富国捷径by福住正兄訂正増補 富国捷径初篇権大講義福住政兄述 第1 結社を勧める辞 人のこの世に住して、安楽に今日を送るは、皆己の力ではござらぬ。 ことごとく神様と天子様との、厚い御恩頼でござる。 然るを自分の力で、世に住し、人の世話にはならぬ、などと思う。 これははなはだ了簡(りょうけん)違いでござる。 ゴウリの違い千里の誤りと申す。 これが間違いの始めでござる。 弓を射ても鉄砲を打つも、手元が、少しくるうと、矢先は大なるくるいになる物でござる。 ここが大切でござる。 たとえばこの身は親の賜物でござる。 魂は神の賜物でござる。 衣食住不自由なきは、先祖の御陰でござる。 その先祖といえども天つ神国つ神の御徳、また限りなき。 太平の国恩を受けて、相続いたしたでござる。 朝夕給いたる食物は、天地の神の御恵みまた百姓衆の丹精でで、できたのでござる。 着ている衣類も皆神の御徳にて、できたる綿を、婦女子の丹精にて、糸に取り布に織ったのでござる。 住んでいる家も、50年前100年前に、人の植え付けた木で、それが天地の御恵みで、長育したのを、 がきり、木挽きがひき、大工が造ったのでござる。 その外仕事師、左官、屋根や畳屋、大勢の手数を経て、成るでござる。 蔵家禄の譲りを受けし祖先の恩。 身体を賜わり、養育を受けし親の恩。 一寸算えても、その恩の広大なること、なかなか数え尽されぬのでござる。 かくのごとき広大無辺の、神様の御恩、天朝の御恩、国家の恩、これを忘れて、何事もおれがおれがと、慢心が増長して、神様の御恩も、思い奉らず。 天朝の御恩をなみし奉り、国恩を報う心がなくば、誠に人面獣心と申す物でござる。 それでは、人体を受けた甲斐がなく、万物の霊たる、人の勤めが立たぬでござる。 ここにおいて政府においても厚き思し召しをせられ、我々ごときものまでも、教導いたせとの御主意でござる。 その御主意は御教則の3条、敬神愛国を体し、天理人道を明らかにし、皇上を奉戴し、朝旨を遵守せしむ、と申すでござる。 右申す通り、この神恩の広大なるを、いささかも報い奉らんとするの道を、敬神と申し、この天朝の御恩に報い奉るのが、則ち皇上を奉戴し、朝旨を遵守するのでござる。 この国に報い奉るを、愛国の道と申すでござる。 これ則ち我が国の大道でござる。 かように3筋に分かるるに、本は一つでござる。 故にこれを、報本(ほうほん)の道と申すでござる。 神教要旨に、報本反始(本に報い始めにかえる)の道、あにゆるがせにすべけんや、とござる。 儒道で仁義礼智孝弟忠信など申すも、いいもて行けば、皆報本反始の道でござる。 この報本反始の道が、則ち先師二宮先生が教諭いたされました、報徳の主意でござる。 本に報うと申すも、徳に報うと申すも同じこと、天(あま)つ神、地(くに)つ神の御公徳、皇恩国恩に、報い奉るのでござる。 この恩徳に報う仕方は、二宮先生の諭された、仕方が手短かで、よろしうござるによって、その由をその筋の御役所へ伺い奉ったところが、よろしいによって、あまねく国家に、押しひろめよとの御沙汰でござる。 この伺済にあい成った、この一冊によって、各大なり小なり、社を結ばれ候ように、いたされたく希(ねが)うでござる。 この一冊を一是有りて、分かり兼ねることなどは、2篇より13篇までおいおいにごらんに入るるでござろう。 何故かように拙者が、社を結ぶことを御勧め申すというに、何事も一人では張り合いもなく面白くもなく、おかしくもない。 先ず早い話が、なにほど神徳皇恩に報い奉りたいと、思う人が有っても、善い事をしたく思う人が有っても、銭を一厘出し、米を一握り出したでは、何にも仕方がござらぬ。 