川雷蔵などもシリーズもので楽しませてくれた思い出多いトップスターの人たちです。 現代劇映画においても、他に仲代達矢、三国連太郎などは常にオールラウンドな演技で魅力あふれるものを感じさせてくれます・・この時代トップにまでは踊り出れなかったものの東宝の宝田明、佐藤允などもけっこう記憶に残っています。 喜劇俳優も含めれば森繁・伴淳を始め、さらに数知れずの芸達者な俳優の勢ぞろいの時代でした。 さて「赤木圭一郎」ですが、ちょっと同世代以上の方でないと・・なかなか思い浮かばないスターだと思いますが、本当に「伝説のスター」なんですよ。 ![]() 彼は日活の裕次郎、アキラに次ぐ「第三のスター」として・・華々しく売り出され、まさにスター街道まっしぐらという大いに人気の出た時期にゴーカート事故であっという間に亡くなってしまったのです。 とにかくニューフェースとして、アキラ売り出し戦略と同じく・・瞬く間に全国区ブームに乗り、ステージにマスコミにと引っ張りだこで毎月一本の主役作品を制作し日活のスター育成の大勝利という感じでした。 彼には魅力もあり、裕次郎やアキラは男から惹かれた部分が際立ったが・・赤木(通称トニー)は女に惹かれるスターのイメージが、同じアクション系の売り出しでも強い感じがした。 海をこよなく愛し、船乗りを夢見・・一人寂しく孤独な哀愁を漂わす、素敵な笑みに少し翳りを感じさす・・まさにスターそのもののような独特の表情を常に持っていた。 「拳銃無頼帖」というヒットシリーズの「抜き射ちの竜」という作品で注目され、宍戸錠とのコンビで脚光を浴びた。 代表作「霧笛が俺を呼んでいる」は唯一カラオケでもトニーの歌として残されている。 他に遺作となる「紅の拳銃」も彼の魅力がふんだんに出されている作品である。 歌の方では、僕は「不敵に笑う男」♪ 星の光を見つめ彷徨う野郎 ここも冷たい他人の街だ 俺は俺は一人っぽっち 地獄の風が吹き抜ける ~ というのがもっとも好きであり、さらに遺作の主題歌「追憶」という歌に非常に惹かれるものがある。 ![]() 驕り高ぶることもなく、皆に好感を持たれ・・裕次郎・アキラをすぐにも追い越していくだろうという勢いの将来を期待できる人だったように思われる。 歌や演技という部分では、二人には適わないだろうがスター性という部分では・・十分に期待できたと思う。 なぜ「伝説のスター」と言われるかは、とにかく一本立ちの主役スターとして現われ出て認知され・・華々しく活躍した期間が正味一年ほどであったこと、あっけなく事故でその命が奪われてしまったことで衝撃の強さが余りにも大きかったからだと思われる。 年齢も若干21歳の生涯ということで、当時の騒がれ方はジェームス・ディーンの事故死とよく引き合いに出されたものである。 ただ思い起こせば、常に屈託のない笑顔の中に・・なんとなく影の薄い表情を感じたのはあったような気もする。 気軽に応募してみたら思ってもいなかった人気スターになってしまって、困ったような感じも見せていた。 事故がなかったとして、あのブームで日活三羽烏として裕次郎・アキラと共に売れていったとしても・・ブームの終わりと共にトニーだけは、早々と映画界を去って行ったのではないかと思う。 あまり派手な世界を好きじゃなかったろうし、欲も多い人ではなかったようだし・・別の世界でまた人柄的にも成功していったのではないだろうか。 本人には楽しい、本当に短い一時ではあったろうが・・さっと現われ皆に夢を与えて、あっという間に消えていったトニー・・やはり、衝撃的すぎていつまでも印象に残るスターであった。 毎年、一週間後の命日よりも事故のあった2月14日は・・やはり「トニー」を一瞬、思い起こしてしまう。
