1085328 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

聖書を毎日、一日数章、一生学ぶプログラム

聖書を毎日、一日数章、一生学ぶプログラム

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

1分de聖書、解説者

1分de聖書、解説者

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

2024/04/06
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
1コリント書7章より

まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治)

おはようございます。今日はコリント人への手紙第一7章「召されたときのままで」です。

兄弟たち、それぞれ召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。:コリント人への手紙第一7章24節

◆要約

さて、男が女に触れないのは良いことです。しかし、淫らな行いを避けるため、結婚し、互いに義務を果たしなさい。これは私の譲歩であって、命令ではありません。一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。自制できないなら、結婚しなさい。すでに結婚した人たちは、別れてはいけません。もし別れたのなら、再婚せずにいるか、和解するか、どちらかにしなさい。信者でない相手が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。しかし離れて行くのであれば、行かせなさい。
ただ、それぞれ主からいただいた分に応じて、神が召されたときの状態のままで歩むべきです。割礼も無割礼も、奴隷も自由人も取るに足らぬこと、重要なのは神の命令を守ることです。
時は短くなっています。世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。
結婚する人は良いことをしており、結婚しない人はもっと良いことをしているのです。そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです。

設問:なぜ召されたときの状態のままでいることを勧めるのか
20字:過ぎ去る世にあって主の奉仕に専念するため(岡崎道成)

解説として

1コリント書7章は、「結婚について」のこと。

パウロが、結婚問題を取り上げた理由は、「さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると」(1コリント書7:1)とあるように、コリント教会との双方向のやり取りから始まっています。

想像するに、「結婚はしなければいけないものですか」という彼らの質問に、パウロが答えたものだと思います。

コリントの町は、道徳的に退廃した町です。故にコリント教会の人々は、「結婚の意義」がわかりません。

それ故に反動で、禁欲的に走る者もあります。これらの性的な問題が真面目に問われる必要があります。

以下がその、パウロの勧めです。

さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。互に拒んではいけない。ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている。(1コリント書7:1〜7)

パウロはまず、「結婚は神の祝福である」と語らないで、むしろ、「男子は、婦人にふれないがよい。しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい」(1コリント書7:1〜2)と、語りました。

パウロはまず、彼らの主張を受け入れ、「不品行を避ける為」と、結婚の消極的な理由を語りました。それはまず、男女間の関係を大切にし、お互いに相手を尊ぶようにとの、理由からです。

現実、単身赴任の場合、男は淋しさから誘惑に負けてしまいます。人間は弱いものです。神さまは私たちを憐れみ、アダムを憐れみ、最高の助け手を与えてくださいました。それが結婚の恵みです。

いたわって大切にし、お互いを尊ぶところに、より豊かな結婚生活があります。このメッセージを、独身のパウロ先生が語るのですから、彼は凄い人物です。

なんと信仰豊かな、見事な先生でしょうか。パウロは後に、エペソ書において、「結婚の奥義」を語ります。

以下がその、パウロの勧めです。

キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。(エペソ書5:21〜33)

(篠原利治)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024/04/06 12:38:46 AM



© Rakuten Group, Inc.