ここが共心同力の仕方で、一厘ずつでも、百人なら10銭になる。 米も5勺ずつ100人では、5桝ある。 10銭なら、ちょっと人の助けになる。 米も5桝なら、20人の腹がふさがります。 これが同心共力。 社を結ばなければ、事のならぬと申す訳でござる。 たとえば、広い天下でござるによって、善人も多く有るでござろうが、皆一人の小善で集めざれば何の用にもたたぬ。 麦や稲も一穂ずつ、こぼれ落ちたのでは、雀烏の腹を肥やすのみでござるが、これを集めて俵にする時は、上は天朝に、貢ぎ奉っても御用に成り神社仏閣に納めても、よろしいでござる。 また人一人百日の飢えを助けることもできるでござる。 また酢に造っても、酒に造っても、餅にしても、何の用にもなるでござる。 古歌に吉野川その水上を尋ぬれば葎(むぐら)の雫(しずく)萩の下露と申してある。 誠にその通りに相違ない。 よって人は、小々の行いを積みて、怠らぬが尊いでござる。 一足ずつ歩いても、怠らねば長崎までも行かれます。 百万石の富貴といえども、その田地は、一鍬ずつ耕して、一株ずつ植えて、一株ずつ刈るでござる。 蒸気船の帆柱も、元一粒の木の実に、相違ない。 昔の木の実は、大木になるが、今の木の実は、大木にならぬという訳は決してござらぬ。 昔の木の実は、則ち今の大木、今の木の実は、則ち後世の大木に、相違ない訳ゆえ、この道理を 知いたされて、大いなることを羨まず。小さなことを恥じず。速やかならんことを願わず。ただただ日夜怠らず勤むるがよろしいでござる。 右の訳ゆえ大なり小なり社を結ぶにしくはない。 故にくれぐれも申し合わされ、仲間を立て、共に共に善にうつり、開化に進み、相互に利益を得て、安楽にくらし、諸人中よく、心よく今日を送り、また神様を崇敬し奉って、幸福を祈り、悪事災難を免れ、子孫繁栄するように勤むるが専一のことでござる。 第2社中約規 御教則 一 敬神愛国の旨を体すべき事 一 天理人道を明らかにすべき事 一 皇上を奉戴し朝旨を遵守せしむべき事 右を御教則3章と申す。 恐れ多くも天朝の御趣意なり。 必ず暗記体認すべし。 皇国の大道は、この3章に過ぎず。 今何をか加えん。 然りといえども、その工夫をつまびらかにする時は、節目なかるべからず。 平日心がける処の条目を記して、仮りに内則という。 また結社の条約あり。これを外則という。左のごとし。 内則 第1条 朝手水を遣い、身の不浄を清め、不浄は罪咎(つみとが)の本たることを思い、常に清潔を心懸けるべし 第2条 毎朝先神棚を拝し、次に氏神の社の方を拝し、次に先祖親の霊前を拝すべし。 平日敬神の心懸けて厚くし、禍福吉凶栄辱窮達。一切神明に依頼し奉り、毫末(ごうまつ)も迷うべからず。疑うべからず。 第3条 人各家業あり。これ生活の本なり。励精相勤めて怠るべからず。 第4条 親子夫婦兄弟家族皆相互いに務めあり。相互に怠るべからず。、また人の怠るを責めず、自ら励みつとむべし。仁義忠恕愛敬等の徳行自らこの中にあり。怠るべからず。 第5条 人の勤めは身を修めて家を斉(ととの)えるにあり。身を修めるの心懸けを先務とす。 第6条 各々が身の分限を弁え、万事分限の内にすべし。必ず越ゆべからず。財を用いるよく心を用ゆべし。 第7条 善事は勤めて行ない悪事は決して為さじと志を立てる確乎たるべし。善悪の応、幽冥の罰恐るべし。 第8条 時々己が内心をかえりみ、私欲邪念を去り、正直の心懸け専一なるべし。 第9条 過ちは気質の偏(へん)より生ず。気質の偏らざる処に心を付けて過ちなきよう心懸くべし。