邦画史においても、東映映画においても代表的なスターとして名を残している「高倉健」ですが・・。 ![]() 高倉健は、日活の裕次郎やアキラと同時期(昭和31年)に映画デビューを果たしていますが・・裕次郎がすぐに爆発的な人気を得て邦画界の独壇場の地位を占め、この効果からアキラもブームを呼びスターとなり両輪として昭和30年代の中ごろに最盛期を迎えたのに対し・・。 なかなか注目を浴びず、日陰暮らしというか・・これほどのスターとなる要素は、当時はあまり感じませんでした。 当時、第一線で活躍していた歌手の江利チエミとの結婚で注目を浴びたくらいの俳優だったのです。 この時は、チエミが一方的に惚れたのが伝わっていましたが・・ランク的にも売れない俳優高倉と歌手として知名度の高かったチエミとの結婚という感じでありました。 その頃は歌謡界で絶大な人気を誇っていた美空ひばりが東映女優としても活躍し、彼女の主演作品の相手役などを主につとめ・・背も高くアクションものにも向いてる容姿から、御大スターの片岡千恵蔵主演の現代劇ギャング映画などにも活躍の場を設けていました。 ![]() その後、東映に移籍してきた大スターの鶴田浩二と共に若手現代劇アクション派俳優たちによるギャング映画を中心に主演・準主演として活躍をしていきました。 名作「飢餓海峡」あたりでの出演もありましたが、この作品では三国連太郎・伴淳三郎の見事な演技に圧倒され・・高倉は存在すら見られないほど影の薄い出演でありました。 時代劇旺盛だった東映も人気がなくなり、大きな変化を求める時となり・・昭和38年に鶴田浩二主演の「人生劇場 飛車角」に弟分の宮川役で共演し、いわゆる仁侠映画のヒットを呼ぶこととなったのです。 ![]() これを兆しに東映は時代劇から着流しスタイルの仁侠映画にと大きく衣替えしていくこととなりました。 急激に注目を浴び目立ち始めた、高倉健のスターとして認められる昭和40年代となり・・昭和30年代に一斉を風靡した裕次郎やアキラは、映画斜陽化の荒波を受け立場が逆転していくこととなっていくのです。 爆発的なヒットを呼んだ東映の仁侠映画では、高倉健は「日本侠客伝」「昭和残侠伝」の両シリーズに活躍し・・これも彼を有名にした「網走番外地」のシリーズで、多くの観客を喜ばしました。 高倉健は歌のほうでもヒット曲を持っていて、「網走番外地」や「唐獅子牡丹」は大ヒット曲として今もカラオケ等に残っております。 斜陽化の進む映画産業のなかで、東映の仁侠映画と渥美清の松竹の「寅さんシリーズ」だけがヒットという時代でもありました。 数年のブームの後、仁侠映画も廃れ現代やくざの実録路線に移る東映ですが・・この時期には女侠客「緋牡丹博徒」の藤純子や長年売れない俳優稼業にいた菅原文太や勝新太郎の兄貴の若山富三郎などのスターもブームの中で作り出せました。 高倉健のカリスマ性は実は、この後の俳優活動の変化によるところが大きいと思います。 東映を退社する昭和50年頃から自らのイメージチェンジをはかり、寡黙な男・私生活を見せない男として・・作品出演も年に1本くらいに留め、そのスターとしての存在価値をアピールしていったのです。 本来は明るく人に気を使う笑顔を絶やさない、話好きの人らしいのですが・・イメージチェンジでは無口な男を演じていたようです。 当時の三船敏郎に次ぐ国際スターも目差し、外国スターとの共演作も何本か作りましたが「ザ・ヤクザ」でのロバート・ミッチャムや「ブラックレイン」でのマイケル・ダグラスなどとの作品は記憶に残っています。 フランスで好評だった「新幹線大爆破」や大映の永田雅一製作の「君よ憤怒の河を渉れ」はなかなかいい作品でありました。 アクションもの以外でも話題作主義で「幸福の黄色いハンカチ」他、いろいろと出演し最近では中国に随分と馴染み「単騎、千里を走る」などの話題でマスコミを賑わかしました。 僕が最後に見た高倉作品は「冬の華」ですが、やはり高倉健はこういう映画がイメージとして一番似合っていると思いました。 もういい年で、今年76歳になりますが・・やはり老いは隠せず、昔の風貌はまったく影をひそめTVやスクリーンには出てこないのではないかと思います。 あまりにも老けてしまって、老人役しか似合わない・・高倉健の老人役などは、絶対に見たくないと思います。 早くに亡くなったスターは容姿は永遠ですが、長生きしているスターの哀れさもやや感じてしまいます。
