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二宮翁夜話巻の1【16】~【32】

二宮翁夜話巻の1

【16】尊徳先生がおっしゃった。
「多く稼いで、お金は少なく使い、多く薪(たきぎ)を取つて、たく事は少なくする、
これを富国の大本(たいほん)、富国の達道という。
そうであるのに世の人はこれを吝嗇(りんしょく)といい、また強欲という。
これは心得違いである。
人道というものは自然に反して、勤めて立つところの道であり、貯蓄を尊ぶためである。
貯蓄は、今年の物を来年に譲る、一つの譲道である。
親の身代(しんだい)を子に譲るというのも、すなわち貯蓄の法に基づくのである。
人道は、言ってみれば貯蓄の一法のみともいえる。
だからこれを富国の大本、富国の達道というのだ。

【17】翁曰く、
米は多く蔵につんで少しづゝ炊き、薪(たきぎ)は多く小屋に積んで焚く事は成る丈少くし、衣服は着らるるやうに扱(こし)らへて、なる丈着ずして仕舞ひおくこそ、家を富ますの術なれ、
則(すなわ)ち国家経済の根元なり、天下を富有にするの大道も、其の実この外にはあらぬなり

【17】尊徳先生はおっしゃった。
米は多く蔵に積んで少しずつ炊き、薪(たきぎ)は多く小屋に積んで焚く事はなるだけ少くし、衣服は着られるようにこしらえて、なるだけ着ないで仕舞っておくことこそ、家を富ます方法である。
すなわち国家経済の根元でもある。
天下を富有にする大道も、その実この外にはないのだ。      

【18】翁(をう)宇津氏の邸内に寓(ぐう)す。
邸内稲荷(いなり)社の祭礼に大神楽(だいかぐら)来りて、建物の戯芸(ぎげい)をせり。
翁是を見て曰く、
凡(およ)そ事此の術の如くなさば、 百事成らざる事あらざるべし、
其の場に出(い)づるや少しも噪(さわ)がず、
先づ体を定めて、両眼を見澄して、棹の先に注(ちゅう)し、脇目も触らず、一心に見詰め、器械の動揺を心と腰に受け、手は笛を吹き扇を取て舞ひ、足は三番叟(さんばそう)の拍子を踏むといへども、
其(そ)のゆがみを見留て腰にて差引す、其の術至れり尽せり、
手は舞ふといへども、手のみにして体に及ばず、足は踏むといへども、足のみにして腰に及ばず、
舞ふも躍るも両眼は急度(きっと)見詰め、心を鎮め、体(たい)を定めたる事、大学論語の真理、聖人の秘訣、此の一曲の中に備れり、
然るを之を見る者、聖人の道と懸隔すと見て、此の大神楽の術を賤しむ、儒生の如き、何ぞ国家の用に立たんや、嗚呼術は恐るべし、綱渡りが綱の上に起臥して落ちざるも又、之に同じ、
能(よ)く思ふべき事なり

【18】尊徳先生が宇津氏の邸内に寓居されていた。
邸内の稲荷社の祭礼に大神楽が来て、技芸を行った。
尊徳先生はこれを見ておっしゃった、
「およそ事はこの術のように行うならば、 百事成らない事はないであろう。
その場に出ては、少しもさわがず、まず体を定め、両眼を見すまし、棹の先に注意を傾け、脇目もふらないで、一心に見つめ、器械の動揺を心と腰に受けて、手は笛を吹いて扇を取って舞い、足は三番叟(さんばそう)のリズムを踏んでも、そのゆがみを見とめて腰にてバランスをとる、そのテクニックは至れり尽せりだ。
手は舞うといっても、手だけで体までは及ばない、足は踏むといっても、足だけで腰にまで及ばない、
舞うも躍るも両眼はきっと見つめ、心をしずめて、体を定めるところは、「大学」や「論語」の真理や聖人の秘訣がこの一曲の中に備っているといってよい。
それをこれを見る者が、聖人の道とはるかに隔たっていると見て、この大神楽の術を賤しむ、
儒学者のようなものが、どうして国家の用に立とうか、ああ術というものは恐るべきものだ。
綱渡りが綱の上で起きても臥しても落ちないのもまたこれと同じだ。
よくよく思わなければならない事である。

【19】翁曰く、
松明(たいまつ)尽きて、手に火の近付く時は速かに捨つべし、
火事あり、危き時は荷物は捨てて逃出すべし、大風にて船くつがへらんとせば、上荷を刎(は)ぬべし、甚しき時は帆柱をも伐るべし、此の理を知らざるを至愚といふ。

【19】尊徳先生はおっしゃった。
「松明(たいまつ)が尽きて、手に火の近づく時はすぐに捨てなければならない、火事があって、危い時は荷物は捨てて逃げ出さなければならない、
大風で船がくつがえろうとするときは、荷物は投げ捨てなければならない、
はなはだしい時は帆柱をも切らなければならない、
この理を知らないものを至愚という。」

