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イザヤ書46章を読んで思うこと。それは、「再び愛をもって、エルサレムに対して語る神」について。バビロンの偶像の神々との違いは、ここに明白です。 イザヤ書44章では「わたしに立ち返れ」と、エシュルン(イスラエル)に命じました。イザヤ書45章では「わたしを仰ぎのぞめ」と、クロス王や地の果て(全て)の者に命じました。そして、このイザヤ書46章では、再び強情なイスラエルに「わたしに聞け」と命じます。 「ヤコブよ、イスラエルよ、これらの事を心にとめよ。あなたはわがしもべだから。わたしはあなたを造った、あなたはわがしもべだ。イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない。わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。」(イザヤ書44:21〜22) 「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。」(イザヤ書45:22) ベルもネボも、バビロンの神、偶像の神です。しかし、巨大なバビロン帝国も、ペルシャ(クロス王)によって滅びます。偶像のベルもネボも大事に背負われ、バビロンの民は苦労して逃げますが、しだいに偶像が重荷になって捕えられて、やがて民は死に絶えます。イザヤが預言した通りです。 「ベルは伏し、ネボはかがみ、彼らの像は獣と家畜との上にある。あなたがたが持ち歩いたものは荷となり、疲れた獣の重荷となった。彼らはかがみ、彼らは共に伏し、重荷となった者を救うことができずかえって、自分は捕われて行く。」(イザヤ書46:1〜2) しかし私たちは主イエスに背負われて、信仰により恵みによって救われました。聖書に啓示されている通りです。 「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。」(イザヤ書46:3) 「心をかたくなにして、救に遠い者よ、わたしに聞け。わたしはわが救を近づかせるゆえ、その来ることは遠くない。わが救はおそくない。わたしは救をシオンに与え、わが栄光をイスラエルに与える。」(イザヤ書46:12〜13) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015/04/14 08:17:03 AM
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