日本映画を、特にアクション作品に興味を持って・・子供の頃から銀幕スターという魅力に惹かれ見続けてきましたが、僕の時代を通して両手の指の数に相当するくらいの印象深い思い出のあるスターがいますが・・。 その中で強烈な印象が残り、どうしても飽きたり嫌いになれない(笑)・・別の言い方をすれば何故か長い間、好きだったスターとして鶴田浩二・小林旭があげられます。 しかし、もう一人忘れちゃいませんかという魅力たっぷりの「男」として勝新太郎というスターがいます。 ![]() 鶴田・アキラ・勝新という、このお三方に共通して言えるのは・・作品内容とかに限らず、映像としてスクリーンとかに出てくるだけで満足させてくれる部分があるのです。 いわゆる表情やしぐさに尽きぬ魅力があるのです。 男っぽさを演じるカッコよさに加えて、言うに言われぬ茶目っ気というか可愛らしさが自然の演技で出てくるという共通点があるのです。 他のスターたちの場合は~裕次郎や三船・錦之助・橋蔵・高倉健などでの場合・・まったく駄作でつまらないとかの印象を感じてしまうものがはっきりしています。 同じ好きな一時代を築いたスターの中でも、スターそのものの個性の際立ちに惹かれるという・・好きだからしょうがないというところなんでしょうが、飽きない魅力があります。 ![]() 勝新太郎の代表作としては「座頭市」がありますが、長く多くの作品が作られTVでも自社プロ製作で好評を得ました。 僕は座頭市は、かすかにでも目が見えるという設定でいいと思うのですが・・余りにもすご過ぎる居合いの達人、スーパーヒーローなのですが現実離れし過ぎて(笑)まぁ、そこが受けて大ヒットしたのかもしれません。 むしろ僕は、同期入社のスター市川雷蔵の後塵をずっと配し泣かず飛ばずの時代の長かった勝新の初めてのヒットシリーズ「悪名」や後の「兵隊やくざ」に作品としては大いに惹かれるところがあります。 だいたいが勝新を知ったのは「悪名」の面白さやカッコ良さからでしたから、印象深いものでした。 田宮二郎を弟分として従えての、作家今東光原作の「八尾の朝吉親分」は良かった・・けっこう見た方は印象に残っていると思います、男っぽさをふんだんにスクリーンで演じていた。 「兵隊やくざ」での大宮一等兵も、有田上等兵役の田村高広とのコンビで・・面白可笑しく、女好きな熱血漢を演じ最高の彼の個性を見せてくれた。 大映でのトップスターの位置を占めてからは、独立プロ隆盛の時代に華々しく活躍したが・・経営という部分ではだいぶいい加減な個性を発揮し、火の車だったようで奥方の中村玉緒は苦労したと思います。 とにかく昔でいう役者馬鹿というか、そこが魅力でもあるのだがお金の計算をしない大盤振る舞いですごかったらしい。 黒澤明監督との確執から「影武者」の主演を降板したり、最後の「座頭市」映画作品では息子の刺殺事件という不祥事の災難にあったり・・その直後のハワイでのコカイン騒動では、マスコミを賑わかしたが後年の人生はあまり芳しいものではなく残念であった。 自らまいた種とはいえ、悪いめぐり合わせが重なり・・多少は自暴自棄的なものも感じられた。 亡くなる少し前の夫婦での「夫婦善哉」の舞台公演で、久しぶりに元気な姿を見せてくれたのが・・二人にとっては最後のいい思い出の舞台だったと思われる。 ![]() 鶴田浩二・石原裕次郎・小林旭の3人は、押しも押されぬビッグヒット曲を持つ「歌う銀幕スター」の代表格であるが・・この勝新太郎というスターも歌は歌います。 あまり歌うことに積極的でなかったため、「座頭市」の主題歌が知られてる程度でヒット曲も目立ちませんが・・声は良いしムードもあるしディナーショー辺りでは、後年かなり歌ったようです。 特に洋楽のスタンダードナンバーなども、自己流(笑)のアレンジでかなり聞かせてくれますし・・このジャケットのCDなどはお勧めです。 勝の会社が倒産し環境的にも恵まれなくなった頃の話で小林旭の話題になり「アキラはいいよ!歌があるから・・」と、同じような倒産経験の苦しさを克服した仲間の話をしていたが・・勝新太郎もいい時代に歌手としてのいいタイミングに乗ってヒット曲を出していたら、その後のスターとしての人生がまた変わっていたかもしれないと思います。 それほど歌手としてのセンスも「長唄や三味線」の名取でもあり、いいものを持っていたと思われます。 映画「悪名」で歌ってた「河内音頭」も、おつな感じでなかなか良かったです。 60代半ばでの死は、本当にもったいない役者だったと感じます。
