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2009年08月14日
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「斯民」 第3編第2号(明治41年5月7日)
 「富田高慶翁と西郷南洲翁」 古橋源六郎  (読みやすくするため若干原文を直した)

 私の父が民力を発達させるには、殖産にあるといって苦心してやりましたので、私もその志を継いでやりましたが、一体ならば金ができるに随って、民心がよくならなくてはならぬのに、かえって貧乏の時よりも悪くなりました。これでは仕方がない。「衣食足って礼節を知る」という古語があるが「衣食が足るほど、人心が悪くなる。どうしたらよかろうといって、親子して苦しみぬきました。
 その結果これは二宮尊徳翁の報徳社を立てたらよかろう。それについては誰かを頼まなければならぬが、誰がよかろうかと彼がよかろうかと、いろいろ相談をしました。岡田良一郎さんは父と私も存じませぬので、湯本の福住正兄は父も私も懇意でありましたから、私が行ってその話をしたところが、それでは俺が行ってやろうということになって、あの人が来て報徳社を開くことになりました。
 そうして段々やっているうちに、品川(子爵)さんが
「報徳については、相馬に富田高慶という人がいるから、行って逢ったがよかろう。おれは農商務大輔の時に、行ってその人に会ったところが、実に体が縮んでしまって、農商務の大輔とはいえぬようになった。実に偉い人だ。マア行って来い。」
といって再三勧められました。その折りに愛知県令の国貞廉平という人からも勧められて、仕方なくどんなものかと思って、行って会ってみましたが、会ってみまして、なるほどと実に敬服しました。富田先生は身体の弱い人で、始終寝ておられました。毎日1回ずつ話してくれましたが、その論理のシッカリとして明白なる、その秩序の立っていることなどは、実に敬服しました。そうして今日一段落を話すと、明日話す所をちょっと問題にしておかれる。それを押して聴こうとすると、すぐ立ってしまわれるので、誠に惜しいことだと思うと、翌日それを話してくれました。
どうもその人に思考力を与えられるぐあいといい、話される順序の立っていることは、実に敬服しました。
そうしていろいろ話を聴いているうちに、国もとにいろいろ用事ができたために、しきりに迎えが来たので、帰って参りましたが、なるほど品川さんが「之を仰げば愈々高く、之を鑚(き)れば愈々深し」といわれたとおりで、私も富田先生に会った時は、どんな人に会ったよりも、心が清らかになって、非常に勇気を増しました。それ以来あのくらいの人に会ったことはございませぬが、その割合に相馬の人がそう申しては悪いが、富田先生の値打ちを知らぬでしまっていると思います。
 富田先生が「困窮した折は、事が能く成功するが、成功すると必ず壊れてしまうものであるから、そこを覚悟しておらなければならぬ」と話されましたが、そのとおりです。私の地方は山間でございますが、非常に苦しんで回復しました。教育を始めすべて順序を立てて、これでよいとなったら、バタバタ壊れてしまって、サッパリ今は形が無くなってしまっている。それを再び回復しかけて、少しずつ芽が出かかりましたが、どこのを聞いて見ましても、人物があって回復ができても、その志を継ぐ人がいないと、維持が困難です。私の地方などは、国貞県令の時分には、皆なが非常に賛成してくれて、回復が大いに楽でございましたが、一時は県庁が先へ立って打ち壊す。警察が打ち壊すということで、いかんとも仕方ありませんでした。それはまた今日では大いに楽になりましたが、私どもの親のやる時分には、非常に苦心して、サッパリ効が無かったのです。しかしながらやる気になってやればいかぬことはないと思います。私も愛知県の県農会へ副会長に出まして、何とか農家の発展を図らにゃいくまいといって、段々話しました。
(略)
そこで富田高慶先生が、最後に私にいわれましたのは、
「それを主張した者が、己れが功を取る気になるといかぬ。十分に骨を折って、功を人に譲る気にならなければならぬ」と草鞋(ワラジ)をはく時までもいわれましたが、その気でやっても、どうもこの凡夫のあさましさは、己れの骨を折ったことが知らずしらずの間、かえって敵を求めることになります。全く高慶先生の言われたとおりです。それで繰り返して申しますが、どうしても農村の基礎を堅くするには、二宮翁のいわゆる分度を定めて、それから人にやらせた方が一番根が堅くなると思う。とても空理空論では治まりませぬ。
 それから私が富田先生に大いに敬服したのは、相馬藩のあれだけの改革に当って、藩から一粒も手当を受けられなかったということです。「どうしてあなたは生活していられましたか?」といったら、「イヤ二宮先生に金を借りて来て、開墾させて、その作得で食っていた。改革をする時分に、君主から金を貰うと、敵を求めるに依りていかぬ」といっておられました。それで段々昇って家老職まで進んだが、禄は辞して受けられなかったのです。それから禄を辞してから何もなくて食うことができぬようになったが、公債証書を貰った。それでようやく食えるようになったのです。
とにかく衰村を挽回して事をなさんとするには、功利の念を去ってかからぬと事ならぬ」ということを、非常にいわれたが、これは至言であると思います。





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最終更新日  2009年08月30日 18時02分39秒



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