【20】川久保民次郎と云ふ者あり、
翁(をう)の親戚なれども、貧にして翁(をう)の僕(ぼく)たり、
国に帰らんとして暇(いとま)を乞ふ。
翁曰く、
夫(そ)れ空腹なる時、他にゆきて一飯をたまはれ、予庭をはかんと云ふとも、決して一飯を振舞ふ者あるべからず、
空腹をこらへて、まづ庭をはかば或(あるひ)は一飯にありつく事あるべし、
是れ己を捨てて人に随ふの道にして、百事行はれ難き時に立至るも、行はるべき道なり。
我若年(じやくねん)初めて家を持ちし時、一枚の鍬(くわ)損じたり、
隣家(りんか)に行きて鍬をかし呉(く)れよといふ、
隣翁(りんをう)曰く、
今此の畑を耕し菜(な)を蒔(ま)かんとする処なり、
蒔き終らざれば貸し難しといへり。
我が家に帰るも別に為すべき業(わざ)なし、
予此の畑を耕して進ずべしと云ひて耕し、菜の種を出されよ、序(ついで)に蒔(ま)きて進ぜんと云ひて、耕し且(かつ)蒔きて、後に鍬をかりし事あり。
隣翁曰く、
鍬に限らず何にても差支(さしつかへ)の事あらば、遠慮なく申されよ、
必ず用達(ようたつ)すべしといへる事ありき。
斯(かく)の如くすれば、百事差支なきものなり。
汝国に帰り、新(あらた)に一家を持たば、必ず此の心得あるべし。
夫(そ)れ汝未だ壮年なり。
終夜(よもすがら)いねざるも障(さは)りなかるべし、 夜々寝る暇(ひま)を励し、勤めて、草鞋(わらじ)壱足或(あるひ)は二足を作り、 明日(みやうにち)開拓場に持ち出し、草鞋の切れ破れたる者に与へんに、受くる人礼せずといへども、元寝る暇(ひま)にて作りたるなれば其の分なり、
礼を云ふ人あれば、夫れ丈けの徳なり、又一銭半銭を以て応ずる者あれば是又夫れ丈の益なり。
能(よく)此の理を感銘し、連日おこたらずば、何ぞ志の貫かざる理あらんや、
何事か成らざるの理あらんや、
われ幼少の時の勤め此の外にあらず、
肝に銘じて忘るべからず、
又損料を出して、差支(さしつかへ)の物品を用弁(ようべん)するを甚(はなはだ)損なりと云ふ人あれど、しからず、夫(それ)は事足る人の上の事なり。
新(あらた)に一家を持つ時は百事差支へあり、皆損料にて用弁すべし、
世に損料ほど弁理なる物はなし、且(かつ)安き物はなし、
決して損料を高き物、損なる物とおもふ事なかれ。

【20】川久保民次郎という者があった。
尊徳先生の親戚(母方が川久保家)であったが、貧乏のため先生の従僕をしていた。
国(小田原)に帰ろうと暇ごいを言った。
尊徳先生はおっしゃった。
「空腹である時、他にいってご飯を一杯めぐんでください、めぐんでくださったら私があなたの庭をはきましょうと言っても、決して一杯のご飯をふるまってくれる者はいないであろう。
空腹をこらえて、まず庭をはくならば、あるいは一杯のご飯にありつく事もあるであろう。
これが己を捨てて人に随うの道であって、百事行はれがたい時に立ちいたっても、行うことができる道である。
私が若いときに初めて家を持った時、一枚の鍬(くわ)を損ってしまった。
そこで隣の家に行って『鍬を貸していただきたい』と言った。
隣の年寄りの主が言った。
『今からこの畑を耕して菜種をまこうとするところだ。
まき終らなければ、貸せない』と言った。
私は自分の家に帰っても、別に行うべき仕事もなかった。
『わたしがこの畑を耕やして進ぜましょう』といって耕し、『菜の種を出しなさい、ついでにまいて進ぜましょう』と言って、耕し、かつ、種をまいて、後に鍬を借りた事があった。
隣の主人は言った。
『鍬に限らず何でもさしつかえる事があったら、遠慮なく申しでなさい。必ず用だていたしましょう』と言われた事があった。
このようにすれば、百事さしつかえがないものである。
お前が国(小田原)に帰って、新たに一家を持てば、必ずこの心得がなければならない。
お前はまだ壮年である。夜もすがら寝なくても、さわりはあるまい。
夜、寝るひまを励し、勤めて、草鞋(わらじ)一足あるいは二足を作って、 明くる日に開拓場に持っていって、草鞋の切れ破れた者に与えなさい。
草鞋を受けた人がお礼しなくとも、もともと寝るひまに作ったものであるからそれだけのことである。
お礼を言う人があれば、それだけの徳を積んだことになる。
また一銭半銭をもって応ずる者があればこれもまたそれだけの利益といえる。
よくこの理を心に銘じて、連日怠らなければ、どうして志が貫かれない理があろうか、
何事か成らない理があろうか。
私が幼少の時の勤めもこのほかにはない。肝に銘じて忘れてはならない。
またレンタル料を出して、さしつかえる物品を用だてることをはなはだ損だいう人があるが、そうではない。
それは物が足っている人の上の事である。
新たに一家を持つ時は、百事にさしつかえがある。皆レンタルして用だてればよい。
世にレンタル料ほど便利な物はない、かつ安い物はない。
決してレンタル料を高い物、損な物だと思ってはならない。

【21】  年若きもの数名居れり。
翁諭して曰く、
世の中の人を見よ、一銭の柿を買ふにも、 二銭の梨子(なし)を買ふにも、 真頭(しんとう)の 真直(ますぐ)なる 瑕(きづ)のなきを撰(よ)りて取るにあらずや。
又茶碗を一つ買ふにも、色の好き形の宜(よ)きを撰(よ)り撫(なで)て見、 鳴(な)らして音を聞き、撰りに撰りてとるなり。
世人皆然り、柿や梨子は買ふといへども、悪(あ)しくば捨(す)てて可なり、夫(そ)れさへも此(こ)の如し。
然れば人に撰(えら)ばれて、聟となり嫁となる者、或(あるひ)は仕官して立身を願ふ者、己が身に瑕ありては人の取らぬは勿論の事、その瑕多き身を以て、上に得られねば、上に眼がなひなどゝ、上を悪(あし)くいひ、人を咎(とが)むるは大なる間違ひなり。
みづからかへり見よ、必ずおのが身に瑕ある故なるべし。
夫(そ)れ人身の瑕とは何ぞ。
譬(たとへ)ば酒が好(すき)だとか、酒の上が悪いとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、 惰弱だとか、無芸(むげい)だとか、何か一つ二つの瑕あるべし。
買手のなき勿論なり。
是を柿梨子に譬(たとふ)れば真頭(しんとう)が曲りて渋(しぶ)そふに見ゆるに同じ、されば人の買(か)はぬも無理ならず、能(よ)く勘考すべきなり。
古語に、内に誠あれば必ず外に顕(あら)はるゝ、とあり、瑕なくして真頭の真直(ます)ぐなる柿の売れぬと云ふ事、あるべからず、夫(そ)れ何ほど草深き中にても薯蕷(やまいも)があれば、人が直(す)ぐに見付て捨ててはおかず、又泥深き水中に潜伏する鰻・鰌(どぜう)も、必ず人の見付けて捕へる世の中なり。
されば内に誠有って、外にあらはれぬ道理あるべからず。
此の道理を能く心得、身に瑕のなき様に心がくべし。

