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ヨブ記39章を読んで思うこと。それは、「神からの問いかけ、つむじ風の中からのメッセージ、パート2」のこと。
ダチョウは卵を産みっぱなし。土がその卵を温め、孵化に至ります。しかしそれまでに、親鳥の保護が無いまま、野の獣に踏まれます。ああ、これが現実。 私たちは洗礼を受けた新生児を、産みっぱなし。御父の声を聞かず、聖書を読まず、世俗の波に流されっぱなし。ああ、これが現実。 全ては、創造者なる神につながって生き、神なしに存在する事はできないのです。そこに、神の創造の不思議さがあります。 しかし人は自分勝手に、人間中心に、物事を見ます。主はそれに気づかせる為に、ヨブに、私たちに、問いかけをなさいます。 「だちょうは威勢よくその翼をふるう。しかしこれにはきれいな羽と羽毛があるか。これはその卵を土の中に捨て置き、これを砂のなかで暖め、足でつぶされることも、野の獣に踏まれることも忘れている。これはその子に無情であって、あたかも自分の子でないようにし、その苦労のむなしくなるをも恐れない。これは神がこれに知恵を授けず、悟りを与えなかったゆえである。」(ヨブ記39:13〜17) アイ、ハブ、ジーザス。私たちは、主イエスを持っています。神の御子イエスは、特別啓示です。贖い主として、祭司、預言者、王なるお方です。 しかし神は、あえて一般啓示として、自然界、植物の世界、動物の世界を通して、私たちに語られます。この章では、家畜や獣を通して、ヨブに語られます。 「たかが舞いあがり、その翼をのべて南に向かうのは、あなたの知恵によるのか、わしがかけのぼり、その巣を高い所につくるのは、あなたの命令によるのか。」(ヨブ記39:26〜27) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/01/27 04:47:24 AM
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