「お盆」真っ盛り、厳しい暑さの中・・あちこちと移動している方々は、体をご自愛ください。 当ブログも今回でちょうど記念すべき区切りの「200作目」となります。 ここのところ続いております、懐かしい子供時代の昭和30年代映画全盛期の「スター列伝」シリーズ・・まだまだ続きます。 今回は日活アクションスターとして、公私に亘りさまざまな話題で芸能史を築いた「小林旭」です。 ![]() 小林旭は日活の救世主としてデビュー以来爆発的なブームを呼んだ「タフガイ」石原裕次郎の次のスターとして、売り出し手段としての裕次郎作品「錆びたナイフ」に弟分役で共演し注目を集め・・その後すぐに全国の若者に支持され大ブレークし、「マイトガイ」というキャッチフレーズで爆発的な人気を得ました。 彼は邦画史においても、珍しいくらいの多くの「シリーズ作品」を持ってたスターで・・代表的な「渡り鳥」「流れ者」「旋風児」の一連のシリーズで絶頂を迎えました。 その後も時代ごとに、何作かのシリーズものを手がけ一時代を築き・・70歳に近い年齢ながら、今もまだ第一線で舞台に歌にと50年の歴史を踏まえて活躍しています。 昭和の「看板」を競ったスターたちが、ほとんど亡くなってしまい・・彼らの代表として、まさに昭和を思い出さす「伝説のスター」として未だ君臨しています。 昭和30年代は東映映画のチャンバラ時代劇で中村錦之助や大川橋蔵がブームを呼び、大映映画で市川雷蔵や勝新太郎が活躍しました・・同時に日活映画での現代劇アクション作品で石原裕次郎と小林旭がちょうど中期に、他社が比較に出来ないほどの人気度で若者の支持を得て大ブームを得ました。 この二人のスターが何故そこまで爆発的な人気を誇ったかは、ほかの映画スターと違ってヒットレコードが出せたというところに・・大きな魅力があったのです。 日活映画では作品の主題歌がほぼ必ずといっていいほどありました。 作品のはじめと終わりに、さらに上映幕間にも二人の歌声が流され・・自ずと詰め掛けたファンに浸透しヒットしていった。 裕次郎も旭も歌が上手かったし、他のスターに比べ確実に差を広げていった・・そういう部分で集中的永続的に人気度が高まり、その後のスターとして長い間君臨できた礎になっていたものと思われます。 20代前半で映画界芸能界の頂点を築いた小林旭は、裕次郎もそうでしたが「地球は自分のために回っている」というくらいの錯覚に陥り・・気難しく我が儘な一面も多かったようで、やや批判的な見方をされた部分もありましたが誰でもいっぺんに人生の変わったような時期であり致し方ないことだったと思います。 小林旭を語る上では当時の映画界でのトップスター石原裕次郎と歌謡界でのトップスター美空ひばりを外すことはできません。 デビュー以来の羨望の的・・いつかは近づきたいという憧れだった裕次郎、それほどそのころの裕次郎は異常な人気でありました。 裕次郎も親分気質の人柄で旭を可愛がり、他社の看板スター仲間との遊びにはいつも旭を誘い派手な交遊を一緒に繰り返していたそうです。 だが旭があまりにも大きくなって、自分と対等に日活を支えるようになり・・徐々にそれまでのような互いの距離は離れていったように思います。 日活が全盛期に「オールスター作品」を作れなかった原因がここにあったと思われます。 小林旭というスターの性格は「人に媚びない、群れない」、さらに負けず嫌いで努力家であるという部分が顕著だと思います。 そこの部分は裕次郎は対照的で、人に取り入れやすく仲間意識が強く振る舞いが上手なタイプでした。 