自然過ちあらば速やかに改むべし。 第10条 酒は禁ずるにあらずといえども、不飲を善とす。性来好酒の者は、勉めて酒量を減ずべし。若年の者は必ず飲むべからず。 第11条 清(す)める物は必ず上がり、濁れる者は必ず下る。これ天理なり。平日神魂を清して、濁らすべからず。 第12条 総て平日の行状と、心懸けは死後、神魂の帰着に関係す。必ず等閑に思うべからず。 第13条 毎夜伏床(ふしど)に入らば、必ず胎息の術を行うべし。これ養生無類の術にして、正心内端の工夫もまたこれより修すべし。 第14条 平日気を臍下(サイカ)に満たして、胸に集むべからず。もし心にさからうこと集まらば、静かに吐き出すべし。怒気おさえがたき時は、大空に向けて早く吐き出すべし。 第15条 人の誠を貴しとす。誠ならざれば何事も偽りなり。神に祈り奉るとも、誠にあらざれば、決して感応なし。万事これをもってよく心得べし。ある人の偽っても善をなせば善なりといえるは道に適(かな)わず。 右件々忘るべからず。 外則 第1条 神徳皇恩は宏遠無量なり。報ずとも報じ難し。その万分の一も、報じ奉らんと思うは則ち報徳の務めなり。朝夕心に懸けて日懸銭をなすべし。貧者は一日5毛なるべし。それより以上あるいは一厘あるいは2厘3厘4厘また5厘6厘なるべし。これ日々夜々行住坐伏、神徳皇恩を忘れざるための心掛けなり。 第2条 右日懸銭は、一月三度あるいは両度、あるいは一度ずつ、会日を定め、銘々持参集会すべし。 第3条 集会の席兼ねて神号幅を懸け、洗米を備え、出頭の者先ず神拝を為して、坐に着くべし。 高皇産霊神 神号幅 天之御中主神 天照皇大神 神皇産霊神 右の通りたるべし。 第4条 神拝祝詞左の通り手を拍(うっ)て白(もう)すべし。 掛(かけ)まくもかしこき天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、(かみむすびのかみ)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)御前を慎み敬い畏(かしこ)み畏み拝みまつらくと白(もう)す 第5条 集会の節、社長積金を受け取り、帳面に記載し、台に載せて神前に備え拍手再拝すべし。 第6条 積金取立ておわり、会議の事あらば、会議すべし。議すべき事なくば、説教また正講等聴聞すべし。講師不在の時は、御布令書また翻訳書、新聞紙等読み聞かすべし。 第7条 新たに入社の者は、年月日入社と社中連名帳に記し、調印すべし。退社の者は年月日退社と記し、姓名を削るべし。 第8条 右日懸銭を2品に分つ。一つを報徳善種金と称し、差出し切りにて返済なし。いわゆる喜捨施入なり。一を報徳加入金と唱う。返済を乞う時は、元金を返す。いわゆる無利息の預かりなり。 第9条 報徳善種金、報徳加入金、総て本人の心に任すといえども、小禄無禄窮人の日懸銭は、必ず加入金たるべし。 第10条 また銘々臨時にも、善種加入金すべし。先髪をきりて、髪結いの費えを出すべし。筒袖にしてその余分を出すべし。飲酒を滅してその費えを出すべし。吉凶礼、総てその長ずるを去って、その費えを出すべし。遊惰を改めて、その余分を出すべし。 第11条 右を概して報徳善種金という。 あるいは貸渡あるいは救与して社中の困窮を救い水火病難を補い無禄にして子無く有志で学費なき者また鰥寡孤独廃疾の者を助けまた無利息3ヵ年賦5ヵ年賦7ヵ年賦10ヵ年賦等にかして社中の産業をいや進めに進めいや広めに弘む。 第12条 年賦皆済の上その借用のために利益を得る者は随意に恩礼金として5ヵ年賦の1ヵ年分を出すべし。