【21】年が若い者が数名いた。尊徳先生はおっしゃった。
「世の中の人を見なさい。一銭の柿を買うのにも、2銭の梨を買うのにも、芯頭がまっすぐな、キズのないものをよって取るではないか。また茶碗を一つ買うにも、色がよい、形のよいものをよって、なでてみて、鳴らして音を聞いてみて、よりによってとっているではないか。世の人は皆このとおりだ。
柿や梨は買うといっても、悪ければ捨ててもいいはずだ、それでさえもこのようである。
そうであれば人にえらばれて、聟となったり、嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者は、
自分の身に瑕(きず)があっては、人が取らないのは勿論の事ではないか、
その瑕(きず)の多い身でいながら、上に評価されなければ、上が人を見る眼がないなどと、上を悪く言い、人を咎めたりするのは大きな間違いである。自ら省みて見よ、必ず自分の身に瑕(きず)があるためである。
人身の瑕とは何か。たとえば酒が好きとか、酒の上の行いが悪いとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとか、何か一つ二つの瑕(きず)があるはずだ。買手のないのも当然ではないか。
これを柿や梨に譬えるならば芯頭が曲って渋そうに見えるのと同じだ。そうであれば人の買わないのも無理はない。よく考えなければならない。
古語(大学)に、『内に誠あれば必ず外に顕(あら)はる』(「誠於中形於外」)とある。
瑕(きず)がなくて芯頭が真直ぐな柿が売れないという事はあるはずがない。どれほど草深い中でもヤマイモがあれば、人がすぐに見つけて捨ててはおかない。また、泥深い水中に潜伏するウナギやドジョウも、必ず人が見つけて捕える世の中である。そうであれば内に誠有って、外にあらはれない道理があるはずがない。
この道理をよく心得えて、自分の身に瑕(きず)のないように心がけるべきである。

【22】翁曰く、
山芋掘は、山芋の蔓(つる)を見て芋の善悪(よしあし)を知り、
鰻(うなぎ)つりは、泥土(どろつち)の様子を見て、鰻の居る居らざるを知り、
良農は草の色を見て土の肥痩(こへやせ)を知る、みな同じ。
所謂(いはゆる)至誠神の如しと云ふ物にして、永年刻苦経験して、発明するものなり、
技芸に此の事多し、侮るべからず。 

【22】尊徳先生がおっしゃった。
「山芋掘は、山芋のつるを見て芋の善し悪しを知る。
鰻釣りは、ドロ土の様子を見て、鰻がいるかいないかを知る。
良農は草の色を見て、土が肥えているか、やせているかを知る、みな同じである。
これが「至誠神の如し」というものであって、永年刻苦経験して、初めてわかるものである。
技芸にこの事が多い、侮ってはならない。 

☆「至誠神の如し」とは、「中庸」にある言葉である。尊徳先生は、「大学」「中庸」をよく引用された。そして実践という砥石にかけてそれらに説かれた言葉の正しさを体感された。
語録【279】さざえのカラやあわびの貝はいたって堅いものだ。それが成長して大きくなっていくのは不思議といえる。また、山芋はいたって柔らかいものだ。それが堅い土をわけて伸びるのも不思議といえる。
これはほかでもない。あるいは海底のアクタを食らい、あるいは土中の水気を吸って、食を求めるために誠を尽くすからこそ、どちらもよく成長するのである。人が事をなすのも同様だ。
他の力を願い求めず、実行して怠らなければその事は必ず成就する。
これを「至誠神の如し」というのである。もし始めから必ず成功すると予期していると、怠惰が生じてそのことはついには成就しない。これは自然の道理である。

【23】翁(をう)多田某に謂(い)ひて曰(いわ)く、
我(われ)東照神君の御遺訓と云ふ物を見しに、
曰く
我れ敵国に生れて、只(ただ)父祖の仇(あだ)を報ぜん事の願ひのみなりき、 
祐誉(ゆうよ)が教(をし)へに依(よ)りて、国を安んじ民を救ふの、天理なる事を知りてより、今日に至れり、
子孫長く此の志を継ぐべし、若し相背くに於ては、我が子孫にあらず、民は是れ国の本なればなりとあり。
然れば其の許(もと)が、遺言すべき処は、
我過ちて新金銀引替御用を勤め、自然増長して驕奢に流れ、御用の種金を遣(つか)ひ込み大借に陥り、身代破滅に及ぶべき処、報徳の方法に因(よ)つて、莫大の恩恵を受け、 此(こ)の如く安穏に、相続する事を得たり、
此の報恩には、子孫代々驕奢安逸を厳に禁じ、節倹を尽し身代の半(なかば)を推譲(おしゆず)り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富ます事を勤むべし、
若し此の遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、
速に放逐すべし、婿嫁は速かに離縁すべし、
我が家株(いへかぶ)田畑は、本来報徳法方法の物なれば也
と子孫に遺物せば、神君の思召と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり、
其の子孫、徳川氏の二代公三代公の如く、
その遺言を守らば、其の功業量るべからず、
汝が家の繁昌長久も、又限りあるべからず、
能々(よくよく)思考せよ。

