シスター渡辺和子☆「大切なのは私たちが自分自身の心を見つめること」と話す渡辺和子・ノートルダム清心学園理事長 渡辺 家庭の教育力が落ちていると感じます。保護者の方にはもう少し客観的になってほしい。 大事なのは、子どもたち一人ひとりを宝のように愛して見守ってやることだと思います。 安田 私は美しい国を作るには「まほろばの心」が必要と言っています。 今日はその心を五つ申し上げたい。 一つは「感謝する心」。 先生は、幸せは感謝を発見することと書いていらっしゃいます。 渡辺 米国に留学して最初の年の暮れに、修練長が「この1年間にいただいた祝福を数えなさい」とおっしゃいました。 辛(つら)いことが多かったのですが、辛いことを感謝に変える力を人間は、持っているとわかりました。 安田 二つ目は「慈愛」。キリスト教は博愛、仏教は慈悲といいますね。 渡辺 岡山においでになったマザー・テレサの通訳をさせていただきました。 マザーの「死を待つ人の家」で死んでいく孤児や病人たちは、最後に「ありがとう」と言い、笑顔さえ浮かべる人もいたそうです。 「役立たずと思われていた人たちが、死の瞬間に、愛されたと思って死ぬことができるためなら、何でもしたい」とおっしゃったマザーの愛は「見捨てない愛」です。 安田 三つ目は「敬う心」を持つことです。これはどうでしょう。 渡辺 私は学生たちがいたから、今日の私があると思っています。 先日も学生から、「『いのちを大切に』と何千回、何万回そういわれるよりも、『あなたが大切だ』とだれかにそういわれたら、生きていける」というコマーシャルがあると教えてもらいました。 「我以外、皆師なり」という気持ちで生きていきたいと思っています。 安田 一言一言深いお話で感動します。 今一つは「赦(ゆる)し」です。 特にキリスト教は赦しを強調されます。 愛と赦すことの大事さをお話しいただけませんか。 渡辺 36歳のとき、岡山のノートルダム清心女子大学の学長に任命されました。 シスターの中で一番若造で、米国帰り。 風当たりが強い時期もありました。 そのころ、ある方が「ほほえみ」という詩をくださったんです。 その最後に「もしあなたが期待したほほえみがもらえなかったら、あなたの方からほほえみかけてごらんなさい。ほほえみを忘れた人ほど、ほほえみを必要としている人はいないのだから」とありました。 私がされてうれしいことは、相手も望んでいること、私がされてつらいことは相手にもしてはいけないと、思いが至りました。 安田 もう一つは「懺(さん)悔(げ)」。 東大寺の「お水取り」、薬師寺の「花会式」など、奈良のお寺には過ちを悔いる「悔(け)過(か)法要」があります。 渡辺 カトリックの教会では「赦しの秘(ひ)跡(せき)」があります。 大事なのは、ほんの一瞬でいいから、私たちが自分自身の心の中を見つめる時を持つことではないかと思っています。 安田 先生は二・二六事件でお父様(渡辺錠太郎・陸軍大将)を亡くされています。 体験を通して、親子の愛についてうかがえませんか。 渡辺 22歳年上の姉が子どもを産む年に母も私を妊娠しました。 「娘と同じ時期に子どもを産むのは恥ずかしい」と言った母に、父が「せっかく授かった子どもだから産んでおけ」と言ったそうです。 親の気持ちが胎児に伝わるといいますが、幼いころは母が嫌いで、父が大好きでした。 事件の朝、母は三十数人の兵隊を阻止するのに懸命でした。 私が父のところに行くと、父は足元に立てかけてある座卓の後ろに入れと目で指示しました。私が隠れたとたん、軽機関銃が父をめがけて撃ちました。 一部始終を私は見ていました。 今、思うと、母も兄たちも立ち会えなかった大好きな父の死に立ち会うことができたのです。ある意味でうれしゅうございました。 母はその後、「これからはお父様と2人分厳しくします」と宣言、実行しました。 また「私の唯一の趣味は子どもを育てること」と言い、本当に私たちだけのために生きてくれました。 87歳で亡くなりましたが、私にとっては世界一の母でした。 安田 親の子どもに対する深い愛情、これが基本です。子育ては親の本能という、本来の姿を発揮してほしいと思います。 (2006年12月06日 読売新聞) ○「私は生まれつき、愛想のない、笑顔の少ない人間でした。その私が、少し笑顔のできる人間に変わったのには訳があります。20代の中頃でした、オフィスで働いていた私に一人の男性職員が、「渡辺さんは笑うと素敵だよ」と言ってくれたのです。この言葉を契機に、私は前より笑顔の多い人間になりました。他人をほめることの大切さをこの時に習いました。 