旭は実際にそういう要因を大変持っており、またその裏づけとなるあくまでも自分を信じて突き進むという自信もすごいものがあった・・また肉体的にも健康で、非常に運の強い人でもありました。 見方によれば非常に誤解を招きやすいスターでもありましたが、真は礼節を重んじる非常にまじめな人のように思います。 小林旭に他のビッグスターとの共演作がほとんどないのは、共演者に避けられていた部分があったと思います。 なぜなら旭というスターはスクリーンに出ると、ロングで端の方に映っていても目立ってしまう・・派手さやしぐさ格好がどうしても、たぶん絶えず本人も意識してそうしてるようですが嫌でも光ってしまいます。 さらに特徴的なことは、まったくと言っていいほど汚れ役の少ないスターで・・ほとんどがスーパーヒーローとして描かれ、彼の作品は彼のカッコよさをメインに押し出していることで終始しています。 これは他のスターに比べても非常に珍しいことです。 「青春の門」や「仁義なき戦い」への参加でも、目立つことこの上なく後者においてはシリーズでは実質主演を取って代わったような感じになってしまいました・・さらに「制覇」などでの顔見世出演でも一人出番が少なくても存在が強調されているのが、よく映像としてわかると思います。 要は、自分が食われてしまうのが解るだけに・・他の看板スターは共演されるのが嫌だったのではと思うのですが・・。 ![]() この写真は昭和50年代のころでしょうか、全国的な「昔の名前で出ています」の爆発的なヒットでステージ活動をしていたころかもしれません。 最高にカッコ良かった時代の小林旭です。 「俳優は男子一生の仕事にあらず」と言って、裕次郎も一時期同じようなことを言っていましたが・・ゴルフ場開発に没頭し、運悪く遺跡発掘だかにぶつかり頓挫し莫大な借財を作り破産した直後だったでしょうか・・。 その後も夢を実現をと、若いころに描いていた映画「春来る鬼」を自社プロで製作したものの映画斜陽期の影響から大赤字をこさえ・・これまた「熱き心に」というベストヒットレコードに救われ、運の強さでは面白いほどすごい人だと思います。 人気が廃ればお終いの稼業、人生においてもライセンスが欲しいという考えが強く実業家を目指しましたが・・今は俳優や歌手が適職だったと振り返っているのではないでしょうか。 でも、ライセンスという部分では今年日本プロゴルフ協会から「プロゴルファー」という名誉ある称号をいただきました。 9月26日からのシニアツアーには、早速参戦するという話題も出てきて楽しみです。 もう一人の「美空ひばり」ですが、これはひばりが当初より一方的に見初めベタ惚れで入籍こそしなかったが・・当時の芸能界きっての「世紀の結婚式」を挙げ、そのころの熱々振りや話題はすごかった。 今のようにワイドショーが盛んであったら、1ヶ月以上は毎日取り上げられていたでしょう。 もとより続く結婚とは誰しも思わなかったが、離婚についても背景に関わったひばりの後見人が堅気の人でない超大物の人で非常に嫌な感じに思えました。 ただ美空ひばりは、本当に旭を好きで一緒になったことが良くわかります・・彼女の環境が女の幸せを築けなかったのも良くわかります、彼女にとっては一度しかなかった女としてのつかの間の幸せだったと思います。 ひばりは幼いころから、家族の犠牲となって生きてきた女だから・・一生、それで終わってしまった。 ある意味で、可哀想な女性だったと思います。 先月、生で小林旭の舞台公演を見ましたが・・まだ元気そのもので歌声も素晴らしく、本当に彼は超人のように思われます。 容姿こそ昭和50年代の僕のもっとも好きだった頃からは変わりましたが、逆に年齢からくる年輪の魅力が備わったようにも思われます。 もう少し元気で頑張って「芸能生活60周年」くらいで引退してくれればいいかな(笑)あの声の出ている間は・・「アキラ節」で軽快なステップがまだ踏めるうちはTVでもコンサートやディナーショーでもまだまだ活躍出来ると思います。 ![]()
