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報徳記巻之七【1】池田胤直先生に問ふ 

報徳記 巻之七 【1】池田胤直先生に面謁して治国の道を問ふ

于時(ときに)天保(てんぽう)十三壬(みずのへ)寅(とら)十一月池田(いけだ)胤(たね)直(なお)先生(せんせい)に面謁(めんえつ)を請(こ)ふ。先生(せんせい)辞(じ)するに、暇(いとま)なきを以(もつ)てす。後屡々(のちしばしば)来(きた)り請(こ)ふて止(や)まず。一日(いちにち)草野(くさの)と共(とも)に至(いた)る。先生(せんせい)始(はじ)めて面会(めんくわい)せり。池田(いけだ)某(ぼし)問(と)ふて曰(いは)く、主家(しゆか)艱難(かんなん)領中衰廃(りやうちゆうすいはい)の事実(じじつ)は草野(くさの)已(すで)に具陳(ぐちん)せり。故(ゆゑ)に今(いま)又贅(またぜい)せず。積年(せきねん)郡邑(ぐんゆふ)興(こう)復(ふく)の道(みち)を施行(しこう)すといへども、某(それがし)等(ら)不才(ふさい)にして処置(しよち)其(そ)の当(たう)を得(え)ず。改(かい)政(せい)以来(いらい)既(すで)に三十年(さんじゅうねん)にして猶(なほ)未(いま)だ其(そ)の益(えき)を見ず。徒(いたづ)らに費用(ひよう)多く(おほく)して功(こう)を成(な)す事(こと)能(あた)はず。何(なん)ぞや財(ざい)に限(かぎ)りありて窮民(きゆうみん)限(かぎ)りなく廃地(はいち)も亦夥多(またくわた)なり。限(かぎ)りあるの財(ざい)を以て限(かぎ)りなきの物(もの)に応(おう)ず。是(これ)上下力(じやうげちから)を尽すと雖も其の功(こう)を得(え)ざる所以(ゆゑん)なり。然(しか)るに先生野州(せんせいやしゅう)の民(たみ)を恵(めぐ)み廃地(はいち)を挙(あ)ぐるに仁沢(じんたく)余(あま)りありて、余力(よりよく)他邦(たほう)に及(およ)ぶもの如何(いか)なる良法(りやうほふ)かある。願(ねが)はくは至(し)教(けう)を得(え)て以(もつ)て累年(るいねん)の宿志(しゆくし)を遂(と)ぐることを得(え)ば、国(くに)の大幸(たいこう)何事(なにごと)か之(これ)に如(し)かんや。先生(せんせい)曰(いは)く、
今(いま)君(きみ)仁(じん)にして臣(しん)忠(ちゅう)あり。此(こ)の如く(ごとく)にして民(たみ)其(そ)の沢(さわ)に浴し再(さい)復(ふく)の時(とき)を得ざる者(もの)は他(ほか)なし。其(そ)の本源(ほんげん)立たざるが故(ゆゑ)なり。何をか本源(ほんげん)と云ふ。国(くに)の分度是也。分度(ぶんど)を立て堅く之(これ)を守る時(とき)は、生(せい)財(ざい)限り無く国民洽(あまね)く其(そ)の沢(たく)に浴(よく)し廃地悉(ことごと)く挙(あが)り必ず旧復(きうふく)せんこと疑ひなし。然(しか)らば則ち子(し)の言(げん)の如くにはあらず。貧民限りあり廃田限りあり財(ざい)に至りては限りなし。何ぞや人民必ず限りあり。廃地何万石と云ふとも亦必ず限りあり。独(ひと)り生財(せいざい)に至りては今年幾万の米粟(べいぞく)を生じ、来歳(らいさい)又幾万の米粟(べいぞく)を生じ幾千歳といへども生々(せいせい)窮(きはま)りなし。何ぞ限りありといふや。果(はた)して限りなきの財(ざい)を生じ、限りあるの民を恵み限りあるの廃田(はいでん)を開くこと、何の難(かた)きことか之あらん。然(しか)りといへども国一万石(ごく)を得るも其(そ)の用度(ようど)に充(あ)つるに足らず。十万を得れば十万余の費用を生ず。