【23】尊徳先生が、多田氏にこうおっしゃったことがあった。
「私は、徳川家康公の御遺訓という物を拝見したことがある。
それにはこうあった。
『私は、敵国(今川家)に生れて、ただ父祖のかたきを報いようという願いだけ持っていた。しかし、祐誉上人の教えによって、国を安らかにし民を救うことが天理である事を知ってから、今日に至っている。わが子孫は長くこの国を安らかに、民を救おうという私の志を継がなくてはならない。
もしこれに背くような者は、私の子孫ではない。民はこれ国の本であるからである。』
そうであれば、あなたが、子孫に遺言すべきことは、
『私は過って、新金銀引替御用を勤めて、自然に増長して贅沢になっていき、御用の種金を使い込んで、大きな借金をかかえて、破滅寸前のところを、報徳の方法によって、莫大な恩恵を受けて、このように安らかに相続することができた。この恩に報いるには、子孫代々贅沢や怠惰を厳に禁じて、節倹を尽して、収入の半分を推し譲って、世の中の益になるよう心がけ、貧乏人を救い、村里を豊かにする事を勤めなくてはならない。
もしこの遺言に背く者は、私の子孫であっても、子孫ではない。
すくに放逐しなくてはならない、婿や嫁はすぐに離縁しなければならない。
私の家や田畑は、本来、報徳の方法によってあるものであるからである。』
と子孫に遺言するならば、神君(徳川家康公)の思し召しと同一で、孝であり、忠である。仁であり、義である。
その子孫も、徳川家の二代公三代公のように、この遺言を守るならば、その功業は量ることができないだろう。あなたの家の繁昌と長久も、また限りがないであろう。よくよく考えなさい。

【24】  翁曰く、
農にても商にても、富家の子弟は、業として勤むべき事なし、
貧家の者は活計の為に、勤めざるを得ず、且(かつ)富を願ふが故に、自ら勉強す、富家の子弟は、譬へば山の絶頂に居るが如く、登るべき処なく、前後左右皆(みな)眼下なり、
是に依つて分外の願を起し、士の真似をし、大名の真似をし、増長に増長して、終(つひ)に滅亡す、天下の富者皆然り、爰(ここ)に長く富貴を維持し、富貴を保つべきは、只我道推譲の教へあるのみ。
富家の子弟、此の推譲の道を踏まざれば、千百万の金ありといへども、馬糞茸と何ぞ異らん、夫れ馬糞茸は季候に依つて生じ、幾程もなく腐廃し、世上の用にならず、只徒らに生じて、徒らに滅するのみ、世に富家と呼ばるゝ者にして、如斯(このごとく)なる、豈(あに)惜しき事ならずや。

【24】尊徳先生はおっしゃった。
農業でも商業でも、富んだ家の子弟は、仕事として勤め励む必要がない。
貧しい家の者は生計のために、勤めざるを得ない。
そして富を願うために、自分から精励して勤める。
富んだ家の子弟は、たとえば山の絶頂にいるようで、登るべきところがなく、前後左右皆眼下である。
このため分外の願を起こし、武士の真似をし、大名の真似をし、増長に増長して、ついには滅亡してしまう。
天下の富んだ者は皆このとおりである。
ここにおいて長く富貴を維持し、富貴を保つためには、ただ私の道、推譲の教えがあるだけである。
富んだ家の子弟が、この推譲の道を踏まなければ、千百万の金があっても、馬糞の上に生えたキノコと何が異なろう。
馬糞茸は季候によって生じ、すぐに腐敗し、世の中の用にならならい。
ただいたずらに生じて、いたずらに滅するだけである。
世に富家と呼ばれる者で、このようになってしまうのは惜しい事ではないか。

【25】翁曰く、
百事決定(けつぢやう)と注意とを肝要とす、
如何(なん)となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて、事はなる物なり。
小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉(ことごと)く破る。
夫(そ)れ1年は12ヶ月也、然して月々に米実法(みの)るにあらず、
只(たゞ)初冬一ヶ月のみ米実法(みの)りて、12月米を喰(くら)ふは、人々しか決定して、しか注意するによる。
是によりて是を見れば、2年に1度、3年に1度実法(みの)るとも、人々其の通り決定して注意せば、決して差支(さしつか)あるべからず。
凡(およ)そ物の不足は、皆覚悟せざる処に出(いづ)るなり、されば人々平日の暮し方、大凡(おおよそ)此の位の事にすれば、年末に至て余るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし。
是に心付(づか)ず、うかうかと暮して、大晦日に至り始(はじめ)て驚くは、愚の至り不注意の極(きわま)りなり。
ある飯焚(めしたき)女が曰(いわ)く、一日に一度づゝ米櫃の米をかき平均(なら)して見る時は、米の俄(にはか)に不足すると云ふ事、決してなしといへり、是(こ)れ飯焚女のよき注意なり、此(こ)の米櫃をならして見るは、則(すなわ)ち一家の店卸(たなおろ)しに同じ、能々(よくよく)決定して注意すべし。 

【25】尊徳先生がおっしゃった。
百事 決定(けっじょう)と注意とが大事だ。
なぜかといえば、何事であっても、百事 決定と注意とによって、事は成就するのだ。
小さい事であっても、決定する事がなく、注意する事がないならば、百事ことごとく破れてしまう。
1年は12ヶ月である。
そして月々に米が実るのではない。
ただ秋の一ヶ月だけ米は実って、12月米を食べているのは、人々がそのように決定して、そうできるよう注意しているからである。
これによって見るならば、たとえ米が2年に1度、3年に1度実るものであっても、人々がそのとおり決定して注意するならば、決してさしつかるようなことなないのだ。
およそ物が不足するということは、皆、そこのところをしっかりと理解していないところにあるのだ。
そうであれば人々の平日の暮し方も、おおよそこのくらいの事にすれば、年末になれば余るだろうとか、不足するであろうか、知れない事はないであろう。
これに心を使わず、うかうかと暮して、大晦日になって、はじめて驚くのは、愚の至り、不注意のきわみである。
ある飯たき女がいうのに、
一日に一度ずつ米びつの米をかきならしてみると、米が急に不足するといふ事は決してなしと。
これは飯たき女のよい注意である。
この米びつをならしてみるというのは、すなわち一家のたなおろしと同じである。
よくよく決定して注意すべきである。