則ち報徳善種金として5ヵ年賦の1ヵ年分を出すべし。則ち報徳善種金なり。もっとも強いて課すべからず。必ず1ヵ年分に限るべからず。多少は本人の心に任す。貧人無禄の者たりともこの金は報徳善種金なるべし。 第13条 年賦の返済農家は年に一度あるいは両度、商は月賦何れも本人の望みに任す。 第14条 社中銘々善種加入出金敢えて多きを好まず。かつ積累するを尊まず。融通を専一とす。 第15条 社中必用の書籍、また不学の者にも通じ安き翻訳書、日誌新聞紙等、備え置き、望みの者へ、貸し渡すべし。 第16条 書籍貸渡し返済は、必ず集会の日たるべし。借る者返す者、簿冊に書名姓名を自記すべし。 第17条 毎社必ず社名を設くべし。則ち報本社克譲社の類いなり。 第18条 右社中を総括するに、社長一人、副社長一人を置くべし。正副2人のうち、一人は金銀の出納を司り、一人は簿冊を司る。 第19条 右人選は、社中人望ある者、身元有る者、一ヵ年ごとに更に入札すべし。ただし社長副社長とも、報徳のため無給なるべし。 第20条 報徳金貸渡し並びに救与等取計い、必ず社中一同会議の上定むべし。長副といえども、専断を許さず。 第21条 困窮人救与取計らい、衆評決しがたきは強いて決せず見合すべし。また時宜により入札にすべし。 第22条 年賦金貸付くべき者、決しがたき時は、当年貸渡すべき。金高を定めて一同入札をなさしめ、多札の者へ貸渡すべし。 第23条 社中、もっとも会議を尊ぶ。会議は身を修め家を斉(ととのう)るの道より、産業の法、農商の術、彼我(かれ、われ)の利益、また自己に決しがたき事を評議して公論により、善をとるなり。 第24条 帳合はもっとも厳密にすべし。しかし簡便見やすきを要とす。 第25条 右出納の帳面は、6月12月計算すべし。7月1月右簿冊を、一同に示す。 第26条 毎年一同検査の上、2帳清書調印し、一帳を所轄の分社へ差出し、一帳は当年の社長へ渡す。 第27条 社長交代の節、書類資金の証文等を、当年の社長に渡し、その旨を一同へしめし、向後異論無からしむべし。 第28条 言行道に違い、社中の約規に背く者は、社中にて懇諭すべし。その懇諭を受けざる者は退社なさしむべし。 第29条 発会たりとも、会席にて、酒を禁ず。常会は茶のみ。会議多く時刻を移さば、湯漬けまた粥を用ゆべし。たとい議すべきこと、多くありとも、至急のことにあらずば、夜は11時を過ごすべからず。 第30条 右の条件中改正すべき、条件ある時は、一同熟議の上改正すべし。容易に改正を許さず。 右件々すべからく知るべし。 第3会議弁 万事仕方と申すものは、大切な物でござる。 仕法が悪いと、9尺2間の裏店を持つもむつかしうござる。 仕方が善いと、国家を治るも、骨は折れぬ物でござる。 たとえば水車の仕法をすれば、骨折らずに米がつける。 山へ植付けをして置けば、世話なしに木は育つでござる。 さて仕法も種々あるなれども、富国の仕法は、この報徳の仕法が遅いようでござるが至って早い。 その仕法は前にも申す通り、まず仲間を結ぶが、初めでござる。 さて仲間を立て、社を結ぶについてはその仲間の取極めがなければ、仲間がたたぬ故、条約ということが有るでござる。 その条約に、心裡に心懸くる条約と、身外に行う条約と2つある。 これを仮に内則外則と申すでござる。 よって社に入る者は、内則を常に心に懸け、外則を行うのでござる。 この仲間に入る者、この条約に背くまじと。 神に誓いて、入社致す仕法でござる。 