昭和の映画の・・最盛期の昭和30年代の日本のスターを語る上で、派手さは無く地味ながらも三船敏郎を上げずにはいられません。 いわゆる海外にも知れた大物スターという意味では代表的な人でした。 彼がそこまで有名になったのは、黒澤明監督に見出され黒澤作品で名を売ったことが大きいと思います。 そもそも黒澤と三船の二人が世界に名を知られるようになった作品は1951年の「羅生門」だということですが、「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」あたりで、完全に確立したと思います。 「赤ひげ」なんて作品もよかったと思います。 ![]() それまでの戦前からの日本の時代劇スターは数知れずいましたが、この黒沢作品辺りから刀で切れば血が出るというリアルな雰囲気を映画でも取り入れ始めました。 「七人の侍」は「荒野の七人」、「用心棒」は「荒野の用心棒」となって・・外国映画でもリメイクされ大ヒットを呼んだのは有名ですが、マックィーンやブロンソンやイーストウッドを一躍大スターにしたことでも知られています。 三船は用心棒や素浪人といった、いわゆる「侍」という日本を代表する時代劇スターイメージで海外にも知られていました。 当初、東宝に入社する際は写真屋さんの息子だったので撮影関係の希望だったそうですが・・ひょっとした縁でこれも助監督時代の黒沢絡みなのですが、ニューフェイスに合格してしまったそうです。 人間の縁と出会いはわからないものですね、その黒澤ともある時期から衝突し袂を分かつ関係になりましたが・・三船の死を惜しんで黒澤監督が、最高の賛辞を送ったのはリアルタイムで耳にしています。 やはり気持の上では、同じ世界の仲間として永遠の繋がりは抱いていたのでしょう。 昭和40年代のスタープロ時代には、石原裕次郎・勝新太郎・中村錦之助らとスター共演の作品を何本か作り上げました。 TVでも自社プロ作品で「素浪人物」で人気を博しました。 晩年は心臓疾患や痴呆症等との戦い、若い自社タレントの北川美佳に走り高齢にして女児(三船美佳)をもうけたり・・結局のところ病を負うようになり、夫人のもとへ戻った頃は最もいい時間だったように見えました。 ![]() 全盛期のCMで人気のあった印象深いものが「男は黙って・・」の作品でした、このイメージが表向きの三船の象徴でしたが・・実際はこと細やかな神経質の、やや小心気味の几帳面な性格だったそうです。 もう一つ、お酒を飲むとやや酒乱っぽく乱れるようにも噂されていましたね! 東宝時代の配役の序列で奇妙なものに、トップスターの主演でありながらトップクレジットを譲るということがありました。 宮本武蔵シリーズで佐々木小次郎役の鶴田浩二がトップに、柳生武芸帳シリーズでも鶴田がトップに、暗黒街シリーズでも鶴田がトップになんてこともありました・・これは鶴田浩二の東宝移籍の条件を一部飲んだということらしいです。 この当時同じようなことが東映でもありました。 市川右太衛門主演の大石忠臣蔵物で、助演の片岡千恵蔵が配役のトップに来ていたことがありました・・いろいろと当時の大スターが共演すると、序列のことで大変だったようですね。 晩年は大物の存在として、東映作品で実録やくざ映画に参加していたのが印象深いです。 三船敏郎の外国作品での大物スターとの共演作品を印象に残ってるものをあげておきます。 1967年「グラン・プリ」でのイブ・モンタン~1968年「太平洋の地獄」でのリー・マービン~1971年「レッド・サン」でのアラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン~1976年「ミッドウェイ」でのチャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ~1976年「太陽にかける橋」でのデビッド・ニーブン ・・1980年の「将軍」という作品も記憶に新しいです。 |一覧| |
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