【26】翁曰く、善悪の論甚(はなはだ)むづかし。
本来を論ずれば、善も無し悪もなし。
善と云つて分つ故に、悪と云ふ物出来るなり。
元(もと)人身の私(わたくし)より成れる物にて、人道上の物なり。
故に人なければ善悪なし、人ありて後に善悪はある也。
故に人は荒蕪を開くを善とし、田畑を荒すを悪となせども、猪鹿(ゐしか)の方にては、 開拓を悪とし荒すを善とするなるべし。
世法盗(ぬすみ)を悪とすれども、盗中間(なかま)にては、盗を善とし是を制する者を悪とするならん。
然れば、如何なる物是れ善ぞ、如何なる物是れ悪ぞ、此の理明弁し難し。
此の理の尤も見安きは遠近なり。
遠近と云ふも善悪と云ふも理は同じ、譬へば杭二本を作り、一本には遠(とほし)と記し一本には近(ちかし)と記し、此の二本を渡して、此の杭を汝が身より遠き所と近き所と、二所に立つべしと云ひ付つくる時は、速かに分る也。
予が歌に「見渡せば遠き近きはなかりけりおのれおのれが住処(すみか)にぞある」と、此の歌善きもあしきもなかりけりといふ時は、人身に切なる故に分らず、遠近は人身に切ならざるが故によく分る也。
工事に曲直を望むも、余り目に近過る時は見えぬ物也、さりとて遠過ても又眼力及ばぬ物なり。
古語に、遠山(とほきやま)木なし、遠海(とほきうみ)波なし、といへるが如し。
故に我が身に疎き遠近に移して諭す也。
夫れ遠近は己が居処(ゐどころ)先づ定りて後に遠近ある也。
居処定らざれば遠近必ずなし、
大坂遠しといはゞ関東の人なるべし、
関東遠しといはゞ上方の人なるべし、
禍福吉凶是非得失皆是れに同じ、
禍福も一つなり、善悪も一つなり、得失も一つ也、
元一つなる物の半(なかば)を善とすれば、其の半は必ず悪也、
然るに其の半に悪なからむ事を願ふ、
是れ成難き事を願ふなり、
夫れ人生れたるを喜べば、死の悲しみは随つて離れず、
咲きたる花の必ずちるに同じ、生じたる草の必ず枯るゝにおなじ。
涅槃経に此の譬ヘあり、
或人の家に容貌(かほかたち)美麗(うるはしく) 端正なる婦人 入り来る、
主人如何なる御人ぞと問ふ、
婦人答へて曰く、
我は功徳天なり、我が至る所、吉祥福徳無量なり、
主人悦んで請じ入る、
婦人曰く、
我に随従の婦一人あり、必ず跡より来る、是をも請ずべしと、
主人諾す、
時に一女来る、容貌(かほかたち)醜陋(しうろう)にして至て見悪(みにく)し、
如何なる人ぞと問ふ、
此の女答へて曰、
我は黒闇天なり、
我至る処、不祥災害ある無限なりと、
主人是を聞き大に怒り、
速かに帰り去れといへば、
此の女曰く、
前に来れる功徳天は我が姉なり、
暫くも離るる事あたはず、 姉を止めば我をも止めよ、我をいださば姉をも出せと云ふ、
主人暫く考へて、二人ともに出しやりければ、二人連れ立ちて出で行きけり、と云事ありと聞けり、
是れ生者必滅会者定離の譬へなり、
死生は勿論、禍福吉凶損益得失皆同じ、
元禍と福と同体にして一円なり、
吉と凶と兄弟にして一円也、
百事皆同じ、
只今も其の通り、
通勤する時は近くてよいといひ、火事だと云ふと遠くてよかりしと云ふ也、是を以てしるべし。

【26】尊徳先生はおっしゃた。
「善悪の論は大変難しい。
本来を論ずれば、善も無く悪も無い。
善といって分けるから、悪というものができるのだ。
元々、人間の身の私(わたくし)から成りたっているもので、人道上のものである。
だから人間がなければ善悪というものはない。
人間があって、その後に善悪はあるのだ。
だから人は荒地を開くのを善とし、田畑を荒すを悪とするけれども
いのししや鹿のほうからすれば、開拓を悪とし荒すのを善とするであろう。
世間では、盗みを悪とするが、盗っと仲間では、盗みを善としこれを制する者を悪とするであろう。
そうであれば、どのようなものが善であろうか、どのようなものが悪であろうか、この理は明確には理解しがたい。
この理が最も見やすいのは遠近である。
遠近というも善悪というも理は同じである。
たとえば杭を二本を作って、一本には遠いと書き、一本には近いと書き、この二本を人に渡して、この杭をあなたの遠い所と近い所と、二箇所に立てなさいと言いつけた時は、すぐに分る。
わたしの歌に
「見渡せば遠き近きはなかりけり
 おのれおのれが住処(すみか)にぞある」
と詠んだ。
この歌、善きも悪しきもなかりけりという時は、人の身には切実であるから分らない、遠近は人の身に切実でないからよく分るのである。
工事に曲直を望んでも、あまり目に近すぎる時は見えないものである。
だからといって遠すぎても。また眼力が及ばないものだ。
古語に、
遠い山木がない、遠い海には波がない、というようなものだ。
だから自分の身にうとい遠近に移してさとすのである。
遠近は自分の居どころが先ず定って後に遠近はある。
居どころが定らなければ、遠近は必ずない。
大坂は遠いというのは、関東の人であろう。
関東は遠いというのは。関西の人であろう。
禍福・吉凶・是非・得失みなことと同じだ。
禍福も一つである、善悪も一つである、得失も一つである。
元々一つであるもの半ばを善とすれば、その半は必ず悪である。
それなのにその半ばに悪がない事を願う。
これは成就しがたい事を願っているのだ。
人は生れたのを喜べば、死が来る悲しみはこれに随って離れない。
咲いた花は必ず散るのと同じだ。
生じた草は必ず枯れるのと同じだ。
涅槃経にこの譬えがある。
ある人の家に顔かたちうるわしい端正な婦人が入ってきた。
主人がどういうお人ですかと質問した。
婦人は答えて言った。
私は功徳天である、私が来る所は、吉祥福徳が無量です。
主人は悦んで請じ入れた。
婦人は言った。私に随従する婦人が一人あって、必ず後から来ます、これをも請じ入れてくださいと。
主人は応諾した。
すぐに一人の女が来た。容貌が醜悪で大変醜い。
どういう人ですかと主人が質問した。
この女は答へた。
私は黒闇天である。私が来るところは、不祥災害が無限に起こると。
主人はこれを聞いて大変怒って、すぐい帰り去れと言うと、
この女は言った。
前に来た功徳天は私の姉である。暫くも離れる事はできない。
姉をとめれば私もとめなければならない。
私を出せば姉も出さなければならなと言う。
主人は暫く考えて、二人ともに出すと、二人連れだって出ていった、
という事があったと聞いている。
これは生者必滅、会者定離の譬えである。
死生はもちろん、禍福・吉凶・損益・得失皆同じだ。
元々禍と福と同体であって一円である。吉と凶と兄弟であって一円である。
百事皆同じである、ただいまもこのとおりだ。
通勤する時は近くてよいといい、火事だというと遠くでよかったという。
これをもって知るがよい。」