故に集会の度、必ず神号幅を掛けて神拝をなし、かつ神徳の、宏遠なることを感戴し、日夜に御助けを蒙りて、悪事災難を免れ、子孫の繁昌を祈ることでござる。 さて社中折々集会して身の修め方、世間の付き合い、家業の得失、農業の仕方、商法のかけ引き、また心配筋のこと、自分に決しがたき事など、皆打ち明けて相談して、それよりはこの方がよい。 これよりはあの方がよろしい。 またこれよりこの方が徳だ。それよりもこの方が便利だと。あい互いに相談するのでござる。 また教導職に説教を頼み、また学者に正講をも頼み、聴聞してますます善心を、固くするがよろしいでござる。 この集会を為すことを、二宮先生は、芋こぢと常に申されたでござる。 これは集会にたびたび出るは、芋こぢをするようなもので相互にすれ合いて、汚れが落ちて、清浄になるという譬えでござる。 人々師について学ばざれば、道は得られぬものと思うは、本統の道を知らぬ、故のことでござる。 本統の道と申す物は、学ばずして知り、習わずして覚え、記録もいらず、書物もいらず、師匠も入らず。自然天然に、銘々必ず心得ている、訳の物でござる。 それでなければ、本統の道ではござらぬ。 いわゆる仁義孝悌愛敬忠恕の類い、必ず自然に生まれ付いて、きっと知っているでござる。 師が無くてならぬのは、技芸の学問でござる。 道の学問は、芋こぢの仲間より合って、随分善に移り徳に進むことは、必ずできる物でござる。 しかしそれでは師は入らぬと、申すようだが、さようではない。 師はなくても、修行の仕方は有ると申すことでござる。 この道理を承知いたされて、会議をいたさるるが、よろしいでござる。 第4日課銭計算 一 1社おおよそ百戸の見積り。1村または2,3村に、渡すといえども妨げなし。便宜に任す。 一 百戸の身上を、仮に7等に分って、上々株1戸、上中株1戸、上下株5戸、下上株20戸、下中株16戸、下下株30戸、無株27戸と見積もる。 一 上々株の者、一日金6厘5毛、上中株の者、一日5厘、上下株の者、一日4厘、下上株の者、一日3厘、下中株の者、一日2厘、下々株の者、一日一厘、無株の者、一日5毛づつの見積り。 一 右計算のため、身代に名目を付くるのみ。かかわるべからず。実地の節はこの名称なし。出銭本人の心に任す。 一 日課金は、6月、12月を休月として、一ヵ年を十ヶ月と定め、月は大小にかかわらず。30日と定む。一ヶ月を30日と定むれば、一日1厘の者は3銭、5厘の者は15銭となり、月を十ヶ月と定むれば、一ヶ月3銭は30銭。一ヶ月5銭は50銭となり。計算はなはだ便利なり。日課金取り集めては、必ず表を作って扱うべし。 (表 略) 第5 掛積金弁 右日課金のことでござるが、微塵積みて山をなすの譬えのごとく、仮に一社百戸として、分限を7等に分けて、積り立て見ました通り、格別骨も折れず、先ず1年に50円できたでござる。 その見積りで市在平均2ヶ村に一社ずつできるとして、積りますると、20ヶ村に10社、1郡に百社、1ヶ国に千社でござる。 1社が50円としまして、10社500円、百社5千円、千社が5万円でござる。 1年に5万円でござるによって、10年では50万円、20年では、100万円と相成るでござる。 かように百万が千万、千万が万々とあい成るとも、勧むる者の、一毫も益になるでもござらぬ。 また大蔵省の益に、なるでもござらぬ。 また神社仏閣の益に、なるでもござらぬ。 悉皆その社中のもの、その社中の益で、その社中のみを潤沢するのでござる。 よって宏遠無量の、神徳皇恩を、九牛の一毛も、報い奉らんと思う、報徳の一心にて、少しも私欲勝手を思わず。 