其(そ)の止まる所を知らざる時は縦令(たとひ)幾百万を得るといふも何ぞ有余(いうよ)を生ぜん。是(これ)衰貧艱難の本(もと)にあらずや。天下大小名(だいせうめう)其(そ)の天分の有る所に安んじ自然の分を守り、其(そ)の度を失はざる時は毎年に分外の余財を生じ、大いに国民を恵恤(けいじゆつ)すといへども、猶(なほ)余りありて尽ることあるべからず。譬(たとへ)ば江河(かうが)の水を汲みて、以て人の渇を治(ぢ)するが如し。渇者(かつしや)万億といへども水を得ること余りありて、江河(かうが)之が為に些(すこ)しも水の減少を見るべからず。本源ある者は夫(そ)れ斯(かく)の如し。今子(し)の財(ざい)に限りありといふものは、桶甕(をけかめ)の水を以て万民の渇(かつ)を救はんとするにあり。而(しか)して水の不足を憂ふるものは、其(そ)の器中(きちゆう)の水少(せう)にして尽(つ)くること速やかなるが故(ゆゑ)にあらずや。何ぞや万民を安撫(あんぶ)せんとせば、国中に仁沢の本源を設けざるや。本源一度立つ時は豈(あに)相馬の民のみ安からん。余沢(よたく)必ず他邦に及び尽(つ)くることあるべからず。蓋(けだ)し上世(じやうせい)我が朝を豊葦原と唱へ、未だ開けざる時は一円に葦原なりしを之を開かせ玉ふに異国の財(ざい)を借りて開き玉ふにあらず。一耜(し)一発(はつ)百千万を積みて以て此(こ)の如く開けたり。異国といへども我国(わがくに)の財(ざい)を借りて開きしにあらず。然らば則ち我が国は我が国の力を以て開き、異国は異国の力を以て開きしこと疑ひなし。此(こ)の時に当るや一の財(ざい)を得んと欲すと雖(いへど)も豈(あに)財宝あらん。惟(ただ)木を削りて耒耜(らいし)となし、一耜(し)一発(はつ)の丹誠を積み遂に原野悉(ことごと)く開け、数千年の後に至り金銀財宝を作為(さくゐ)せり。是に由(よつ)て之を観(み)れば、開田は先にして財宝は遥(はるか)に後なり。然るに今荒蕪を起こさんとして財(ざい)なきを憂ふることは、先後を察せざるが故(ゆゑ)なり。仮令(たとひ)極貧の国といへども上古(じやうこ)の原野に比せば其の豊かなること幾許(いくばく)ぞや。何ぞ廃地を起こすに財(ざい)なきを憂へんや。財(ざい)は開田に由(よ)つて生ずるものなり。今国の租税を調べ以前十年乃至(ないし)二十年も平均し、其(そ)の平均の数(すう)は自然の数(すう)にして天分の分度なり。此(こ)の度を以て出財を制し、艱難に素(そ)して恵民の仁政を行ひ、廃地を挙ぐる時は分度外の米粟(べいぞく)湧(わ)くが如く生殖す。之を分内に入れずして国家再復の用財となし、年々怠りなく仁沢(じんたく)を施す時は、如何(いか)なる貧民も安んじ幾万町の廃田(はいでん)も起こし尽す可(べ)し。是他(た)なし国家再興の本源を立つるが故(ゆゑ)なり。我が野州廃亡の地を挙げ隣国の荒蕪を開き余沢(よたく)他邦(たほう)の民に及べるもの皆此の本を立つるに由(よ)れり。子(し)の国積年撫恤(ぶじゆつ)挙廃(きよはい)の道を行ふといへども、用財を省(はぶ)いて以て其(そ)の用に充(あ)つ。此(こ)の故(ゆゑ)に財(ざい)に限りありて又費(つひえ)多しとなすなり。苟(いやし)くも我が行ふ所の本源を確立して、其(そ)の廃を挙(あ)ぐる時は国の永安を得る何の難(かた)きことか之あらんや と。
 両大夫(りやうたいふ)大(おほ)いに感動して曰(いは)く、君臣上下憂ひとなすところ、今先生の明教を聞くに及びて憂心斯(ここ)に氷解し、積年甚だ難(かた)しと為すもの今は甚だ易(やす)きに似たり。此(こ)の明教に由(よ)つて此(こ)の道を行ふ時は、先代以来の志願始めて達することを得んと云(い)ひて退き、具(つぶ)さに之を君に告ぐ。君公(くんこう)大(おほ)いに悦(よろこ)び国家中興の道依頼の手書(しゆしよ)を先生に贈り給ふ。両大夫(りやうたいふ)之を奉じ先生に至りて君命を演(の)べて手書(しゆしよ)を出せり。先生之を閲(けみ)して曰(いは)く、