【27】禍福二つあるにあらず、元来一つなり。
近く譬ふれば、庖丁を以て茄子(なす)を切り、大根を切る時は、福なり、
若(もし)指を切る時は、 禍(わざはひ)なり、
只(たゞ)柄(え)を持て物を切ると、誤(あやま)つて指を切るとの違(たが)ひのみ、夫(そ)れ柄のみありて刃無ければ、庖丁にあらず、刃ありて柄無ければ、又用をなさず、柄あり刃ありて庖丁なり、柄あり刃あるは庖丁の常なり、然して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす、
されば禍福と云ふも私物(しぶつ)にあらずや、
水もまた然り、畦(あぜ)を立(た)てて引(ひ)けば、田地を肥(こや)して福なり、畦なくして引(ひ)くときは、肥(こゑ)土流れて田地やせ、其の禍たるや云ふべからず、
只畦有ると畦なきとの違ひのみ、元同一水にして、畦あれば福(さいはひ)となり、畦なければ禍(わざわひ)となる、
富は人の欲する処なり、
然りといへども、己が爲にするときは禍是に随ひ、世の為にする時は福是に随ふ、財宝も又然り、積(つ)んで散(さん)ずれば福となり、積んで散ぜざれば禍となる、是人々知らずんばあるべからざる道理なり。

【27】禍福は二つあるのではない。元来一つである。
近く譬えれば、包丁をもってナスを切ったり、大根を切る時は、福である。
もし包丁をもって指を切る時は、 禍(わざわい)である。
ただ包丁の柄を持って物を切るのと、過って指を切るのとの違いである。
包丁に柄だけあって刃が無ければ、包丁ではない。
歯があって柄が無ければ、また用をなさない。
柄があり刃があって包丁である。
柄があり、刃があるのが包丁の常である。
それで指を切る時には禍とし、菜を切る時は福(さいわい)とする。
そうであれば禍福というのも私ごとではないか。
水もまたそうである。
畦(あぜ)をたてて水を引けば、田地をこやして福(さいわい)である。
畦がなくて水を引くときは、肥えた土が流れて、田の地はやせる、その禍であることはいうまでもない。
ただ畦が有るのと畦がないのとの違いだけである。
元は同一の水であって、畦があれば福(さいはい)となり、畦がなければ禍(わざわい)となる、富は人の欲するところである。
しかしながら、自分のためにするときは禍がこれにしたがい、世のためにする時は福がこれにしたがう。 
財宝もまた同じである。
積んで人のため世のために散ずるならば福となり、積んで散じなければ禍となる。
このことは人々が知らなければならない道理である。

【28】翁曰く、
何事にも変通といふ事あり、しらずんばあるべからず、則ち権道(けんだう)なり、
夫(そ)れ難きを先にするは、聖人の教へなれども、是は先づ仕事を先にして、而して後に賃金を取れと云ふが如き教へなり、
爰(ここ)に農家病人等ありて、耕し耘(くさぎ)り手後れなどの時、
草多き処を先にするは世上の常なれど、右様(みぎやう)の時に限りて、草少く至つて手易き畑(はた)より手入して、至て草多き処は、最後にすべし、
是尤も大切の事なり。
至て草多く手重(ておも)の処を先にする時は、大いに手間取れ、其の間に草少き畑も、皆一面草になりて、何(いづ)れも手後れになる物なれば、
草多く手重き畑は、五畝(せ)や八畝は荒(あら)すとも侭(まゝ)よと覚悟して暫く捨て置き、
草少く手軽なる処より片付くべし。
しかせずして手重き処に掛り、時日を費す時は、僅の畝歩の為に、総体の田畑、順々手入れ後れて、大なる損となるなり、
国家を興復するも又此の理なり、しらずんばあるべからず。
又山林を開拓するに、大なる木の根は、其侭差し置て、回りを切り開くべし、而して三四年を経れば、木の根自ら朽ちて力を入れずして取るゝなり、
是を開拓の時一時に掘取らんとする時は労して功少し、百事その如し、
村里を興復せんとすれば、必ず抗する者あり、是を処する又此理なり、
決して拘(かゝ)はるべからず障(さは)るべからず、度外に置(お)きてわが勤を励むべし。