愛国を一途に心懸け、一人一家ずつ、富まして年をかさねたならば、つまり一村富有に、成るに相違ない。 大村は一社、小村は3,4ヶ村に一社ずつ取り立て、社長たる者、尽力いたされたならば、たちまち富国の御趣意は、押し立てに相違あるまい、と存するでござる。 もっともこの仕法と申しても、10戸が10戸、百戸が百戸、一村残らず同じように富ます事は、これはできない事でござる。 なぜと申すに、ここに10戸の村がある。その10戸の家財を、のこらず取り集めて、平均に割り渡すとも、年を経ずして、貧富大小と色々に分かれるでござる。 これは人に知愚があり、勤惰があり、家に積善不積善ある故でござる。 たとえば野原の草ですら、大小長短がある。 これを刈り払って平にする時は、平になるなれども、草に大小あり、土地に肥(こ)え瘠(や)せがある故、たちまち元のごとく、種々に分かるでござる。 さて草の仲間には、あい助けあい養うという、道がないから、大きい草は大きいだけ、根を張り露を吸い、小さい草は小さいなりに、かじけているが、人の上では、富は貧をにぎわし、有余は不足を補い、智者は愚者を教え、才は不才を助ける。 これが人道の有難きところ。 この仕法の本とするところでござって、別けて有余不足を補い、貧富あい助けあい通じあい和するをもって、尊むでござる。 二宮先生常に申さるるに、天地あい和して、万物生育し、男女あい和して子孫生育し、貧富あい和して財宝を生ず、と申されたる通り、村を富まし国を富ますには、貧富の間の和合が、大切でござる。 なぜと申すに、天下の万物、一切貧者の手より生ずる故でござる。 貧富の間がよく和合する時は、産物がおびただしく生ずる故、富国の基が立ち追年盛大にあいなるでござる。 これがこの仕法の眼目でござる。 第6簿冊書案 明治6年12月 報徳善種金請払張 報徳教会 何村支社 報徳善種金 一 金1円95銭 上々株 子之右ヱ門 これは日課積金の分報徳善種金に差出候なり 一 金1円50銭 上中株 丑之助 これは右同断 一 金1円 伊太郎 これは右同人散髪にあいなり髪結の費え一ヶ年分右同断 一 金3円 呂次郎 これは右同人倅婚礼の節旧弊を去り節倹に致し有余の分右同断 一 金2円50銭 波三郎 これは右同人茶の湯道具花器花台等売払い候分右同断 一 金9円50銭 仁右衛門 これは右同人不用の衣類その外品々売払い候分右同断 一 金5円 保右ヱ門 これは右同人人の勧めに随い家猪(ぶた)2匹飼い立て置き候ところ価引き揚げ候に付き、今般売払い意外の大利益を得候に付き右同断 一 金2円 これは5ヵ年前桐木3本植付け置き候をこの度売払い候分右同断 一 金26円45銭 内 金18円50銭 これは当村より隣村まで道のり1里余のところ人が車の通い候よう道橋手入れいたし候入用の分あい払い候 金1円25銭 甲兵ヱ倅 乙蔵 これは右同人儀幼年にて両親に別れ学校へも罷り出でかね候に付き月謝の分補い遣わし候 金3円50銭 丙右ヱ門 右同人長病あい煩い候に付き薬用手当のため助成いたし候 一 金2円 丁次郎 右同人不慮の災難にて難渋に付き同断 一 金50銭 戊右ヱ門倅 巳三郎 右同人倅未だ幼年に候えども孝心深きに付き賞誉のため遣わす 一 金25銭 庚右ヱ門倅 辛助 右同人区内学校中格別出精の趣きに付き右同断 〆金26円なり 残金45銭 右は報徳善種金当1月より12月まで受払いかくのごときなり 明治6年12月 報徳教会 何村支社 副社長 社長 報徳教会 何分社 社中 報徳加入金 一 金1円20銭 上下株 寅蔵 一 金4円80銭 同外 4人 一 金90銭 下上株 卯平 一 金17円10銭 同外 19人 一 金60銭 下中株 辰次郎 一 金9円 同外 15人 一 金30銭 下々株 巳之助 一 金8円70銭 同外 29人 一 金15銭 無株 午次郎 一 金3円90銭 同外 26人 〆 金46円65銭 これは日課積金当年分報徳加入金に差出し候なり。 