君(きみ)仁にして臣忠なること是(こ)の如し。国の再興せんこと難(かた)からずと歎美(たんび)せり。後(のち)屡々(しばしば)両大夫(りやうたいふ)来(きた)りて先生の道を問ふ。先生治国安民の要道(やうだう)盛衰存亡の由(よ)つて起る所、万民撫恤(ぶじゆつ)の仁術を説解(せつかい)すること諄々然(じゆんじゆんぜん)として条理(でうり)あり、節目(せつもく)あり、燦然(さんぜん)として明らかなること白黒を弁(べん)ずるが如(ごと)し。大夫(たいふ)感激弥々(いよいよ)深くして胸臆(きょうおく)に了然(れうぜん)たり。



報徳記現代語訳  巻之七  【1】池田胤直先生に面謁して治国の道を問ふ

 時に天保13年11月池田胤直(たねなお)が先生に面会を求めた。先生は忙しいからと断られた。後しばしば来て求めて止まなかった。ある日草野と共に来た。先生は始めて面会した。池田はこう問うた。「主家が艱難し領中が衰廃している事実は草野がすでに詳しく述べました。ですから今また余計な事は申しません。多年郡村復興の道を施行しましたが、わたしたちは才能が足らず処置が適当でなく、政治を改革して以来すでに30年ですが、なおまだその益を見ません。いたずらに費用が多くかかって成功することができません。なぜかというと財には限りがありますが困窮した民は限りがなく廃地もまたおびただしいからです。限りある財で限りない物に応じる。これが上下が力を尽してもその功を得ない理由です。そうであるのに先生は野州の民を恵んで廃地を挙げるのに仁沢は余りがあって、余力は他国に及ぶというのはどのような良い方法があるのでしょうか。願わくばこの上もない教えを得て年来の志を遂げることができれば、これにまさる国の大きな幸いがありましょうか。」先生は言われた。
「今、君が仁であって臣が忠である。このようにして民がその恵みに浴して再復の時を得ないというのは他でもありません。その本源が立たないためです。何を本源というか。国の分度がこれです。分度を立てて堅くこれを守る時には、財が生ずること限りが無く、国民はあまねくその恵みに浴して廃地はことごとく挙って必ず旧復することは疑いありません。そうであればあなたの言葉のようではありません。貧民に限りがあり廃田に限りがありますが財に至っては限りがありません。なぜかといえば人民には必ず限りがあります。廃地が何万石あるといってもまた必ず限りがあります。ひとり財を生ずるに至っては今年幾万の米穀を生じ、来年また幾万の米穀を生じ幾千年であっても生々窮まりがありません。どうして限りがあるというのですか。はたして限りがない財を生じ、限りがある民を恵んで、限りがある廃田を開くことがどうして難しいことがありましょう。しかしながら一万石を得る国であってその必要な費用をみたすに足らない。10万を得れば10万余の費用を生ずる。その止まる所を知らない時はたとえ幾百万を得たとしてもどうして余りを生じましょう。これが衰貧・艱難の本ではないでしょうか。天下の大名・小名はその天分の有る所に安んじて自然の分を守って、その度を失わない時は毎年に分外の余財を生じて、大いに国民を恵み救ったとしても、なお余りがあって尽きることがあるはずがありません。たとえば大きな川の水を汲んできて、人の渇きをいやすようなものです。渇く者が万億あったとしても水を得るに余りあって、大きな川はこのため少しも水が減少することを見ることができません。