【28】尊徳先生はおっしゃった。
何事にも変通という事がある。
知っておかなくてはならない。
すなわち権道(けんどう:正しいとはいえないが目的達成のために便宜的にとる手段。方便)である。
困難であることを先にすることは、聖人の教えであるけれども、これはまず仕事を先にして、それから後に賃金を取れというような教えである。
ここに農家に病人等があって、耕し草刈りが手後れになった場合、
草が多いところを先にすることが世上の常であるけれども、
このような時に限っては、草が少なく、かえって手をつけやすい畑から手入れをして、草が多いところは、最後にするべきである。
これが最も大切な事である。
いたって草が多く手重のところを先にする時には、大変手間取ってしまい、その間に草の少ない畑も、皆一面草になって、どちらも手後れになるものであるから、
草が多く手重い畑は、五畝(せ)や八畝(せ)は荒してしまっても「ままよ」と覚悟をして暫く捨ておいておき、草が少なく手軽なところからかたづけるべきである。
そうしないで手のかかるところにかかって、時日を費やす時は、僅かの畝歩のために、全体の田畑が、順々に手入れがおくれて、大変な損となるのである。
国家を復興するのもまたこの理である。知っていなくてはならない。
また山林を開拓するのに、大きな木の根は、そのまま差し置いて、回りを切り開くがよい。
そして3,4年を経るならば、木の根が自ら朽ちてしまい力を入れないで取れるものである。
これを開拓の時に一時に掘り取らんとする時は労多くして功は少ない、百事そのようである。
村里を復興しようとすれば、必ず抵抗する者がある。
これを処する、またこの理である。
決してかかわってはいけない。障(さは)ってはいけない。
度外において自分の勤めを励むがよい。  

【29】翁曰く、
今日は則ち冬至なり、
夜の長き則ち天命なり、
夜の長きを憂ひて、短くせんと欲すとも、如何(いかに)ともすべなし、
是を天と云ふ、
而して此の行灯(あんどん)の皿に、油の一杯ある、是も又天命なり、
此一皿の油、此夜の長きを照すにたらず、
是れ又如何ともすべからず、
共に天命なれども、人事を以て、灯心を細くする時は、夜半(やは)にして消ゆべき灯も、暁に達すべし、
是れ人事の尽さゞるべからざる所以なり。
譬ば伊勢詣でする者東京(えど)より伊勢まで、まづ百里として路用拾円なれば、上下廿日として、一日五十銭に当る、是れ則ち天命なり、
然るを一日に六十銭づゝ遣(つか)ふ時は、二円の不足を生ず、
是を四十銭づゝ遣ふ時は二円の有余を生ず、
是れ人事を以て天命を伸縮すべき道理の譬へ也、
夫れ此の世界は自転運動の世界なれば、決して一所に止らず、
人事の勤惰に仍つて、天命も伸縮すべし、
たとへば今朝焚くべき薪なきは、是れ天命なれども、明朝取り来れば則ちあり、
今水桶に水の無きも、則ち差当りて天命なり、
されども汲み来れば則ちあり、
百事此の道理なり。

【29】尊徳先生はおっしゃった。
「今日は冬至である。
夜の長いのはすなわち天命である。
夜の長いことを憂えて、短くしようと欲しても、どうしよもない。
これを天という。
この行灯(あんどん)の皿に、油が一杯ある、これもまた天命である。
この一皿の油でこの夜の長いのを照すに足りない。
これもまたどうしようもない。
ともに天命であるけれども、人事をもって、灯心を細くする時には、夜中にして消えるべき灯火も、暁まで達するであろう。
これが人事をつくさなければならない理由である。
たとえば伊勢参りをする者が江戸から伊勢まで、まづ100里として路用が10円とすれば、生き返り20日として、一日50銭に当る、これがすなわち天命である。
それなのに一日に60銭ずつ使う時は、2円の不足を生ずる。
これを40銭ずつ使う時は2円の余りが生ずる。
これ人事を以て天命を伸縮するべき道理のたとえである。
この世界は自転運動の世界であるから、決して一所に止まらない。
人事の勤労と怠惰によって、天命も伸縮することができる。
たとえば今朝焚くたきぎがないのは、天命であるけれども、明日の朝取って来れば、すなわちある。
今、水桶に水が無いのも、すなわちさし当たって天命である。
そうであっても汲んでくればすなわちある。
百事この道理である。

【30】翁(をう)常陸国(ひたちのくに)青木村のために、力を尽されし事は、予が兄大沢勇助が、烏山藩の菅谷某と謀(はか)りて、起草し、小田某に托し、漢文にせし、青木村興復起事の通りなれば、今贅(ぜい)せず。
扠(さて)年を経て翁其近村灰塚(はいつか)村の、興復方法を扱はれし時、青木村、旧年の報恩の爲にとて、冥加(みやうが)人足と唱へ、毎戸一人づゝ、無賃にて勤む、
翁是を検(けん)して、後に曰く、
今日来り勤むる処の人夫、過半二三男の輩(ともがら)にして、我が往年厚く撫育せし者にあらず、
是れ表に報恩の道を飾るといへども、内情如何(いかん)を知るべからず、
されば我此の冥加人足を出(だ)せしを悦ばずと。
青木村地頭の用人某、是を聞きて我能(よく)説諭せんと云ふ、
翁是を止(と)めて曰く、
是れ道にあらず、縦令(たとひ)内情如何(いかん)にありとも、彼旧恩を報いん爲とて、無賃にて数十人の人夫を出せり、
内情の如何(いかん)を置いて、称せずばあるべからず、
且(かつ)薄(うすき)に応ずるには厚(あつき)を以てすべし、
是れ則ち道なりとて人夫を招き、旧恩の冥加(みやうが)として、遠路出で来り、無賃にて我が業を助くる、其の奇特(きとく)を懇々賞し、且(かつ)謝し過分の賃金を投与して、帰村を命ぜらる、
一日を隔(へだ)てて村民老若を分たず、皆未明より出で来て、終日休せずして働き賃金を辞して去る、
翁又金若干(そこばく)を贈られたり。