一 金1円25銭 戸右ヱ門 これは右同人商用にて東京へ罷り出で候ところ路費倹約いたし分右同断 一 金75銭 近蔵 これは右同人天性好酒に候ところ近来禁酒いたしその費の分右同断 一 金37銭5厘 利兵衛 これは右同人煙草をあい止め煙管煙草入売払いの分右同断 一 金25銭 縫次郎 これは右同人夜々縄に房ずつ一ヶ月の間索候分右同断 一 金15銭 斧右ヱ門妻 わか これは右同人銀の笄一本売払の分右同断 合金50円7銭5厘 内 金15円 市右ヱ門 右同人類焼に付き家作手当として無利5ヶ年賦貸渡す済方戌より寅まで五ヶ年但し一ヶ年金3円宛 金8円 仁三郎 右同人水災にて田地流失に付き開発入用のため右同断但し一ヶ年金1円60銭宛 金12円 三平 右同人倅今般商法あい初め候に付き元手金右同断但し一ヶ年金2円40銭ずつ 金5円 四郎平 右同人倅東京へ罷り出で学問執行いたしたき心願に候ところ学費これ無き候に付き右同断但し一ヶ年金一円ずつ 金10円 五兵衛 右同人茶園仕立て候に付き茶種代右同断但し一ヶ年金2円ずつ 〆金50円 残金7銭5厘 右は報徳加入金当1月より12月まで諸払いかくのごとく候なり。 第7簿冊披露弁 年明けましては、未だ始めての御方も御見えでござるでよって、新年の御慶びを申します。 さて光陰矢のごとくで昨春報徳仕法を立てましたが、もはや1年に成ったでござる。 その1年の間の受払帳の、清書ができました故、御一同篤と御一見をあい願うでござる。 御一同の御丹精にて報徳善種金を締めて、50円7銭5厘、何れも感心のことのみで、実に感涙がこぼれますでござる。 その内伊太郎殿の散髪になられて、その髪結(かみゆい)銭を出されたなどは、誠に面白い御心付けでござる。 これはしようとさえ思えば誰にもできます。 これらは実に、できないのではござらぬ。 しないのでござる。 呂次郎殿には、過日は目出とうござりました。 その入費を大いに御倹約なされました趣き、よいことでござる。 世間の人は、倹約と吝嗇との弁別を、よく知らぬゆえ悪しく申す者も、有るでござろうが、それは心得違いでござる。 報徳善種に御差出しの上は、吝嗇でないは明白でござる。 波三郎殿にはブタについて、たいそう御利益で結構でござりました。 しかしだいぶん損の人も有ります。御用心がよろしうござる。 仁右ヱ門殿の、茶ノ湯道具の御売払い、保右ヱ門殿の、不用の品々御売払い、好い処へ御気が付かれました。 無用の物はしまい置くも邪魔でござる。 茶ノ湯などは誠にむだなことで、そんな道具は、ない方がよろしいでござる。 戸右ヱ門殿には、東京へ御出の由、定めて開化の盛んなることを御覧じては、商法の外に益が、付きましたでござろう。 近蔵殿には、酒を御止めの趣き、誠に感心いたしました。 どうも酒は止めにくい物でござるに、感心でござる。 どうぞ長く続きますようにねがいます。 利兵ヱ殿、煙草を御止めにて、キセル煙草入れまで御売払い、御奮発のことでござる。 縫五郎殿には、1月の間毎夜毎夜、縄を御索(ない)の由、御丹精なことでござる。 類平殿には休日に休まずして、縄を御索(ない)の由、さてさて感心でござる。 斧右ヱ門殿の御家内は、カンザシを御売払いの由、感心の至りでござる。 女中と申すものは、分かりかねるものでござるが、返す返すも感心でござる。 