その後、私は30代に入って、さらに一つのありがたい詩に出会ったのです。それは”ほほえみ”という題で、「ほほえみはお金を払う必要のない安いものだが、相手にとって非常な価値を持つものだ」という言葉で始まっていました。私の心を打ったのは、最後の言葉でした。 「もし、あなたが誰かに期待したほほえみが得られないなら、不愉快になる代わりに、あなたの方からほほえみかけてごらんなさい。実際、ほほえみを忘れた人ほど、それを必要としている人はいないのだから」と書かれていました。 美しいほほえみ、相手の心を和ませ、いやすことのできるほほえみは、このように「与えてくれない相手」を許し、さらにほほえみかける心の鬪いを通してのみ、生み出されることを私は知りました。「わざわざこちらからほほえみかけなくてもいいでしょう」と言われます。その通りなのですが、美しいほほえみは、進んで「損」をすることによってのみ生み出されるのです。 こちらからほほえみかけたのに無視され、「損した」と思うこともあります。私は、そういうほほえみこそは、神さまがしっかりと受け取って下さっていると思っています。だから、損得抜きに、私にしか与えることができないほほえみを惜しみなく与える自分でありたいと思うのです」 「ほほえみ」 ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが、 相手にとっては非常な価値を持つ。 ほほえまれた者を豊かにしながら、ほほえんだ人は何も失わない。 瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる。 お金があっても、ほほえみなしには貧しく、 貧しくても、ほほえみのある家は豊かだ。 ほほえみは、家庭に平和を生み出し、社会を明るく善意に満ちたものにし、 二人の間に友情をはぐくむ。 疲れた者には休息を与え、失望する者には光となり、 いろいろな心配に思い病んでいる人には解毒剤の役割を果たす。 しかも買うことができないもの 頼んで得られないもの 借りられもしない代わりに盗まれないもの もし、あなたが誰かに期待したほほえみが得られないなら、 不愉快になる代わりに、あなたの方からほほえみかけてごらんなさい。 実際、ほほえみを忘れた人ほど、 それを必要としている人はいないのだから。 ☆「忘れかけていた大切なこと:ほほえみ一つで人生は変わる」より 曹洞宗の尼僧、青山俊董が書いた「禅のまなざし」という本の中に、 「だいじょうぶの小石」というお話があります。 仕事がら病院に出入りを許されている一人の方が、掌に入るくらいの小さな小石をもっていて、これから手術を受けようとしている人に、その小石を握らせてあげるのだそうです。その小石には、平仮名で「だいじょうぶ」と書いてあるので、それを握らせてもらった人は、 「大丈夫なんですね。手術はうまくいくのですね、ありがとう」 と喜びます。すると、その方は、 「あなたが思っている通りになる大丈夫ではなくて、どちらに転んでも大丈夫、そういう大丈夫の小石なんですよ」 とおっしゃるのだ、というお話なのです。 この話を読んで、私のこれまでの考えは足りなかったと思いました。 これまでは「手術のためにお祈りしてください」と頼まれると「はい、わかりました。きっとお治りになりますよ。大丈夫ですよ」、そういう気持ちで「大丈夫」を使っていたことが多かったと思うのです。 祈れば神が私の願い通りにしてくださる、病気を治してくださる、夫の怪我を治してくださる、子供の暴力を止めてくださる、というのではなく、どっちに転んでも大丈夫、神は悪いようにはなさらないという信頼、腹のすわった心がまえ、そういうものをもって祈ることが大切なのだと気づいたのです。 「祈りは神を変えません。祈りは私を変えます」。 私たちが祈ると神はきいてくださる。 まるで私たちの意のままになる神のように想い勝ちですが、私がどう願おうと、神はご自分の御心をお行いになるのです。 私は「欲しいもの」を願うけれど神は「要るもの」を下さるのです。 私は26年前、うつ病になりました。 50歳で脂が乗っている時、仕事が面白くて仕方がない、その時に欲しくも無い病気をいただきました。 その時、一人のカトリックのお医者さまが、 「シスター、運命は冷たいけれど、摂理はあたたかいですよ」 と慰めてくださったのです。 その当時は、その言葉の意味がわかりませんでした。 治りたい!治りたい!とだけ想い、神をうらみ、愚痴を並べ、そして暗い顔をしておりました。 私が唯一微笑むことの出来なかった時期です。 その後、運命と摂理の違い、それがようやく少しずつわかってきました。 