【30】尊徳先生が、常陸国(ひたちのくに:茨城県)の青木村のために、力を尽された事は、私の兄、大沢勇助が、烏山藩の菅谷八郎右衛門とはかって起草し、小田某に依頼して漢文にした「青木村興復起事」の通りであるから、今ここで繰り返さない。
さて年を経て尊徳先生がその近村の灰塚(はいつか)村の復興を行われた時に、
青木村は、旧年の報恩のためといって、冥加(みやうが:お礼)人足といって、毎戸一人ずつ無賃で勤労しにやってきた。
尊徳先生は、これらの人達の働きぶりを見て、後に言われた。
「今日来て勤めるところの人夫は、ほとんどが二三男の者であって、私がその当時厚く世話してやった者たちではない。
これは表に報恩の道を飾ってはいるが、その内情はどうは知ることができない。
そうであれば私はこの冥加人足を出してきたことを喜ばない。」と。
青木村の地頭の役人がこれを聞いて
「私がよく説諭しておきましょう。」と言った。
尊徳先生は、これをとめて言われた。
「これ(心から報恩のために尽力するよう説諭すること)は道ではない。
たとえ、内情はどうであろうとも、旧恩を報いるためと称して、無賃で数十人の人夫を出してきたのだ。
内情がどうかをおいて、賞賛しなくてはならない。
かつ薄きに応ずるには厚きをもってしなければならない。
これがすなわち道である。 」
と言って、青木村の人夫を招いて、
旧恩のお礼として、遠路出て来て無賃にて私の事業を助ける、大変素晴らしいことだと懇々と賞賛して、かつ感謝し、過分の賃金を分かち与えて、帰村を命じられた。
一日を隔てて青木村の村民は老若を分たず、皆未明から出て来て、一日中休まないで働いて賃金を辞退して帰っていった。
尊徳先生はまたいくらかのお金を青木村に贈られた。

【31】翁曰く、
一言(ごん)を聞きても人の勤惰は分る者なり、
東京(えど)は水さへ銭が出ると云ふは、懶惰(らんだ)者なり、
水を売りても銭が取れるといふは勉強人なり、
夜は未だ9時なるに10時だと云ふ者は、寝たがる奴(やつ)なり、
未だ9時前なりと云ふは、勉強心のある奴なり、
すべての事、下に目を付け、下に比較(ひかく)する者は、必ず下り向の懶惰者なり、
たとへば碁を打つて遊ぶは酒を飲むよりよろし、
酒を呑むは博奕よりよろしと云ふが如し、
上に目を付け上に比較する者は、必ず上(あが)り向なり、
古語に、一言以て知(ち)とし一言以て不知とす、とあり、うべなるかな。

<論語子張第十九>
陳子禽(ちんしきん)、子貢(しこう)に謂いて曰く、
子は恭をなすなり。
仲尼(ちゅうじ)はあに子よりも賢ならんや。
子貢曰く、
君子は一言(いちげん)、もって知となし、一言、もって不知となす。
言は慎(つつし)まざるべからざるなり。
夫子の及ぶべからざるや、なお天の階(かい)して升(のぼ)るべからざるがごときなり。
夫子にして邦家(ほうか)を得たらんには、いわゆる、これを立つればここに立ち、これを道(みちび)けばここに行き、これを綏(やす)んずればここに来(きた)り、これを動かせばここに和(やわ)らぐ。
その生(い)くるや栄(はえ)あり、その死するや哀(かな)しまる。
これをいかんぞそれ及(およ)ぶべけんや。

【31】尊徳先生がおっしゃった。
「一言を聞いてもその人の勤惰は分るものである。
江戸は水でさえ金を払わなくてはいけないと言う人は、怠け者である。
水を売っても金が取れるという人は勤め励む人である。
夜はまだ9時なのにもう10時だと言う者は、寝たがる人である。
まだ9時前だという人は、勉強心のある人である。
すべての事に、下に目を付けて、下に比較する者は、必ず下向きの怠け者である。
たとへば碁を打って遊ぶは酒を飲むよりまだよいと言って碁を打ったり、
酒を飲むのは博奕をするよりよいなどと自分に言い訳して酒を飲むようなものだ。
上に目を付けて上に比較する人は、必ず上向きの人である。
古語に、『一言以て知(ち)とし一言以て不知(ふち)とす』とある。
そのとおりである。

【32】翁曰く、
聖人も聖人にならむとて、聖人になりたるにはあらず、
日々夜々天理に随ひ人道を尽して行ふを、他より称して聖人といひしなり、
堯舜も一心不乱に、親に仕へ人を憐み、国の為に尽せしのみ、
然るを他より其の徳を称して聖人といへるなり、
諺に、聖人々々といふは誰(た)が事と思ひしに、おらが隣の丘(きう)が事か、といへる事あり、
誠にさる事なり。
我昔鳩ヶ谷駅を過し時、同駅にて不士講に名高き三志と云ふ者あれば尋ねしかば、三志といひては誰もしるものなし、
能々(よくよく)問ひ尋ねしかば、夫(それ)は横町の手習師匠の庄兵衛が事なるべし、といひし事ありき、
是におなじ。

【32】尊徳先生はおっしゃった。
「聖人も聖人になろうとして、聖人になったわけではない。
日々夜々天理に随って人の道を尽して行うのを、他人が称して聖人といったのである。
堯・舜(ぎょう・しゅん:古代中国の聖王)も一心不乱に、親につかえ、人を憐んで、国のためにつくしただけである。
それを他の人がその徳を讃えて聖人といったのである。
諺(ことわざ)に、聖人聖人というのは誰の事かと思ったら、おらが隣の家の丘(孔子の名前)が事か、ということがある。
本当にそういう事なのだ。
私が昔、鳩ヶ谷の宿場町を通った時、同町で不士講(ふじこう)で有名な三志という者を尋ねていったが、三志といっても誰も知る者がない。
よくよく問い尋ねてみれば、それは横町の手習師匠の庄兵衛が事であろう、といわれた事があった。
これと同じことだ。」



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