私これを帳面を一見いたして感涙を絞りましてござる。 殊(こと)に差出切りの善種金に、差出された方も、多分にあい見えます。 さてすべて76円余にあい成ります。 ことわざに微塵積りて、山をなすと申すが、実にその通りでござる。 さてその内を困窮な衆に、それぞれ御助成なされましたが、結構なことでござる。 則ちこれが善種を蒔くのでござる。 米を蒔けば米が生え、麦を蒔けば麦が生える、世界でござるによって、この善種に報応のないことは必ずござらぬ。 麦を蒔く時、菜の種が一粒はいると、きっと菜が一本生えます。 苗代の時ヒエが一粒はいると、ヒエが一本必ず生える。 これをもって因果応報の、道理の畏るべきことを、御弁えがよろしうござる。 先生の道歌に、「米蒔けば米草生へて、米の花さきつつ米の実法(みの)る世の 中」また「春の野に芽立つ木草を、能く見れば去りぬる秋の種にぞ有りける」。 誠にその通り、善い種には善い草が生え、悪き種には悪き草が生え、正しい種には正しい草が生え、邪種には邪草が生え、曲り種には曲り草が生えて、花さき実るでござる。 誠に畏るべきことでござる。 さて隣村まで、人力車の通うように、道橋ができました。 誠によい御工夫で、便利にあい成るでよろしうござる。 さて報徳加入金が締めて50円7銭ほど、無利5ヶ年賦貸付になりまして、そのために何れも、それぞれに家作の普請もでき、田地の開発もでき、その外商法学問等の御志願も、整えまして、よろしうござる。 五兵ヱ殿には、茶桑を御仕立ての趣き、至極よろしうござろう。 何れも無利息だと申して、気がゆるみますと、為になりませぬ。 5ヶ年の返済油断をなさると、むつかしうござる。 万一返済でもむつかしいと、御一同の御誠意も、むだになることでござる。 たとえばこの無利息の金をかりて、田地を買いますれば、我が物になるは相違ないが、年賦返済が済まぬ内は、実は己が物ではない。 それを己が物と思う者は、終(つい)にその田地が人の物になるでござる。 春より田を作れば、己が米になるは必定なれども、秋にならねば、実に我が物と言れないでござる。 なぜなればまた、実るまでの処は天道様の、御預かり中でござる故、我が作でも我が物ではない。 これを我が物と心得て、春から引当にして、5月新穀を売る、というようなことをする物は、御年貢にも差支え、年もとれぬでござる。 それと同じ道理でござるから、よく御心懸けてなさるがよろしい。 一心の覚悟が届かぬと。御一同の御誠心を受けて、無利息金をかりても、骨を折って田を作っても、労して切なしと申して、ムダ骨折りになりますぞ。 さて1年の計は早春に有りと申すこともあり。 また、「元日や後ろに近き大三十日(おおみそか)」と申す句も有るでござる。 春だ春だと申していると、直に夏になるでござる。 寸陰惜しむ人なし。 これはなはだ愚かなりと、古人も申してござる。 今年今月の今日には二度は逢われぬことを思い、一寸の間も油断いたさぬように、いあたしたい物でござる。 また序でに申して置くことがござる。 差出し金に、善種と申すは差出し切りで、神仏などの奉納と同じことで、返るということがござらぬ。 この金をもって、人が車の道普請を始め、困窮の衆の助成などにいたすでござる。 加入金と申すは、いつでも受取書引替えにきっとお返し申すでござる。 もっとも皆貸付けにいたすこと故、社中に金がなければ、半年や1年は弁じかねることもござるが、これはきっと御返し申すでござる。 これを了簡(りょうけん)違いのないように、御心得なさるがよろしいでござる。 |