この世の中に起こることをしようがないこと、降って湧いたような天災、人災つまり、運命として受け取るのではなく、同じ受け取るなら、摂理として神のはからいとして受け取る。 だから「大丈夫だ」ということなのです。 私の欲しかったことはその時には実現しないかもしれない、。 でもいつか神の時間に実現されるのだということ、そう信じて生きることが、すべてを摂理として受けとめるということです。 (略) 神の摂理として病気をいただいたということ、 その時はとても辛かったけれども、いまとなっては、あの時あの病気をしてよかったと思います。 病気をしたおかげで人に対して優しくなりました。 それまで人に対してきびしくて、あの人はだらしがない、なぜもうちょっと頑張らないんだ、などと思っていたのが、それを思わないで済むようになりました。 自分の弱さを知ったからです。 私が変わるために、神が摂理として病気をくださったのだと思います。 そして、そう思うことが出来るようになったことをありがたいと思います。 (略) 皆さんも、「だいじょうぶの小石」をしっかり握りしめて生きることが出来る方たちであって欲しいと思います。 時たまポロッと落としてしまってもかまいません。 どこに置いたかわからなくなって探し回ってもかまいません。 でもいつかその「だいじょうぶの小石」をもう一度見つけてください。 「愛をこめて生きる」(渡辺和子著) インドのカルカッタに当年とって78歳になるマザー・テレサという一老修道女が住んでいる。 この人は、「神の愛の宣教者」という修道会の創始者であり、国際連合が『世界最悪の居住条件を持つ』と宣言したこの街で、貧しい人の中でも最も貧しい人々に仕えることを使命としている。その貧しさとは物質的なものもさることながら、それ以上に、この世で人々から『不要』『邪魔者』扱いをされている人々、自分自身「生きていても、いなくても同じ」、または、「生きていない方がいいもしれない」と思っている、 貧しい人々 である。 1979年のノーベル平和賞受賞者であるマザーはかくて、望まれずして生まれたが故に棄てられた子供達を拾って育て、人々に忌み嫌われるハンセン病患者を手厚く看病し、さらに、路傍で一人淋しく死んでいこうとする瀕死の病人を「死を待つ人の家」に連れて来て死なせてやることに力を尽くしているのである。 「人間にとって、生きのびることも大切ですが、死ぬこと、しかもよい死を迎えることは、もっと大切なことです。」そうマザーは考える。 マザーの手の中で死んでいく人々がほとんど例外なく最後の息を引き取る前に言う言葉が「サンキュー」であるということ、感謝して死ぬという事実がマザーの信念を支えている。 この話を終ってマザーは言う。 It is so beautiful. それは本当に美しい それは pretty きれいではない。汚い建物、蠅が飛び交い、異臭が立ち込める中、ゴザを敷いただけの床の中で骨と皮にやせ衰えた人が死んでゆく。そことは立派な病院、清潔な病室、真っ白のシーツ、消毒された器具、最新の医療機器に囲まれて死ぬ人々と外見において雲泥の差がある。 しかし、それらの『きれいなもの』に囲まれながらも心淋しく死んでゆかねばならない人々がいる。 それに引き比べ脱脂綿に水を含ませただけのもので、唇をしめらせ、手を取って「よく辛い人生を生きてきましたね。さあ安らかに旅だちなさい」と優しく語りかける看護人に見守られて死ぬということは、より人間的な死なのかも知れない。 マザー・テレサが3度目に来日した折り、岡山での祈りの集会に出席された。 その朝東京を発って広島へ赴き、そこで一つの大きな講演を済ませての帰途という強行軍であった。 駅頭には報道関係はじめマザーを一目見ようとする人々が押しかけ、数限りなくフラッシュがたかれ、シャッターがきられていた。・・・ 老齢、長途の旅、ハードスケジュールにもかかわらず、カメラにほほえみかけていたマザーは、通訳として傍らを歩く私(シスター渡辺和子)にささやくように一つの秘密を明かしてくれた。 「シスター、私はね、一つのフラッシュがたかれ、一つのシャッターが切られるたびに、一つの魂が神さまのみもとに行くようにと祈っているのですよ」 その言葉に何の気負いもなかった。それは時空を越えて、人が beautifull にその一生を終え、新しい生を感謝のうちに始めることを願う優しさに満ちていた。 私はそのささやきに、深く深く感動させられた。 「時空を超えたやさしさ」より抜粋(「愛をこめて生きる」渡辺和子著) ジャンル別一覧
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