本源のある者はそもそもこのようです。今、あなたが財に限りがあるというものは、桶・カメの水で万民の渇きを救おうとするからです。そして水の不足を憂えるものは、その器の中の水が少なくて尽きることがすぐであるからではないでしょうか。どうして万民を安らかにし恵もうとすれば、国中に仁恵の本源を設けないのですか。本源が一度立つ時にはどうして相馬の民だけ安らかでしょうか。余沢は必ず他国に及んで尽きることがあるはずがありません。思うにおおむかし我が国を豊葦原と唱え、まだ開けない時は一円に葦原でした。これを開かれるのに異国の財を借りて開いたのではありません。一鍬一鍬、百、千、万と積み重ねてこのように開けたのです。異国であっても我が国の財を借りて開いたのではありません。そうであれば我が国は我が国の力で開き、異国は異国の力で開いたことは疑いありません。この当初に当って一つの財を得ようと欲してもどうして財宝がありましょう。ただ木を削って鋤鍬とし、一鍬一鍬の丹誠を積んで遂に原野がことごとく開け、数千年の後にいたって金銀財宝を作り出したのです。これによってこれを観るならば、開田は先であって財宝ははるかに後です。そうであるに今荒地を起こそうとして財がないことを憂えることは、先後を察しないためです。たとえ極貧の国であっても上古の原野に比較すればどれほど豊かであるか知れません。どうして廃地を起こすのに財源がないことを憂えましょうか。財源は開田によって生ずるものです。今、国の租税を調べて10年ないし20年も平均します。その平均の数は自然の数であって天分の分度です。この分度をもって支出を制限し、艱難に素(そ)して民を恵む仁政を行い、廃地を挙げる時は分度外の米穀は湧くように生まれ増えます。これを分内に入れないで国家を再復する用財として、年々怠ることなく仁の恵みを施す時には、どのような貧民も安らかにし幾万町の廃田も起し尽すことができます。これは他でもありません。国家再興の本源を立てるためです。私が野州で廃亡した地を興し、隣国の荒地を開いて、その広大な徳が他領の民に及んだのは皆この本源を立てたためです。あなたの国は多年慈しみ憐れむ道を行い廃したものを興す道を行うのに、藩の経常費を省いてその費用にあてました。このために財源に限りがあってまた費用が多いとするのです。いやしくも私が行う所の本源を確立し、その廃を興す時には国の永安を得ることに何の難かしいことがありましょうか。」と。
両家老は大変に感動して言った。
「君臣上下が憂いとしたところが、今、先生の明らかな教えを聞くに及んで憂える心はここに氷解しました。多年はなはだ難しいとしていたものが、今ははなはだやさしく思えます。この明らかな教えによってこの道を行う時には、先代以来の志願が始めて達成することができましょう。」と言って退いて、詳しくこれを藩主に報告した。
藩主は大変に喜んで国家中興の道を依頼する手紙を先生に贈られた。両家老はこれを奉じて先生のところに来て君命をのべて手紙を出した。先生はこれ閲覧して言われた。
「このように君主は仁であって臣は忠である。国の再興することは難かしくない。」と嘆称された。後しばしば両家老は来って先生の道を問うた。先生は国を治め民を安らかにする要道、盛衰存亡のよって起る所、万民を慈しみ憐れむ仁の方法をじゅんじゅんと解説すること、物事の筋道があり、細目があり、さんぜんとして明らかであることは白黒を区別するようであった。家老はいよいよ感激が深く心の中にはっきりとした。


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